第76話 陰で交わす話
活気あるジューバの町には、大小様々な宿がある。
シャルーア達が泊っているのは下級宿だが、それよりも少しいい部屋を提供する中級宿、そして複数室ワンセットで客に提供する高級宿などが町のあちこちに点在している。
「おーい、交代の時間だぜ」
「そうか、何か引継ぎ事はあるか?」
「いや、ない……奥方様は大人しい方だからな。3日前のお出かけではぐれた時はさすがに肝を冷やしたよな、無事でよかったぜ」
彼ら、護衛の雇われ私兵は中級宿で寝泊まりしている。高給宿に滞在する護衛対象にローテーションで張り付き、仕事を分担していた。
「まさか急な雑踏の波に押され分断されるなど、夢にも思ってなかったからな」
「それそれ。いくら黒い被り物と羽織物で身を包んでるったって太陽の下だしな。滅茶苦茶焦ったぜ、あんときは」
彼らは仕事中、常に重厚な鎧に身を包んでいる。イザという時はその身を挺して盾や壁になるためだ。
当然、その重量は相当で、大柄な同僚の中には100kgを越す者もちらほら。いくら活気ある町の雑踏が一気に押し寄せたからといって、容易く流されるものではない―――だが、実際はあっけないほど簡単に押しやられてしまった。
「もし次に出かけることがあるなら、人の多いところは避けるように促さないとな、本当に何かあったらドヤされるどころじゃ済まないだろう」
憎たらしい雇い主の顔が浮かぶ。同僚も同じらしく、憎いあん畜生と言わんばかりに表情をゆがめていた。
「クビにするなら上等だ、って言いてぇとこだけどなぁ。昨今、いい転職先なんて全然ないしよ」
そうなのだ。
魔物の頻出と活発化、加えて以前は確認されなかったような強力な種の情報まで出るようになってからというもの、前々からあまり
道中の危険度がグンッと増したせいで、人や物の行き来が萎縮。多くの業種に影を落とし、影響が広がって経済が悪化―――それに伴って新規雇用どころか人員削減でコスト抑制に舵をきるところが多い。
反面、護衛の私兵や戦闘系に特化した傭兵などは需要が増大。報酬単価が上がり、彼らもその収入は大幅アップしている。
しかも基本、仕事は大人しく病弱な淑女の護衛だけ。加えて交代制を敷けるほどに人手もたっぷりときているしで、職場環境と待遇は最高。
……ただただ、雇い主に反吐が出る、という一点だけが残念に過ぎる。
「……そういやアンタ、確か
ルシュティースが嫁いできたことで新しく追加で後から雇われた者達は、その辺の事情を知らない。当然首をつっこんで雇い主に聞くこともない。
だが気になるところなのは間違いなかった。だから訳知りな同僚がいれば、つい聞きたくもなる。
「……酷くはない。ただ、前のご主人様は世俗に疎い方だった。ご両親を亡くされ、我々の雇用権を引き継ぐ形ではあったが、素直で我らをよく頼りにしてくれた、いい主だったよ」
「?
ある意味ではそうだと言えるだろう。何せ全てを、財産も宮殿も己の純潔も何もかもを蹂躙され、奪いつくされた上で捨てられたのだから。
そして、それを庇うことも出来なかった情けない自分に、今も嫌悪と後悔が付きまとっている。
だが、その元ご主人様とまさかこの町で再開するなんて誰が思うだろう?
彼は同僚の質問に沈黙でこたえた。想像にお任せする、という意志を含めて。
「……そうか。それで直後の雇い主があんなクズ野郎じゃたまらないよな。……ってヤベ、話し込んじまったっ。早いとこ宿にいってくれ、今、他の当番の奴が1人なんだ。それこそ何かあったら問題だぜ!」
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高級宿の一角に長期滞在で泊っているルシュティース。その傍には必ず1人は常に彼女の夫、ヤーロッソが雇用している護衛の私兵が付いている。
「ルシュティース様、お茶のご用意が出来ました」
「いつもありがとうございます、とても良い香り……」
使用人はいない。シャルーアを追い出す前に、自分について良からぬことを話させないよう元から仕えていた使用人達を、ヤーロッソが追い出してしまって以来、雇い入れていないからだ。
なので護衛の私兵たちが必然、弱視で病弱な彼女の身の回りの世話まで担うことになっていた。
この辺は、貴族令嬢として深窓で育てられてきたルシュティースにとって、とても不思議なことだった。
護衛の者は護衛の者。身の回りの世話はちゃんと別に側用人がいるのが当然だからだ。
しかしそれは、異国の地にあって風習などの違いなのだろうと、彼女は不思議には思っても不審には感じていなかった。
「失礼致します。交代で今から入ります、ディレイでございます」
「はい、よろしくお願い致しますね」
ゆっくり、そして深々とお辞儀するルシュティース。彼女は自分が病弱であるからこそ、多くの護衛に世話をかけさせて申し訳なく思っている。
下々の者にも差別なく想う、優しい女性だ。仕え守るに不足なき人物。
それに引き換え……
「(ディレイ、あの野郎はまた昨夜も……?)」
「(ああ、まただ。仕事の現場帰りに、大通りの店の給仕を金で引っかけて遊んでいたらしい)」
同僚は思わず舌打ちしそうになる。それは堪えたが、兜を取って晒されているその表情には、この場にいない男に向けた、たっぷりの嫌悪感がにじみ出ていた。
こういってはなんだが、ルシュティースが弱視であったのはこういう時幸いだ。
もし目ざとくも傲慢な性格の雇い主であったなら、気に入らない表情一つで叱責するような人間が世の中にはいる。
「(……奥方が可哀想だ。熱心に仕事に打ち込んでいる、なんて嘘ついてまで俺らが庇ってるのもバカバカしくなる。そうは思わないかディレイ?)」
「(そう言うな。あの男の真実を知ったら、それこそ奥方様がお可哀想なことになりかねない。我らは耐え忍ぶしかあるまい)」
ルシュティースは幸せになるべきだ。しかし
それが雇われ者な彼ら全員が等しく共有している感情。ゆえに、聞こえないところで雇い主への陰口を叩かずにはいられない。
ディレイにしても、それは止められないし止める気もまるで起きなかった。
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