02.ネーミングマスター

「おまえの昇華能力ってさ、空気を読む、みたいな感じのやつじゃねぇの?」


——空気を読む?


「なんか、能力っぽくねぇな」

「能力っぽく言うと……空気読み?」

「いや、語呂的な意味じゃなくて……空気を読むなんて、そういう性格だから自然にやってることで、得意とか不得意とか、そういうたぐいのものでも——」

「さすがリンタロやで!」


 と、俺の背中をバンバン叩きながらユトリが口を挟む。


「そんなもん自然にやっとったなんて、なんかエロいな!」

「エロい?」

「空気ヨメの話や!」

「〝〟じゃねぇ! 空気読み・・読み・・!」


——つか、さすがって何だよ!?


「燐太郎と入れ替わった時にさ……」


 ユユが、両手でフワフワと綿でも掴むようなジェスチャーを加えて説明を続ける。


「おまえの周りの空気が、なんか変な色に見えたっつぅか……。ああ言うの、なんつぅの? ピンクのオーラみたいな?」

「ああ……オーラだけじゃないぞ。文字や言葉にも色が付いたり味がしたり……。一つの刺激に対して通常の感覚以外の知覚が加わるんだよ。共感覚シナスタジアって言うらしい」

「あのピンクのオーラで、おまえがエロいこと考えてるのが分かったからな」

「それちがっ! ピンクは動揺とか、そんな感じだ!」


 シナスタジア——。


 刺激に対して通常の感覚とは別の感覚が同時に生じる、特殊な知覚現象のことだ。

 ガキの頃、三角の言葉だとか甘い絵だとか……おかしな発言が多かった俺を母親が心配して、精神科に診てもらった時に知った言葉だ。

 メカニズムは分かっていないことも多く、その時も医者からは強すぎる思い込みのような——いわゆる、精神的な理由として片付けられていたと思う。


 実際のところ、これが何なのかは俺にもよく分からない。

 ただ、自分がどんな発言をすれば母親が安心したり心配したりするのかは把握できたし、それ以降はなるべく発言に注意するようにしてきた。


 澪緒は、俺が空気を読んだり他人の顔色をうかがうような性格になったのは百合鴎ゆりかもめ家の世話になり始めてからだと思っているようだが、実はもっとずっと前からそういう立ち回りが俺の当たり前になっていたんだ。


 共感体質エンパスになったのも、当然シナスタジアと無関係ではないだろうし、俺にとっては特技や長所というよりも、欠陥であり引け目でもあった。

 だからこそ、こんなものが昇華の対象になっているなんて言う考えも思考の外だったのだが……。


——でも、もしそれが〝昇華〟の対象なのだとしたら……。


 初めて見たはずの、ティスバルのドス黒いオーラからやつの殺意を確信できたことは、俺の中でも少なからぬ違和感として残っている。

 経験上、初対面の人物から初めてぶつけられる感情に対しては、それまでの記憶から似ているものを探し出し、類推しながら対処するしかなかったからだ。


 でも、あの時感じた殺気は、今まで経験したことのないようなはっきりとした〝カタチ〟を伴って俺の中に飛び込んできた。


——あれが……昇華によって得られた感覚だとでも言うのか!?


「じゃあさ、お兄ちゃんは、それで他人の心が読めるってこと?」

「そんな凄いもんじゃねえよ。なんとなく周囲の気持ちを察したり、空気を読むのが上手くなる、ってくらいの話だ」

「でも、昇華の対象になったのなら、レベルが上がっていけばテレパシーみたいなものも使えるようになるんじゃない? いいなぁ~」

「そんないいもんじゃないって……」


 周囲から容赦なくぶつけられる、外面とは違う赤裸ーな喜怒哀楽。幼い子供が、それを無視して天真爛漫でいられるはずがない。

 自分に向けられる善意も悪意も、俺の主体性をじわじわとむしばみ、刻々と変化する周囲の感情にいつも行動を縛られてきた。


 人はきっと、他人の気持ちが分からないからこそ関わることができるし、関わってそれを知ろうとするのだ。

 相手の気持ちを知りたいという知的負荷がなくなれば、人はきっと、他人と関わることに興味を持たなくなり、いずれは嫌悪感すら抱くようになるだろう。


「よしっ、でけた!」


 ふと気が付けば、澪緒が女神端末アニタブを両手で掲げ、満足そうに見上げている。

〝漆黒の青〟が爆誕したときと同じ色のオーラが見える。


——嫌な予感がする。


「まさかおまえ、また変な名前を付けたんじゃないだろうな?」

「何よ~、ネーミングマスターに向かって、失礼な。今回はちゃんと〝空気を読む〟って効果が分かったんだから、それにちなんだ言葉だよ」


 なんと英語だよ!……と、胸を反らす脳筋妹。


「英語っつたっておまえ、空気を読むなんて日本独特のニュアンスだからな? もし英語にするなら〝read between the lines〟とか〝go with the flow〟とか……」

「英文法ですかっ! そういう面倒なやつじゃなくて、加護スキル名なんだからもっとシンプルに! リーディングエアー!」


 うわぁ……頭悪そう……。


「しかも、ちゃんとアルファベットだよ」

「む、無理すんなよ? スペルは大丈夫なんだろうな?」

「おいお~い、ミオを馬鹿にしすぎぃ~。中学生レベルの英語じゃん」

「まあ、漆黒の青よりはいいけど……」


 と、澪緒から受け取ったアニタブのスキル欄に書かれていたのは……。


RI-DINGU EA-りーでぃんぐ えあー


——ローマ字かよっ!


「ほんとにおまえ、それで女子高生、できてたの!?」

「できてたよ! って言うか、なんで消そうとしてるの?」

「消すだろ普通! 何がネーミングマスターだよ、アホか! って、あれ? け、消せないぞ……」

「故障じゃない?」

「故障はおまえの頭だ!」


 ……だめだ……どうやっても消せない。

 何か、気付いていない操作や条件があったんだろうか?

 とりあえず、加護スキル名は『RI-DINGU EA-りーでぃんぐ えあー』に決まってしまったようだ。

 スキル名なんてどうでもいいと思っていたけど……、


「意外とメンタルにくるな、これ……」


 その時、コンコン、とノックの音。

 どうぞ、と声を掛けると、ドアが開き、応接テーブル・・・・・・を持って入ってきたのはサトリだった。


「入る前にノックをするなんて……サトリはちゃんとしてるんだな」

「……ちゃんとのボーダーが低くありませんか?」

「まあ、そうなんだけど」


 澪緒とユユはともかくユトリまで、誰一人ノックをしないから、この世界はそういうもんなのかと思いかけてたわ……。

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