第6話 おじさん失踪事件

「いない・・・」


 そう呟く斉藤。結果はなんともあっけなく出てしまった。込み合った車内。空いてるつり革を探すだけでも一苦労しそうな中、例のおじさんはいつも入り口付近の席に座っているらしいから、俺たちがバスに乗り込み、2、3人を掻き分けた時点でその席が目に入ることになる。しかし、その席に座っていたのは若いサラリーマンだったのだ。


 さっきまで忙しなく動いていた心臓も拍子抜けするほどの幕切れ。斉藤も肩を落としてうな垂れていた。


「ああ、どうしたらいいんだぁ」


 急に顔を上げて声を荒げる斉藤。当然この奇怪な行動に、車内中の視線が集まる。俺は顔から火が出るほど恥ずかしくて、斉藤の肩を掴んで注意した。


「何時もここに座っているんだよ・・・」


 俺の言葉には耳も貸さず、斉藤は若いサラリーマンが座る席を指差した。なんとも失礼な態度だが、指された本人は係わり合いになりたくないらしく、真っ直ぐ前を見据えて微動だにしなかった。


「分かったから少し落ち着け。他の席にはいないのか?」


「いたとしても顔が分らないんだよ。特徴は禿だけ。いつもその頭を見てたから、何となく特徴は分かるけど、やっぱ本を読んでてくれないと。」


「そうか、そうだったな」


 なんとも歯痒い話だ。この混雑だから乗客全てを把握することはできないかもしれないが、もしかしたら他の席にそのおじさんがいる可能性は大いにある。それなのに顔が分からず、頼みの綱は禿と本を読んでいるということだけだなんて。禿げた人なんて、ここから見るだけでも大なり小なり何人かいるみたいだし、顔さえ分かれば何の苦労もないのに。


 一番手っ取り早いのは、大声で「禿で推理小説を呼んでるおじさんはいませんか」と叫ぶことだが、そんな恥晒しな真似は出来ない。さっきこいつはその恥晒しに近い事をしたけど、もう一度やろうものなら再びあの視線が集まることになる。それだけは勘弁して欲しかった。


 俺は少し冷静になってみようと、つり革に掴まりながら、絶望に打ちひしがれる斉藤に背を向けて車窓に流れるビル郡を眺めていた。


 ・・・この混雑の中、本を読むなんてことが出来るのは席に座っている人だけに限られる。このバスは駅前が始発だったはずだから、電車のラッシュから開放された人たちが、再びこのバスで寿司詰めにされるはずだ。


 なので、始発から既に満席の車内で、常に同じ席をキープするには、自分も駅前から乗らなければ絶対に座る事は出来ないはず。しかし、いくら始発から乗ったとしても、他の乗客も大量にいるわけだし、皆座りたいと思っているだろうから席は取り合いになるはずだ。なのに、毎日同じ場所に座れるというのはどういうことなのだろうか。


 そして、何故だがここしばらくそのおじさんはいつもの席に座っていない。何かの理由でバスに乗っていないか、乗ってはいて、しかも今この中にいる誰かなんだけど、何かの事情で座れなくなってしまったか。


 もし乗っていても、顔が分からないので見つけられないというのは分かった。


 ここから見る範囲では、他の席で本を読んでいる人は今のところいない。そうだとすると、やはり座れなくなって読めなくなってしまったか、座れたとしても、この混雑の中で読むのが億劫になって、家で読み終わってしまったのかもしれない。


 読み終わる・・・?そこで俺は疑問に感じた。


「・・・なあ、気になったんだけど、毎日そのおじさんは、前日にお前が読んだ所から続けて読んでるのか?」


 俺は今にもバスから身を投げそうな顔になっている斉藤に声をかけた。


「え・・・?ああ、そうだよ。だから話が飛ばずに丁度いいんだ」


「おじさんはいつもどこで降りるんだ?」


「さあ、俺が先に降りるから分からんよ」


「ってことは、そのおじさんはこの時間にしか本を読まないってことだな。お前が乗る停留所にバスが止まった時に読み出して、お前が降りた後、すぐそのおじさんもバスを降りてるってことだ。じゃないと、お前が降りた後も読み進められてしまうからな」


「そうか、確かにおじさん、毎日俺が乗ってきた辺りから本を取り出していたし、俺が降りるバス停の次って1、2分も走ればあるんだ。前に一回、降り過ごしたことがあって、次で降りたことがあるから分かる。その距離くらいなら読み進められないよな。降りる準備をするから直前まで読んだりしないだろうし」


「ああ、だからこの乗ってる人の中に、もしそのおじさんが混じっていたら、きっとその停留所で降りる筈だ。そこを押さえてみよう」


「おお!お前すごいな。まるで星林達郎みたいだ!」


 感嘆の声を上げる斉藤。その声にまたも周りからの視線が。


「うるさいな。静かにしろ。ってか、誰だよそれ」


「例の推理小説の主役の探偵さ。少ない手がかりで真実に導く名探偵ってね。まるでお前みたいだよ。」


 聞いたことの無いかなりマイナーな探偵だったが、手放しで褒められ、名探偵と言われて、俺は恥ずかしいながらも悪い気はしなかった。褒めるのが上手い奴である。


 しかし、それと同時に、斉藤の得意分野であるこの口の上手さで、水原さんとも仲良くなったんだなと、二人の裏側を垣間見えたような気がしてつまらない気もした。忙しい感情である。


 斉藤がいつも降りるという、会社近くの停留所をわざとスルー。そのまま走っていると、すぐに運転手が次の停留所をアナウンスした。俺は人ごみの中、手近な降車ボタンを探しそれを押した。


 扉が開く。すると、座っている乗客は次々に立ち上がり、つり革に掴まっている客は手を離し、列になり降りだした。ここはオフィス街に一番近い停留所だから客の大半は降りてしまうのだった。


 しまったと思い、俺たちも後に続き降りると、素早く列から離れダッシュでその流れを目で追った。


 行列の中にはおじさんと呼ばれるに相応しい年齢層の人は結構いた。そして頭の薄い人もさっきも言ったが大なり小なり結構いる。この中から探さなければならない。俺はその人の禿げ具合を見たことがないのだから、後は斉藤の記憶力に賭けるしかない。


「おい、分かるか?思い出してくれよ、どんな禿具合だったんだ?」


「ちょっと静かに。集中してんだ・・・」


 斉藤は斉藤は真剣な顔で列を見つめていた。この中から禿げたおじさんを探す。冷静になると馬鹿らしくてちょっと笑ってしまいそうだったが、斉藤のマジな横顔を見てそれを改めた。こいつは一つも笑う余裕などなく真剣なのだ。俺も付き合うといった以上、真剣にならなければならないようだ。


「あの人かな・・・?」


 自信無さげな声だったが、斉藤は一人のおじさんをピックアップした。紺色のスーツをピシッと決めた、中々体格のいいおじさんだった。頭を見ると白髪交じりで後頭部は・・・、確かに禿げていた。


「よし、声かけてみようぜ」


 知らない人に声をかけるのは当然抵抗あることなのだけど、今日の俺は妙な使命感とテンションの向上があって、スムーズに声をかけることが出来た。何故だろう、こんな100パーセント他人事の事に躍起になるなんて。


「いや、私じゃないよ・・・」


 結果は空振りだった。肩を落とす斉藤。でも、不思議と俺はがっかりはしなかった。そんなすぐに成果は現れないだろうと思っていたからである。


「ああ、どうしよう。もう、手がかりは無いのかぁ」


 再び絶望の色が顔に滲む斉藤。


「うーん、先に降りなければよかったな。この次の停留所の可能性も捨てきれないし、それらしい人が降りた後で、俺たちも降りればよかったかな。まあ、あの混雑じゃそれも出来たかどうか」


「もう手遅れじゃないかよ。どうしたらいいんだぁー」


 頭を抱えて跪く斉藤。そんな姿を通行人たちが一瞥していく。さっきは混んでていて出来なかったが、俺は他人のふりをしようと、この奇行な男から離れた。


「如何せん、手がかりが少なすぎるな・・・。この辺りは只の大通りだし」


 斉藤から離れた俺は辺りを見渡してみた。国道沿いにあるオフィス街。近くには警察署や市立病院なども立ち並ぶビル街だ。といっても、さっき俺たちが乗った停留所も国道沿いだったし、景観に大した違いは無い。


「・・・オフィスも多いし、サラリーマンのおじさんなんて星の数ほどいるだろうな。その中から一人を割り出すなんて不可能だな」


「おいおい、諦めんのか?」


 いつの間にか俺の傍に寄ってきていた斉藤。その顔は半べそ状態である。


「そうじゃないけど、他に手がかりは無いのかなと思ってさ」


「うーん、そう言っても本当に普通のおじさんだったしな・・・」


 しばらくの間があった。斉藤は何か思い出そうとしているらしいが、あまり期待は出来そうにない。


 待ってる間、俺は腕を上げて伸びをした。眠気がまだ残っている。これ以上の展開が望めないなら、ここにいても仕方が無い。さっきまではこの探偵ごっこに少なからず使命感を持っていたようだが、何も成果が無いなら、ただの野郎どうしの散歩になってしまう。それはちょっとご遠慮願いたい。


「・・・そういや、サラリーマンっぽくはなかったな」


「ん?どういう事だ?」


 腕を下ろして斉藤を見る。


「服装がスーツじゃなかったんだよ確か。ジャージみたいなラフな格好だった。」


「おいおい、それ早く思い出せよな。さっきの人思い切りサラリーマンじゃん」


「悪い、でもそれが分かったところでって感じだよな」


「いや、少なくともその人は出勤のためにバスに乗っていたんじゃないってことだ。ジャージ姿で出勤はありえないからな。なら、この辺りで降りて一体何をしているのか。毎日だぜ?仕事してないのにオフィス街に用があるか?普通」


「ん~、そうだよな確かに」


「ちょっとこの辺りを調べて見よう。ジャージ姿でも不自然じゃない場所があるはずだ」


「よし、行こう・・・」

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