第66話 井の中の蛙

「ちょ、どういう意味ですか先生!?このおばさんに修理を頼んだのは先生なんですか?」


 真鍋は先生に詰め寄った。ごもっともの反応だろう。俺だってそうしたかもしれない。


「・・・そうだよ、その前に村上さんからTVの修理を頼まれたろう?それも私が頼んだんだ」


 成程、だからさっきTVの事を知っていたのか、納得した。って、いやいや、納得はしたけど理解はできない。何でそんなことを真鍋の担任だったこの先生がやったのか、その意味は全く分からなかった。


「・・・それで真鍋君、結果はどうだい?TVも冷水器も全く直せなかったそうじゃないか。これで分かったはずだ、自分の身の丈をね」


 淡々と語る先生。俺はその間、どうして先生がそんなことをする必要があるのかを考えていたが、残念ながら答えは出なかった。


 多分、俺と真鍋をくっつけようとしたのも、この謎行動に関係があるに違いない。だから俺は、あの定食屋で先生と話した言葉を思いだしたり、真鍋とのこれまでを思いだしたりしてみたが、やっぱり答えは出ない。


 俺は斉藤に言われた、あまり首を突っ込むなという言葉を思い出す。


 思い出したのだがもう後の祭り。俺はすっかり首どころか、体ごとズッポシ突っ込んでしまっている。先生の謎行動の謎。これまでの奇妙な事件の様に一応推理を試みてみたが、今回は全くといっていいほど何も分からない俺なのだった。


「・・・俺の身の丈って・・・。」


「全てはその為だ。己の身の丈を知ってもらい、自分がいかに非力で、お山の大将で、井の中の蛙なのかを知らしめたかったんだよ。そのために、この村の人に骨を折ってもらった。村上のおじいさんの孫も、そちらにいらっしゃる定食屋のご婦人の息子さんも私の元教え子だからね」


 俺はまさかの展開に振り返っておばさんを見た。


「びっくりしたよ、昨日うちで食べてくれた後、息子がお世話になった小林先生だって知ってね。その先生の頼みなら断れないだろう?・・・それじゃ先生、私はこれで・・・」


「はい、ご協力に感謝します」


 定食屋のおばさんは去っていった。


 俺は先生の言ったことを思い返してみた。身の丈、非力、お山の大将、井の中の蛙・・・。つまりそれって、真鍋がこの村を出たことが無いってことが関係しているんじゃないだろうか?定食屋で先生が見せていた、真鍋に対する並々ならぬ感情。きっとそれもこのことが関係しているに違いない。


「ど、どうしてそんなことをするんです?俺に何か恨みでもあるんですか?」


 真鍋は混乱しているようで感情を露わにした。気持ちは分かるけど。


「恨みじゃない。後悔なんだよ・・・」


「・・・後悔?」


 意外なフレーズが先生の口から飛び出した。どういう意味なんだろう。しかもさっきまでの、どこかトゲのある雰囲気が、この言葉が出た瞬間無くなっていた。


「・・・覚えているだろう?君が中学の時に、学校の柱時計を直してくれたことを」


「お、覚えてます・・・」


「その時、私は君の機械いじりの才能を凄く褒めた。嬉しかったんだよ、それまでの君は、大人しくてクラスでは目立たない存在で、勉強も運動も苦手なタイプだっただろう」


「え、ええ・・・」


 真鍋がそんな地味な存在だったとは知らなかった。まあ、柱時計の事は真鍋の口からも聞かされていたけど、わざわざ自分の恥部を話す人はいないだろうから当たり前か。


 勉強や運動の不出来は仕方ないにしても、大人しかったというのは、今の真鍋を見てあまり雰囲気を感じさせないなと一瞬思ったのだが、ゲームに埋もれる部屋、香織さんを前にしての態度を見ると、片鱗は見せていたのかもしれない。


「あの時は担任として、君の才能が嬉しくてとにかく褒めた。そして君も自信を持ったのか、それまで卒業後の進路が漠然としていたのが、急に工業高校へ通いたいと言ってくれた。それが私には何よりも嬉しくてね。それまでの君からは考えられない輝き様だったことを覚えているよ」


 真鍋は黙っていた。俺も今は先生の次の言葉を待つことに終始した。


「・・・だけど、その後の君にはガッカリさせられたよ。入ってみなくちゃ分からないのに、突然進学を諦めてしまうなんて。確かに君の家庭事情の事は、当時の三者面談で知ってはいた。だけど、君のお母さんは寧ろ君が進学をして未来に羽ばたいてくれるのを望んでいたはずだ」


「そ、それは・・・」


「だけど君は進学しなかった。臆病風に吹かれて、自分の可能性を試しもせず、こんな田舎に燻ぶり続けている。今もね・・・」


 先生の言葉は鋭かった。まさにナイフの様である。本当なら他人事の俺でさえ、これだけのダメージだ。当の本人はクリティカルヒットで堪らないだろう。真鍋の表情は硬く、ナイフが腹に刺さるのを耐えているような感じだ。本来ならとても耐え難い苦痛だろうに。


 ふと、前にも似たような事がなかったかとその時俺は思った。そしてそれが、あのおじさん探しの時に出会った泥棒と、それを捕まえようとしていた元上司のおじさんのやり取りだと分かった。どうも俺は、こういう場面に出くわす星の元に生まれたらしい。って、どんな星なんだか・・・。


「だから試したんだ。君はちょこちょこ村の人から頼まれて壊れた機械を直しているみたいだけど、それだけで、自分は何でも直せて、出来ないことは何もないと思い込こみ自惚れているんじゃないかと思ってね。だから川上さんの家の最新TVを少しいじらせてもらって映らなくしたり、今の定食屋のご婦人に頼んで、わざと直したことが無いであろう、冷水器の水道管を止めてもらったりしたんだ」


「そ、そんな!俺は自惚れてなんて・・・」


「だったら何故村を出ない?その才能があるのなら、こんな村で燻ぶらずに表に出るべきだ。もっと勉強をして、本格的に自立をしたいとは思わないのか?」


「そ、それは・・・」


 真鍋は言葉に詰まった。ぐうの音も出ないとはこのことだろう。流石先生、言葉の重みが違った。


 真鍋はしばらく何も話そうとしなかった。沈黙が流れる。ふと背後では、香織さんが心配そうにしている気配がした。


 本来なら俺の出る幕はないし、この沈黙を破れるほどの勇気を持ち合わせている人間ではないのだが、俺はどうしても気になっていた、先生から頼まれた真鍋との懇意の意味を知りたくて、勇気を出して声を出した。


「・・・すまなかったね、君には世話になった。初対面の男から、いきなり初対面の男と仲良くなれというのも無理な話だと思ったんだが、君は真鍋君と同年代のようだし、仕事もしているようだから、君を近づけることによって、真鍋君にいい刺激を与えようとしたんだよ」


 そう先生は答えてくれた。成程、それで合点がいった俺だったが、途端に申し訳ない気持ちに苛まれてしまった。


「・・・あ、あの、そうなのだとしたら、すみませんでした。俺、真鍋君に村を出てもらうように刺激を与えるどころか、逆にこの村を出ない決意をさせてしまったようで・・・」


「いや、いいんだ。それはつまり、そこにいる彼女の事だろう?君もここの中学の卒業生かい?」


 不意に先生に声をかけられた香織さんは少しびっくりしていたようだが、すぐに頭を深々と下げて挨拶をし、この村の中学の卒業生だという事、今は高校生だという事を説明していた。


「・・・そうか。君が在校中の時は、私は別の学校に渡っていたからね。でも、君のことは間接的には知っていた。昨日、とある大学生から話を聞いたものでね」


 大学生。俺はその言葉を聞いてピンときた。


「も、もしかして、昨日スーパーの駐車場で話していたのは先生ですか?」


「そう、気持ちが悪い話かもしれないが、君たちの行動は何かと追っていたんだよ。それで、あのスーパーで君が大学生と別れた後、彼にどんな話をしていたのかを尋ねたんだ。そして今日のデートの話を聞いた」


「デ、デート?」


 先生の話を聞いて動揺する香織さん。無理もない、香織さんには俺に村を案内するという名目で来てもらっているんだから。


「大学生の話を聞いて愕然としたよ。君が村を出る気が本当に無いってことを知ってね。君一人ならまだいい、でもね、こんな未来有望な若い女の子まで、君はこの村に縛り付けるつもりかい?そんな残酷な話はないよ。香織さんといったね。君の夢は何だい?」


 先生の問いに、香織さんは恥ずかしそうに答えた。


「・・・えっと、弁護士になることです」


「べ、弁護士・・・知らなかった・・・」


 そう言って項垂れる真鍋。弁護士とはすごい夢だ。項垂れたくなるのも無理はない。


「真鍋君、私はさっきこの村を、こんな呼ばわりした。それは本当は本意ではないんだよ?この村は美しい。自然に溢れ、村人たちも皆温かく迎えてくれる。私が教師をやっていた時も、こんな素晴らしい村はないと思っていた。だから、この村を出たくない気持ちもわかる。でもね、一度外に出て、いろんな荒波に揉まれてから帰ってきたのなら分かる。でも君はまだ何も始めちゃいない。中学で完全に時が止まっているんだ。あの時、君が臆病風に吹かれず、進学していたしたら、今頃立派な技術士になって活躍していただろう。そうしたら、村上さんのTVや定食屋の冷水器が本当に壊れていてもわけなかっただろう。私が言いたいのはそこなんだ。折角の才能があるのに、それを試しもせずに時が止まった君をこれ以上見ているのは辛いんだ。自分を責めたよ、あの時君を過剰に褒めすぎたと。でもあの頃の君は、本当にどんなことにも消極的で自信無さげだった。でもあの時は、そんな君が輝けた唯一といってもいい瞬間だった、だから私はあれだけ君を褒めたんだよ。でも、それからの君を見続けて私はずっと責任を感じていたんだ。だから毎年この時期、ヤマメの釣れる時期に必ずこの村を訪れては、君の生活ぶりを見ていたんだ。何か自分に出来ることはないかと思ってね。でも、教師と先生の関係でなくなった私に出来ることは限られていた。だから、たまたま知り合った彼に君を託そうと考えたんだよ・・・。許してくれ真鍋君。私には何もできなかった。無力だった。私に出来ることは、無作為に君の才能を焚きつけて、この村に縛り付けることしかできなかったんだ。許してくれ・・・。こんな私を許してくれ・・・真鍋君・・・」


 先生の声が段々と震えていくのが分かった。さっきとは反対に、先生が項垂れてしまった。そんな先生にどんな言葉をかければいいんだろう。


 この一連の真鍋晋作に対する謎の騒動の全容は分かった。分かったんだけど、全然すっきりしない。何とも言い難い結末になってしまったのだった。


 ・・・ん?いや、違うぞ。まだ結末じゃない。真鍋だ、真鍋は今何を思う?それが一番大事だ。真鍋のこれからの発言によって、この結末の後味が変わる。真鍋よ、真鍋晋作よ。さあ、君はどう結論を下すんだい?


 暫くすると、真鍋はくるりと先生に背を向けた。そして、真鍋の視線の先には香織さんがいた。


「・・・香織。俺と結婚してくれないか?」


 え!?真鍋のまさかの発言に、俺は心臓が止まる思いがしたのだった・・・。




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