第9話 おじさん失踪事件
耳障りなアラームを止め、時計の針を見た俺は、一瞬目を疑ったが、直ぐに状況が飲み込めた。あまり飲み込みたくなかった状況ではあるが・・・。
「なんであんなこと言ったかなぁ」
本日最初の一声を、重いため息と共に暖房が切れてすっかり冷えきった床の間に吐き出す。
一時間近くの早起き。いつもなら目覚めと共に窓の方を振り返ると、カーテンが白く目映く光り、鬱陶しいながらもおはようの挨拶をしてくれるのだが、今日は黒くて薄暗い、しめやかなお出迎えだった。
それもそのはず。厳冬一層極まるこの時期、こんな時間に起きても日が昇っているわけがない。なのに何故こんな時間に起きてるんだろう。一体何を考えているのでしょうか・・・。
このまま忘れて寝てしまおうか。さっき飲み込んだはずの状況も、実は歯に挟まっていたということで見逃してくれないだろうか。だって飲みたくないじゃないか。小さい頃は、苦い錠剤の薬が中々飲めなかったものだ。薬の場合は飲まなくては治らないので頑張って練習したものだが、こいつの場合は全くそんな必要はない。飲めば逆に病気になるかもしれないしね。
そう考えれば考えるほど俺の身体は重くなり、背中は布団に吸い戻されそうになる。ほら、この身体の重さ、やっぱ病気だよ・・・。
凍てつく洗面所の床の上。冷たい床になるべく触れないように、自然とバレリーナのような立ち方になる。目の前の鏡を覗くと確かに悪い顔ではないのだが、自分がバレリーナの衣装を着て舞っている姿を想像すると流石に気持ち悪かった。
洗面所で歯を磨きながら、改めて昨日の事を思い出してみる。
やはり昨日の俺はおかしかったのだと思う。使命感と充実感。昨日の俺はそれらに駆られて、実に有意義な1日を過ごせたと思っていた。行きつけの所には負けるけどラーメンも旨かったし。
こういうのも新鮮でいいもんだなとその時は思いもしたが、歯を磨きながら改めて考えてみた今、きっと、いや、絶対勘違いだという結論に達した。
そう、ただあいつのペースに巻き込まれただけなのだ。こうしてまた朝を迎えてみて、激しい後悔をしているのがその証拠。会社という地獄に向かう俺に与えられた最後の一時。そんな貴重な時間をあんな奴のために割かなくてはならないなんて、愚かにも程があるというものだ。
それに、そもそもその地獄から抜ける話はどうなったのだ。あんなに辞めると息巻いていたのに、今ではすっかり沈静化してしまっている。そんなこと言いましたっけ状態だ。
いや、それだってきっと斉藤のせいに違いないのだ。あいつのくだらないおじさん探しのせいで、こっちのペースが狂ってしまったに違いない。
あいつと関わらなければ、今頃山田に辞表を突きつけて、あの温かい布団の中で、今春行く予定の渓流釣りの計画を練ったり、玄関に止めてあるマウンテンバイクの手入れをしたりして、決して外には出ない筈だったのに。いや、流石に仕事は探さなければいけないけど・・・。
ぐちゅぐちゅと、口の中で歯磨き粉の混ざったぬるま湯を転がす。ふと、飲んでみようかなと思った。普段やらない行動をとれば、未来が変わるような気がしたのだ。
だが、すぐ馬鹿馬鹿しく思い、そのまま勢いよく吐き出した。その勢いが強くて、ネクタイに飛び散る。染みになっていくネクタイ。そんな俺の気持ちは・・・、皆さんお察し下さい・・・。
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