第5話 おじさん失踪事件
朝、目覚ましがいつものように鳴り響いた。しかし、休日の日にこの音はイレギュラー極まりなかった。
鳴らさなくていい目覚ましの音を不機嫌に消すと、俺はむくりと起き上がりシャワーを浴びた。
待ち合わせ場所は、斉藤がいつも利用しているバス停だった。場所柄原付を止める事が出来なかったので、迷った挙句タクシーを利用することになった。距離的に歩いては行けず、バス停前なのだからバスを利用すればいいと思ったのだが、我が家からだと複雑で乗換えをしなくてはならない。朝っぱらからややこしいのは勘弁なので、渋々タクシーというわけだ。全く、とんだ出費である。メリットはただ河童ヘアーにならないことだけだ。
最初からバスに乗れよと思われそうなので、タクシーの運転手に行き先をバス停と言うのは恥ずかしかった。
なので、近くにあるコンビ二前で降ろしてもらい、後は歩きとなった。
外は相変わらずの寒さ。ポケットには携帯より必須携帯であるカイロを入れていたけど、そんな物は気休めにもならない程だった。
斉藤は先に来ていて、俺に気づくなり申し訳無さそうに迎え入れた。
「悪いな本当に。寒いなぁ今日も」
手袋越しに手を磨り合わせる斉藤。俺もダウンジャケットのポケットに手を突っこんだだまま、互いの白い息を混じ合わす様に話した。
「全く、面倒くさいことこの上ないよ。終わったら昼飯にラーメン奢れよな。うちのラーメン屋より旨いとこじゃないと承知せんぞ?」
「そりゃあ、当然でございますよ」
俺は停留所に張られた時刻表に目をやった。
「7時46分に来るバスにいつも乗ってるんだよ」
「あと少しか。でも、今日そのおじさんが乗ってたら俺は必要ないわけだよな」
「いやあ、乗ってたら一番いいんだけど、その時は声掛けるの手伝ってくれよ。その本のタイトルを教えてくれってさ」
「ふん・・・」
その時、凍てつく風が頬を打った。たちまち身体を風下に向ける。
今日は本当に寒い。確か昨夜の天気予報で美人予報士さんが、明日は今年一番の寒さだから、お出掛けはいつもより厚着をしてお出掛けくださいとか言っていた。
だが、普段から服に無頓着な俺は、生憎厚着用の服を持ち合わせていなかった。なので今日も何時もの一張羅であるダウンジャケット1枚。昨日の予報士さんの忠告が骨身に染みた瞬間だった。
そんな今年一番の風を背中で受けながら、俺は一体朝から何をやってるんだと改めて思った。
本当ならまだあの暖かい布団に包まっていて、昼には階下のラーメン屋で好物のネギ大盛ラーメンを食し、その後は美人予報士さんの忠告を守って一歩も家から出ず、週末は暖かくなるというこれまた美人予報士さんを信じて、部屋でぬくぬくと釣り雑誌でも眺めていようと思っていた。
それなのに、斉藤のせいでいつも会社に出勤する時間に起こされて、こんな冬将軍の寒空の下で頭の禿げたおっさん探しをしなきゃいけない。
何が楽しくてこんなことをしなくてはならないのか。やっぱり、きちんと山田の奴に辞めると言っておけばよかった。言えていたら、こんなことに付き合うはずはなかったのに。
俺はいまさらになって、自分の意気地無しとお人好しさを悔やむのだった。
「・・・それで、乗ってなかったらどうするんだ?」
悔やむ自分と寒さを紛らわすため、俺は仕方なく会話を続けた。
「それはお前と二人で知恵を振り絞って考えるんだよ。いいか?絶対に失敗は許されないんだ。本当に頼むぞ、俺と水原さんの未来がかかってるんだ。上手くいったらラーメンどころか焼肉をたらふく食わせてやるからさ」
未来・・・?そこで俺はカチンときた。
考えてみれば、いや、考えてみなくても、これが上手くいって、結果、斉藤が水原さんとこれまで以上に仲良くなったら、俺はただただ損するだけである。焼肉なんか釣り合いにもならない。
そりゃあ損も何も、いずれ辞めようとしている人間には端から関係ない話だし、そもそも俺には水原さんは過ぎた人で、まさか付き合おうなんて大それた事は考えちゃいない。
しかし、他の誰かならいざ知らず、よりにもよって、この斉藤に好き放題されるのなら話しは別だ。こいつを倒して、代わりに俺が水原さんとまでは勿論いかないが、せめてこいつの邪魔をして上手くいかないようにする必要はあるのではないかと思うのだった。
俺は一体何をやっているんだろう。
本当はこのまま回れ右をして帰るか、もっと酷いなら調子乗りの竹下あたりをそそのかして、もっと面白い推理小説を勧めさせたりるべきなのだろうけど、奴の口車に乗せられて、浅はかな安請け合いをしてしまったのは己の責任だ。
なら、せめて真似事だけしておじさんが見つからなければいいのだが、それはそれでわざわざここまで来ておいて骨折り損な気もするし、貴重な休日をドブに捨てたことになる。それもなんだか納得いかない。これは中々難しいところである。
そうやって、自分の身の振り方を考えていると、俺はバスが向こうからやって来るのに気がついた。どうやら結論を出す前にタイムリミットらしい。俺はため息をつくと、仕方なく腹を決めることにした。これから先は、こいつに奢らす高級ロース肉のことだけを考えることにしよう・・・。
バスが止まる。斉藤の話していた通り、扉が開く前から中の込み具合が見てとれた。うんざりしてしまうが乗らないわけにはいかない。
さあ、おじさんは乗っているのか・・・。
そう考えると変な緊張感に駆られる。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じていた。
「頼むぞ・・・」
そう呟きながら斉藤はバスに乗り込んだ。俺も後に続く・・・。
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