第6話 <一の部屋>

 どこからともなく現れたそれは自分を見て笑っている――。口だけが不自然なほど横に伸びている。全身黒ずんだ肌に乱れた長髪、乱れた白い服。髪で隠れて片方しか見えない目は飛び出しそうなほど見開いていた。


 向かってくるか?


 ナオキは瞬間、部屋全体を見て武器になりそうなものがあるか逃げられる場所があるか探した――。部屋の入り口と反対側、ナオキから見て右後ろには扉がある――。

 薄暗くて入った位置からはハッキリと見えなかったがやはりあれは扉だ――。


 ちゃんと逃げ道になるか、鍵は開いているか確かめようとしたとき、それは動き出した――。よりいっそう口を裂き上げ、人の頭が入りそうなほど開いたが声を発するわけではなく、重心を低くしてから一気に詰め寄ってくる。狙いは首か頭か――ナオキの顎のほうへ手を伸ばしてきた――。


ドスッ


 ナオキはそれを思いっきり蹴り上げた。それは身を反らしのけぞる――


 手応えはあった。低い姿勢で向かってきたそれの胸に蹴りが直撃した。ちゃんと質量がありダメージがあったか分からないが物理的な力を受けている。


 自分と背丈も変わらない。女というほど柔らかそうな体ではないが男というほどごつい体でもない。このぐらいの強面こわもてならホラー映画でも見た。緊張はしている――全く怖くないと言えば嘘になるが、立ち向かえないほどではない――。


「おらああぁ!」


 恐怖を吹き飛ばすためとネットで見た幽霊は大きな音に弱いという情報を頼りに大声を出しながら、チョッキから取り出したお札を押し付け、その勢いで突き飛ばした。さらに、たたみかけるように数珠を取り出し音を鳴らす。


 効いているようにも見える。それは反った体制のまま床まで落ちて、ちょうどブリッジの形になった。このまま消えてくれたら楽だが、目を背けたくなる光景の中で効かなかった場合の次なる手を探る――が、考える暇ほぼもらえず、また不気味な笑顔を見せられた。


 それは縮めたバネが元に戻るように一瞬で上体を起こし、そのままの勢いで飛び付いてきた。反応が遅れ、床に背を付けてしまった状態で覆い被される。


 逃れる為に腰を捻り、足をバタつかせながら襲ってくる手を防ぐ。掴んだ手から体温は感じないが人の手の形だ。その手は壊れた機械のようにでたらめな力で何度も繰り返し首めがけてしなり伸び固まる。


 死にたくない――どけ化け物――


「うおおおおお!!」


 殺されてたまるものか。ナオキは再び吠えて、力を絞り出す。


 もがき、相手の力が抜けるタイミング、力が入りやすい手の位置を感覚で狙い、手を掴んだまま一撃を食らわすことに成功した。張り倒し、すぐに立ち上がって蹴りを入れる。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかだ。


 ナオキは最も近く、この部屋の中では唯一武器になりそうな四足のイスを持ち上げ振り下ろした……何度も……何度も……何度も……それが動かぬと確信できるようになるまで。


 鈍い音だけがナオキの神経を刺激した。手の感覚もいまいち感じない。ぼーっとぼやけて目に見える光景は悪夢よりもひどい。


 ………………こいつはいつから動けなかったんだろう?


 疲れて持ち上げられなくなったイスを、形を変えた肉塊に預けて、部屋の壁まで下がった。わずかに見えるそれの口元はまだ笑っている――。


 だけどもう動かないと分かる。ドアが現れた。入った時に無くなった入口のドアが再び現れた。


 操り人形の全身に付いた糸が切られるようにナオキはその場に崩れ落ちた。

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