第5話 笑みを浮かべる霊
アルファベッドがたくさん並べられた黒い服と秋なのに短パン。女はまっすぐ伸びた茶色い髪が前方に寄っていて顔も少し隠れている。前屈みで顔を覆っていた状態から立ち上がってそのまま出てきたんだろう。
女はこちらへ、やや早足でやってきた。後ろにスペースはないのでまずい状況かもしれないが、ナオキは棒立ちのまま接近を許した――。かわいかったのだ。単純に表情が見える距離にきた女の顔が驚くほどかわいかったので見とれてしまった。
目の前まで女が来ると、いきなり手に柔らかい感触がした。女に手を握られ引っ張られる。ナオキは意図を理解する暇もないまま再び左側の部屋へ入れられた――。
「座って……」
手を離した女はベンチに座り、隣に座るように要求してきた。ナオキはそれに無言で従った。顔以外から見て取れる情報とは裏腹に化粧は濃くなかった。外で運動しているうちになったようにも見える小麦色の肌からもともと幽霊とは思っていなかったので、顔色が問題なさそうであればこちらも話がしたい。
…………………………………………。
隣に座ってみたものの一向に話は始まらない。女は前方を見て大きな二重の目を細めている。
テーブルのイスにはまだ老人が座っていて何やら爪とにらめっこしていた。時折パチパチと爪と爪で音を鳴らす。おそらく女は今話すことや言葉を選んでいるんだろうが自分から何か言ったほうがいいだろうか。
「君も100億円の為にここへ?」
顔を覗きながら言ったが反応はなかった。同年代なのは間違いなく、20歳くらいの年下に見える。しっかし綺麗だなあ――。
「気を付けてください……ここにいる霊は本当に強力……私は部屋に入る勇気すら出なかった……」
声が震えている。女は前方を見たまま口だけを動かし始めた。
「私もここの調査に応募してここへ来たんです……小さい頃から霊感が強かったから分かる……ここにいる霊は異常……」
いきなり怖いことを言うな……。霊感が強いというのは新情報だが怖くて動けないというのは予想通りだった。
「俺はナオキ。君の名前は?」
「……ユミコです」
「それで君は、ここから出ようとしないの?どうしてもでられないって感じ?」
ナオキはズボンのポケットからスマホを取り出した。同じ境遇の人間が気の毒そうにしているので力になれることがあれば手伝いたい。
「外と連絡は取れませんよ。私も試してみたんですけど、どこにも繋がらないというか電波が届いてないみたいです」
やっぱりそういうのもあ――
「全部の部屋に入ったものだけが出口を開くことができる」
老人が突然立ち上がり部屋に響く大きな声で言った。そしてヨボヨボと部屋を出て行く――。
うるさいなじじい。急に大声を出すな。だが、今のが答えなのだろうか。
さっき言っていた、出たければ全部の部屋の中に入って出てこないといけないというのは100億円チャレンジとは関係のない話か。
「それで私……お願いがあるんですけど……あなたがもしここから出られるようになったら一緒に出させてもらえませんか?……お願いです。私ができるお礼ならなんでもしますんで」
ユミコは祈るように胸元で両手を強く握りながら話し、最後は綺麗な瞳でまっすぐ見つめられた。その引き込まれそうな澄んだ黒目と自然な眉毛は間違いなくギャルという格好にもかかわらず清純さすら感じさせられる。
当然悪い気はしない。一緒に出ることなんて容易いことだしそれでこの子が救われるなら。
「もちろんいいよ。俺、けっこう自信あるし。ちゃっちゃと片付けるよ」
「本当ですか。ありがとうございます。ここで手伝えることがあれば手伝いますよ。何か聞きたいことはありますか?私が知ってることなら話します」
「うーん、とりあえず一つ目の部屋に入って見ようかな……そういえば霊は部屋からは出てこないの?」
「不思議なことに今いる場所には気配を感じません。でも……廊下のドアに触れると……」
ユミコは言葉に詰まり、両手を口に当てる。何かユミコだけに分かる感覚を思い出させてしまったのだろう。
「大丈夫?まあゆっくりしててよ。俺行ってくるから」
口を覆ったまま泣きそうな目になっているユミコは頷いて返事をする。
ナオキは部屋を出てポケットから小型だが強い光をだす懐中電灯を取り出した。挑戦者に選ばれたことを報せる電話のとき持参する物は特にないと言われたので家から持ってきたものはスマホと財布とこの懐中電灯だけだ。
スイッチを入れて、廊下の奥を照らしてみる――。思いのほか行き止まりは近く…………一つづつ、左右の壁に不規則にあるドアを数えると確かに十個だった。
ここは実にシンプルな作りだ。どこかのビルの1フロアのような空間で廊下に部屋が十個と出口に休憩スペース。あるのはそれだけ。このドア一つ一つをクリアすれば100億円が手に入り美少女を救える。
一番手前のドアに手をかけてみた――。特に何も感じないな。ナオキはためらわずドアノブを回した。それじゃあいよいよ始めていくか――。
ドアを開けると体中から力が抜けてふわりと宙に浮いているような感覚に襲われた。そのままドアの向こうへ吸い込まれるように体が移動する。自分以外の誰かが体を操作しているみたいだ――。体全体が部屋に入り勝手にドアが閉まるとその感覚から解放された。
いる――。ここには何かがいる――。
重力が強い……。空気がねっとりと肌を撫でてくる……。自分に霊感なんてものは全く感じたことがないが、今までにないほど第六感のようなものが危険信号を出している。
入った場所から見る部屋の全体はどこかの誰かの寝室といった印象だ。主に白色と茶色で構成されるタンスやベッドといった家具。白いカーペットが敷かれた床は片付いていて無駄なものはない。
息を吸っても吸っても酸素が上手く取り込めてないのか息苦しい。鳥肌が立ってきた。
そーっと部屋の中央へ歩いて行ってみる。視界を支える明かりは正面の小さな窓から入る、か細い太陽光のみで室内は薄暗い。今にもどこからか現れそうだ……
来るなら来い…………
ガタッ
後ろから物音がして瞬時に振り返ると人の形をした何かが立っていた――
笑っている――
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