第32話 拾われる。



 心地よい眠りから、急に起こされる不快感とともに…突如として全身の感覚が戻ってくる。

 ……とても強い衝撃とも言える、全身への強烈な痛覚への刺激を伴って。



「あ、起きたかな?」


「……うっ…!…がああああっ!」



 自然と出た叫びとともに、身体がビクンと跳ねた。


 ──跳ねた拍子に、腕に何か柔らかいものが当たった気がする。



「あ…れ?……んん…?」


「おい!おまえ、その命…もう一度捨てたいか?」



 声と共に瞬時に身体が固まり、冷や汗がどっと吹き出る。


 ただただ、純粋に恐怖とわかる、恐ろしいと思うほどの、怒気を感じた。

 特大サイズの猫から。


 ……これは威圧。


 あまりにも相手との実力差がありすぎる時に起こる、恐怖。

 首輪をつけている時には全く感じなかった、感情。


 恐怖に硬直してしまった身体を必死に動かそうとして、ぎぎぎぎぎ…と、音がしそうな、不恰好な動きになりつつであったが、なんとか首だけは、声の主に向けることができた。


 やっぱり、猫。大猫?。ていうか、幼児を抱え込んだ毛球?

 嬢さんは毛球にほとんど埋もれてて、足しか見えてないけど。


 こんなのに死の恐怖を感じるとか、無いだろう…。我ながら情けなくなる。



「助かったのか…な?…すごーく、頭痛い…」


「頭痛いのはこっちだよ。隷属が解けたところで申し訳ないが、もう一度、奴隷契約してもらうからね」



 ……白い毛球から覗く紫色の目が、こちらをギロリと睨んでいる。

 なんか、可愛いのか格好良さを目指しているのかよくわからない生き物だ。



「えぇー!キミに仕えるのは嫌だなぁ~!そっちの嬢さんがいい!」


「……そうしたいのは山々なんだけどね、そのセシリアを気絶させたのは誰さ……。で、名前は?」



 言われて思い当たったのは、激痛を感じた時に当たった「柔らかいもの」

 あれもしかして……。



「えっ!もしかして俺!?……あ~さっき、腕に当たったのって……うわぁ…嬢さん、怪我してない?」


「びっくりして気を失ってるだけだ。ただ、次はないから。ほら、名前。あと、その精霊をこっちよこして。そのままだと…消えるぞ?」



 視界にふわりと、ずっと何かを必死に訴えて、そばにいてくれてた精霊の気配が現れる。

 うっすらと、気配だけ。

 暗部からの初撃はともかく、その後、攻撃が効かなくなったのは、この精霊のおかげだろう。

 彼女が少しでも楽になるのなら、お願いしよう。



「わかった、彼女を…よろしく。俺はユージアだよ~。もしかしなくても、助けてくれたのは、キミじゃなくて嬢さん?」


「そうだ、セシリアだ。『麗しの水の乙女オンディーヌ、今ひとたび、姿を…』あ、ダメか。もう限界なんだね。おいで、僕の手の上に、おいで」



 毛球が「おて」をする様に手を出すと、手の上に雫の様な小さな水の塊が姿をあらわす。

 そこへ毛球が魔力を込めたのか、水の塊を包むようにさらに水が集まる。


 すると、ふるり、と雫が震えて小さな女の子の形になり、毛球に礼をする。



『──何とお礼を申し上げたらよろしいのでしょうか…力を殆ど使い切ってしまい、この様な姿でのご無礼をお許しください』



 あぁ、初めて、声が聞けた。



「いいよ。…キミはユージアの精霊では無いんだね。随分頑張ったね。ユージアはこちらで保護するから、キミは力が戻るまで、主人の元へ戻って休んでおいで」


『お心遣いありがとうございます。しかしながら今の私の自力では、ここから出る事もままなりません。どうか脱出までお手伝いさせてくださいませ』


「うん、頼むよ」



 毛球がにこり、と笑顔を浮かべる。

 姿も、小さいけど、俺にもまた見えるようになって、ふわふわとこちらへ戻ってきた。



「俺の精霊じゃなかったんだね…助かってよかった。まだ記憶が曖昧だから、君の事をよく思い出せないんだ、ごめんね。それと、守ってくれて、ありがとう」


『勿体無いお言葉です……』



 ふるふると雫が震える。雫が一瞬、小さな人型となり、フレアのドレスがくるりと回って広がるかのように、ふわりと波打ってカーテシーのような形状をとる。

 可愛い。


 その精霊の姿の向こうでは、毛球が訝しむような顔でこちらを見つめていた。



「記憶が曖昧って…隷属の首輪以外にも、何かされてたのか?」

「い~や、首輪で制限というか、消されてたっぽい?」


「ぽい…ってなんだよ…」

「う~ん、まだ色々はっきりしないんだよ~!一気に思い出すモノもあれば、どうでもいい記憶とか…うえぇ」



 なんか、意識して忘れてたわけでも無いのに、「出かけた先で唐突に、予定がブッキングしてた!」みたいな感じにはっきりと記憶が戻るような感じで。

 ……で、今まさに、思い出したくも無いようなモノが一気に思い出されて、嘔吐えずきかける。



「えっと……ご愁傷様?」

「そっとしておいてあげて…」



 頭を抱えてうずくまりたい!というか、部屋の端っこでこっそり1人になりたい…!

 ……なんて言うか、ひどい記憶ばかり一気に溢れてきて、気持ち悪さに吐くどころではない衝撃に襲われた。



「どうもさぁ~首輪つけてる時に『忘れなさい』『内密に』とか言われたやつは、覚えてても強制的に『主人あるじに言われるまで忘れた事』にされるみたいでさ……うげぇ気持ち悪っ!」

「何を思い出したんだか…」



 毛球がちらりと半目のような、呆れた表情で見てくる。



「……聞きたい?」

「遠慮しとくよ」


「きっと、世界観変わるよ~?」

「余計に遠慮するっ!」



 毛球が俯いたまま口数が減ってきていたのは、こういう話が苦手なだけなのかと思っていたけれど、どうやら何かの作業中だったようだ。

 毛球の足元に、赤い円形の紋様が浮かび上がっている。



「急ぐからとりあえずの契約だけど、そうだね、期限は今日から2年。『セシリアの護衛』の契約だ。了承するなら手を出して」

「お、おう」



 そう言われて、手を出すと……。

「おて」をするように手をぽんと置かれた。

 足元に展開されていた赤い円形の紋様が、魔法陣となって浮かび上がり、胸の前で発動を始める。


 その様子を確認すると、毛球は魔力を込めた言葉を呟き始める。



『汝、ユージアよ、ゼンナーシュタットに魂からの服従を』



 俺の胸に、特に違和感も痛みもなく、赤い魔法陣が吸い込まれていった。



「はい完了!」


「早いな~。その魔法、そんな簡単なの?」



 人語を使えて、知能、魔力も高く、高度な魔法も使える。

 毛球は随分、格の高い霊獣のようだけど……。

 嬢さん個人…では使役できそうに無いし、公爵家の使い魔なのだろうか?



「簡単だったら…違法な奴隷だらけになるじゃないか」

「じゃ、また俺、違法な奴隷~?」


「ん?これは正式なやつだよ。もちろん、あとで国に出す書類も書いてもらうから、ちゃんと提出しろよ?」



 ま、違法でも良いけどね。

 主人あるじが嬢さんなら、嘔吐えずくような事態にはならないだろうし。



「──さて、護衛ですからね~。嬢さん運びますよっと。なんかヤバそうなのがこっちに向かってきてるっぽいし?」



 そう言って、毛球に半ば埋もれてる嬢さんを引っこ抜いて、小脇に抱える。

 すやすやと心地良さそうな寝息まで聞こえてくる。



「よく寝てるなぁ……」


「魔力切れもしてたみたいだからな、そろそろ限界だ、移動するぞ」



 牢屋の扉付近に近づいたところで、毛球が思い切り顔を顰める。

 猫の顔の顰め方って可愛いのね!髭がぶわっと立つように広がって、少し牙が出て、鼻の上がしわしわする…。


 危険なのだとわかっていても、その表情に魅入る。


 まぁ、毛球が顔をしかめた理由……臭いんだ。

 動物は嗅覚が鋭いから、キツイだろうね~。



「くっっさ~!ゾンビとかゾンビとか、部隊になってこっち歩いてきてる~」


「足が遅いやつで助かったが…どちらにしろ相手にはしたくないな」



 そうだよね!もうちょっと熟成(!)されちゃうと、無駄なお肉がなくなってスケルトンになって……動きは俊敏になる。

 スケルトンは走れちゃうんだもんね!

 無駄なお肉どころか、筋も筋肉も無くなってるのに、ゾンビより基本的に打撃的な攻撃力も高くなる。


 それと。ゾンビは、返り血というか、返り汁?なんかいろいろ臭いのが飛んでくるから……。

 違う意味でダメージがデカい。



「どちらにしろ、武器も手段もなさそうだから~さっさと逃げたほうがいいよね?」


「あ、僕もさっきの奴隷契約で魔力使い切ったから、あてにしないように」



 ですよね~!

 俺は最後の手段とばかりに、叫ぶ。



「麗しの水の乙女オンディーヌ!出口になりそうなところは…見つかったかい?」




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