第21話 謎の人。
「あれ~…公爵家の嬢さんだ~!…もう捨てられちゃったの?」
突然の声に、飛び上がらんばかりにビクッとする。
男性、と言うにはまだ少し子供のように高めで、力の無いその声の主は、檻の中にあった。
「ぎゅうう!」
「あなたは、だあれ?」
暗がりの牢の奥、ずっと壁側にいるようで姿はよく見えない……と思ったら、床にいた。
床に広がる水溜りの中に、こちらに背を向けて、丸まるように寝転がってるように見える。
薄暗くてよく見えなかったから、しっかり見るために鉄格子に近づこうとすると、鉄格子の内側からバチっと火花が散った。
直後に今度は頭に直接響くような女の声。でもその声はとても弱々しくて聞き取れない。
『た……けて…!』
「びゃ!ぁ…セシリア、行こう。そいつらは君の兄さんを襲ったやつだ」
「おそっ…たの?」
すっと全身に寒気が走る。あの寝間着についていた大量の血はセグシュ兄様のものだったのだろうか。
べたりと寝間着についていた血。
子供の服にしても、あれだけの範囲の布を瞬時に染め上げるには、かなりの大怪我をしてるはずだ。
そしてその原因が、目の前に寝転がっている人と、謎の声。
騎士団に所属するために毎日鍛錬をしている、セグシュ兄様に大怪我を負わせた人物。
……最大レベルの警戒をすべき相手だとは思うけど。
『…も……の!…』
「そうだねぇ、命令だから…襲わないと僕が殺されちゃうからねぇ…ま、依頼通り嬢さんの誘拐は完遂したのに、このとおり…処分になってるわけなんだけど…さ…」
「セシリア、こいつらに君の兄さんは襲われて、君は攫われたんだ!」
ゼンが「ぎゅうぅ!」と唸り声をあげながら、鼻にしわを寄せてる。
かなり大型ではあるけど、猫の姿のゼンの表情は、ただ大きいだけでそのまま猫なので可愛い。
とりあえず今はゼンをなだめるために、頭を撫でる。
「しょぶん?しょぶんだと、ここにくるの?」
「そうねぇ…ここは、要らないものを入れておく場所…かな」
「いらないの?」
「うん…要らないみたい、切っても死ななかったから、ここに棄てられ…た」
『た…け…っ』
「じゃあ、わたしがひろってあげる。たてる?」
棄てられたのなら拾ってあげるよ。……君は重要人物だからね。
正直、今、私がここから無事に助かっても、この人がここで誰にも知られずに処分されていたら、実行犯も指示役も、そもそも組織的な犯行なのかも、きっと有耶無耶になって解決、ということになってしまう。宗教団体は色々な意味で根が深いから、真相の解明などは大人に任せるにしても、少しでも情報は多い方が良い。
事がうまく誤魔化されて、犯人が捕まらないってことはつまり、狙われ続けるってわけだから。
この人がそれなりに協力してくれたなら、犯人の尻尾をつかむどころか、胴体くらいまで、がっしりホールド出来るんじゃないかな?って事で、同じく投獄されていて逃げたい立場であるなら一緒に行ってもいいと思うんだよね。
「……筋を切られてる。腕も…動かないからねぇ…」
「無理かも、あはは」と笑う声が響く。ていうか、そんな状況とか痛くて笑ってる場合ではないでしょうに。
それと…さっきから必死に何かを伝えようとしている、もう1人の声の主を探して、きょろきょろしてるんだけど、見つからない。
声が近づく度に、バチっと鉄格子から火花が散ってる。
「このひばな、なんだろ…」
「それは、精霊だよ。そいつを助けて欲しいって、必死になってるけど…僕は嫌だからね。その精霊だってもう実体化する力すら残ってないし…」
「しょれはダメ。ゼン、ここのカギも、おねがい」
「えー!」
「放っておけば消える」と言いたげなゼンだったけど、消えるとか死ぬとかは駄目。
ただ、助けた結果として、自分や家族が同じような目に会うのはもっと嫌だから、あの人については助けるにしろ、対応を考えなきゃだけど、精霊が消えてしまうのは嫌だ。
「あぁ…ここは魔法やスキルは無力化されてしまうから…あ…でももし、本当に開けれるなら…この首輪も壊して、欲しい…なぁ…」
『…!……!』
遠目だからよく見えないけど、首輪というようなものが確かについているように見える。
全力で嫌そうにしながらも、鍵をガシガシ齧るゼンを見つめていて、気づいた。
(ここのカギは、古い)
つまり、監獄の牢と対になっている、本来の鍵が使われているのだと思う。
しっかり発動しているのなら『古代の貴重な、しかも実用性の高いマジックアイテム』なので、保存したい気持ちがあるんだけど…このまま教会で有効利用されるのには納得がいかないし、徹底的にゼンに食べてもらおう。
……使い込まれてたってことは、相当汚れもあるだろうし…お腹壊さないといいけどね。
ガキンっ!という音とともに、カシャン!と甲高い音が響き渡った。
解錠成功かな、最初の音はゼンが鍵を噛み砕いた音で、甲高い音はきっと、魔法効果が鍵と一緒に壊れた音だと思う。
「ついでだから、首輪も外してやる。その精霊を解放してやれ」
「……そりゃ、あり…い…」
「かいほう?」
「…そい…は…ぁ…」
男性の反応が徐々に薄くなる。怪我をしているふうな話だったし、状況が気になって、開いたドアから中に入る。そばに近づいてみると、思っていたより酷い状況になっていて、色々と考えていた頭の中が綺麗さっぱり真っ白になった。
苔やカビだらけの石造りの監獄で、地下水が浸み出したであろう、水たまりに転がってたのではなく、自らの血溜まりの中にいた。
呼吸はしっかりできているように見えるけど、胸の上下する動きが大きくて早くて、魚のように時折口をぱくぱくしての口呼吸に見えた。
これは下顎呼吸だったと思う。この状況でいうなら、死戦期呼吸になるのだろうか。
そうだとしたら、冗談じゃなくこの人はもう長くはないって事になる。
──そう理解した途端に寒気が走る。冷水を被せられたかのように身体が震えと、固くなる。
これは前世でも見てきた症状だった。私は医師ではなかったから、完全に理解していたわけじゃないけれど、説明には血圧が極端に低下すると出てくる症状で、大体この症状が出ると、早ければ数時間、頑張っても数日のうちに息をひきとるって…。
「ゼン、たしゅけたいの、くびわはずして!」
「セシリア、この首輪は『隷属の首輪』というマジックアイテムだ。これを外すと、受けていた命令を反故にできて…本心のままに動けるようになる。命令されていたとはいえ君の家族を
「……まぁ、首輪は外してやるけどさ」と、ぼそぼそと小さく呟いた後、ゼンは首輪を外しにかかる。
身体の大きなゼンが首輪に牙を立てて、ガリガリやってる姿は、一見すると襲われてるというか食いちぎろうと首に噛みついてるかのようにしか、見えないんだけどね。
(早く早く!とにかく血を止めないと…!)
私はその様子を横目で確認しつつ、血溜まりを作ってしまったほどの大量出血をした、怪我の場所を探していた。
……大きな傷は二箇所。左の脇腹、肋骨のすぐ下あたりと、左の太腿の外側。
まずは太腿に手をあてて、声に魔力を込めて呟く。
『みず、みず、ふかく
するりと、視界と感触が身体の中を透過するかのように、皮下が見える。昔、テレビで観ていた医療ドラマの人体構造のCGの様にはっきりと、断裂された皮下組織…血管、筋肉や筋、神経や骨の位置まで、実際に触っているかのような感触とともに、実際の視界と重なるように見えてきた。
──とにかく切れてしまった部分をつなぎたい。
……と思ったら泣いてました。これは汗じゃないね。
そりゃそうだよねぇ。前世で見てたドキュメンタリーなテレビ番組で、なんだっけな?ガン治療の最先端?とかいうやつで、手術風景とか、当時成人していた私が見ても、ガン細胞どころか、健康な部分が見えてるだけでも気持ち悪かったし。おかげで一時期、それで見た腫瘍の形状と似ていたカリフラワーやブロッコリーが苦手になったし。
あれだって出血は最小限に抑えての「手術」だから、もし何かトラブルが発生しても、すぐに対応出来るように、執刀医の他にも医師や、各種スタッフ、それに設備が充実してる場所で行われているものだったし。
そんな環境とは真逆で、出血どばどばで一刻一秒を争う自体とか…緊張どころの話じゃないし。
しかも今、魔法を使いながらだけど、内臓やらを覗いたりくっ付けたりって、やってる事は外科の腹腔鏡手術とか縫合結紮みたいなもの…って簡単に言ってるけどかなり難しいらしいからね!
──魔法さまさまである。
プレッシャーや恐怖や、色々なものからの心への負荷。
そう考えながらも、自分を励ましつつ、魔力を込めてもう一度囁く。
『みずで、つなぎたいの。はなれないように、しっかりくっつけて…』
太めの血管や筋の切れている部分を見つける度に、粘性を持たせた水で接合していく。仕上げに皮膚も接合する。
脇腹の傷は、肋骨のすぐ下だと思ってたのに、実際は一番下にある小さな肋骨が欠けていた。
刃物で切りつけられた時に、この肋骨が刃先を受け止めて、内臓へ達するような致命傷を防いだみたいだった。
──カシャン!と金属が石畳に落ちる音が響いて、ゼンの動きが止まった。
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