16 孤高のグルメ モブがうるさい

 昼になる頃には集中力が途切れ、腹の虫が鳴き始めた。

 エレベーターで十階に降りて、庁舎の食堂に足を運ぶ。

 入り口は狭く、食堂以外のテナントは地域の共用部屋と、区役所に構える店らしい作りになっている。

 入り口には黒板型の看板に、ランチが宣伝されていた。


 今日の日替わりランチはサバの味噌煮定食。

 それを確認すると、食堂の中へと足を踏み入れた。

 

 食堂内はよく清掃されていて、ワックスのかかった床も白い壁も、清潔感がある空間を成している。


 最初、この食堂のシステムには戸惑ったが、六日目となれば慣れたもんだ。

 官公庁の店にしては稀な、料金の後払いに制なので、先にメニューを決める。

 入り口から見て、向かって左の列はカレー、右の列は定食の列。


 日替わりランチの宣伝文句に誘われたのもあるが、午後に備えて、しっかり胃に蓄えたいので、今日は定食の列に並ぶ。

 

 ランチは人も混み合い、グラスのこすれる物音や、レジ精算する電子音、店の店員の客を呼ぶ声、職員の雑談が入り混じり左から右へと、流れるプールのように人が回って行く。


 列で待っている間、ふと目に止めたガラス張りの冷蔵庫。

 店の入り口にある冷蔵庫には、お茶やジュースの横にビールや日本酒の冷蔵庫があり、早くも夕方退勤する職員を、持て成す用意が出来ている模様。


 列が進み順番がくると、ランチの乗ったトレーを受け取る。

 サバにかけられた味噌ダレが、ほんのり香り食欲が更に刺激された。 

 トレーを持って最近の、お気に入りのマイ・スポットへ持ち運ぶ。


 窓は横断歩道を壁に貼り付けたように、ガラスと白い柱が交互に並び、一つ一つの窓が大きい為、蛍光灯が太陽光に負けてしまうほど、日の光が中へ取り込まれる。


 窓側の席に腰を下ろすと、ガラスの外には皇居、北の丸公園が見渡せ、都心に現れた熱帯雨林のように思えた。

 この食堂で楽しみなのは、十階から街の中枢を一望することで味わえる、天空のレストラン。

 眺めの良さも合間って、席は窓側から埋まっていく。

 このスポットを占領する為、食堂へわざわざ早足で来ているのだ。

 

 景色を満喫した後で、次は腹を満たそうと、サバの味噌煮定食に目を向ける。

 トレーには、ふっくらとたご飯に温かい味噌汁。

 飾りのように置かれたお新香。


 そうそう、コレコレ。


 そしてメインとなる、皿に乗ったサバ。

 カラメルのようにかかる味噌ダレは、サバの銀色に光る皮を、琥珀色に染めていた。


 天に恵みを感謝するように、ランチの前で手を合わせ小さやな声で「いただきます」と、自身に号令かけて箸を持つ。


 サバに箸を突き立て身をほぐすと、中の熱が居場所を見つけられ、慌てて逃げるように湯気が立ち昇った。

 箸でつまんだ身を、味噌ダレの溜りに漬けて、絡め取る。

 開いた口へ近づけ、舌の上に乗せた後に咀嚼を始めると、味噌のしょっぱさと風味が口いっぱいに広がり、そのまま息をすると鼻孔まで一気に通気した。

 白身の歯ごたえは顎の力がいらないくらい柔らかく、すぐほぐれて味噌ダレとダンスするように混ざり合う。


 ん〜……美味うまい。

 可もなく、そして不可もなく、普通に美味しい。


 舌鼓していると、背後の席から男性二人の声。


「トッコウ係に人が入ったらしいぜ?」


「マトリも人手不足ってことか。都庁の薬務課から来た人間だろ? デスクワーク畑の奴に、捜査現場が務まるのかよ?」


「無理だろ。なんせ、トッコウだぜ?」


 その気の毒な奴は、あんた達の目の前にいるんだけど。


 背景と同化したよな、モブ同然の二人。

 合同庁舎の職員だろう。

 完全な他人事から勘ぐるに、区役所の人間か、何か薬事に関する事務方か?

 新たな人事は庁舎内では、冷やかしのネタとなるのは、ある種の通例。


 庁舎には千代田区役所を始め、さまざまな部署が存在するが、一つの建物内で行われる噂の流通は、亜熱帯の名を介す某ネット販売のように早い。

 二人はモブ独特の、クドいまでの説明口調で、雑談を続ける。


「気の毒な奴だよ。ただでさえ激務のマトリなのに、その上、トッコウだろ? トッコウと言えばゾンビだろ?」


「あぁ、経験した奴はそれこそ、ゾンビみたいになって、元の部署に帰って行くらしい」


「ゾンビの血肉とゲロまみれになるなんて、ごめんだよな。そんな人間に近づきたくねぇよ」


 食事時に持ち出すような話ではないのは勿論だが、モブ達のあからさまな解説が、耳障りでイラつく。

 思わず溜息が漏れ、心の内であざ笑う。


 なんだか脇役モブがうるさいな。

 所詮は解説だけの配役を任された、ノンプレイヤー。

 こっちに言わせれば、そちらの方がお気の毒様だ。


 自分が任されている業務自体は、都庁舎で行っていた仕事と変わりないので、苦ではないが、やはり思っていた現場の仕事と違うと落胆する。

 このまま雑務だけで出向期間が終わり、元の部署へ戻されるのだろうか?


 これでは、やる気が萎えて、それこそゾンビになりそうだ。


 ランチが終わると、トレーを返却。

 レジで精算を済ませ食堂を出ると、麻薬取締部のオフィスへ戻った。

 相変わらず資料作成のデスクワークで、一日が過ぎる。


>C20H25N3O


 一週間が過ぎた。

 少し肩の力が抜けて出勤へのプレッシャーが緩和され始めていたが、その日、特捜のオフィスへ来ると、さほど広い室内ではないにもかかわらず、まるで引っ越しの荷物をひっくり返したような忙しさが、目に飛び込む。


 中へ踏み入れることを躊躇していると、六道りくどう課長の目に止まり、手招きされる。


「おぉ、天童君! 来たか。人手は少しでも多い方がいい――――今から違法薬物の捜査現場に向かってもらう」


 今度こそ、間違いなく、ついに来た!


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オーヴァードーズ・デッド ~ゾンビ化・薬物事案~ にのい・しち @ninoi7

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