√東條姫乃 その4

 えっ? 今……東條さんの口から冷夏(レイカ)おばさんって声が聞こえてきた気がするんだが……。


 「ねぇー東條さん。今、冷夏おばさんって言わなかった?」


 「はい、言いましたよ……」と東條さんはしゃくり声を上げながら、手の甲で涙を拭った。


 そ、そんなはずはない。だって、母さんは俺がもう小学生に上がる頃にはもう死んで……東條さんに、俺は一度も母さんの名前を教えたことはない。


 それなのに……彼女はそれを知っている。


 「どうして東條さんが俺の母さんのことを知っているの?」


 すると彼女は「えへへ」とぎこちない笑みを作り、呆れたような、悲しいような、怒ったような複雑な意味が込められた声で言った。


 「もうぉーやっぱりユウヤくんは鈍感ですね……私はずっとずっと昔からユウヤくんのことだけを見ていたのに……それなのに……ユウヤくんはそんな私を忘れてしまうなんて……」


 ずっとずっと昔から俺だけを見ていた? ……一体どういうことなんだ。


 「だって、俺と東條さんが最初に出会ったのは病院のはずだ!」


 「その通りですよ……」と彼女は静かに答えた。


 「そうだ。あの日は俺が弥生先生から東條さんにプリントを届けろと頼まれて、俺は東條さんがいる病院に行ったんだ。そこで……俺はキミに初めて出会った」


 今でもその姿を覚えている。ベットから腰を起こして、本を読んでいる彼女を見て、とっても綺麗な人だと思い、一目惚れしたのを覚えている。

 そんな彼女に見惚れてしまい、呆然と立ちすくす俺を見て、彼女はクスッと小さく微笑んんで、軽く手で抑えたんだ。

 そして俺は彼女にプリントを渡して……そのまま家に帰ろうとした。今後、彼女と関わることはないだろうと思った。こんな美人が学校に来ればすぐに人気者になるだろうと。

 逆に高校に入りたての頃の俺は不真面目な生徒だったから、なおさらな話だ。

親元を離れて暮らし始めた俺はただ同じように惰性な毎日を繰り返す日々を送っていた。

 家に帰ってきても誰からも「おかえり」の声も、学校に行く際には「行ってらっしゃい」の声も何もがなかった。でもそれぐらいは一人暮らしをすると決めていた時から分かっていたはずだ。次第に月が流れ、五月となった。俺は完全に五月病となってしまっていた。


 正直、何をしていてもつまらなく感じてしまっていた。そして、遅刻が増えていった。

 『遅刻魔』という不名誉なあだ名を付けられてしまった。そんな時、俺の生活態度を見兼ねた弥生先生が相談に乗ってくれたのだ。


 『真中、良いことを教えてやろう。お前に足りないのは刺激だ! この学校には様々な生徒が在籍している。そんな色々な人達と関わりを持て。そうすれば、少しはお前も変わるんじゃないか?』


 正直、彼女の言っていることを最初は別に気にしていなかった。でも、刺激が足りないというのは当てはまっていた。退屈な日々ばかりを過ごしていた。


 『それにな、真中。たった三年間しかない高校生活なんだ。青春を謳歌しろ。それが人生の先輩として、この学校の先輩としての私からの意見だ。もしも、私のように後悔したくないのなら……』


 それから少しずつ人生の歯車が回り始めた。


そして、大きく変わったのが、俺が東條姫乃と出会い、もう二度と深く関わらないであろう彼女にバイバイと手を振って病室を出ようとした時だった。


 『ま、待ってください!!』


彼女が俺に喋りかけてきたのだ。酷く緊張していたの覚えている。声が物凄く裏返っていた。それにたどたどしかった。


俺は彼女の方を振り向いた。すると、彼女は涙ぐんだ声を出した。

 

 「あのぉー私に学校がどんな場所か教えてくれませんか?」


 話を聞くに彼女は一度も学校に行ったことがないらしい。今までずっと病院生活が続き、治ってもすぐに体調を壊してと彼女は幼少期からずっとそんな状態が続き、全く学校と縁が無い生活だったらしい。

 それから俺は学校で起こったことや自分の身近に起きたことを話すために、彼女の元へ頻繁に通うことになった。

 正直、毎日のように通っていたのではないだろうか。休みの日でさえ、俺は通っていた。なぜなら俺は彼女と喋っている時が一番楽しかったからだ。彼女と喋っていると心がぽかぽかと満たされていた。とても気分が良かった。

 それと同時に俺は自分が五月病になっていたことがバカらしく感じてしまっていた。学校に行きたくないと思ってる俺と、学校に行きたくてもいけない彼女を比べて、俺がなんてちっぽけな奴なんだと思ってしまった。


 そして月日が流れていき、彼女は二学期から学校に通えるようになったのだ。

 でも頭が良くて、美人である東條さんは周りと壁を作っていた。そんな壁を俺がぶち壊した。すると、彼女の周りにはすぐに色んな人が集まるようになったのである。


そして、彼女は二学期、三学期と学級委員に名乗り出るようになるのだ。


 だが、どこに母さんが出てきた? どこにも出てこなかったはずだ。


 「どうやらユウヤくんはもうすでに私のことを忘れてしまっていたんですね」と東條さんは悲しそうにポツリと呟いた。


 太陽の陽射しに彼女の美しい髪が照り輝き、勢い良く吹いた風で粒子を撒き散らしながら長い黒髮が靡いた。さらさらと揺れ動くその髪とあどけない表情が相まって、何かが引っかかる。だが、何故か分からない。


 「ちょっと待ってくれ。何か俺は重要なことを忘れている気がする……」


 だが、分からない。出てこない。何故だ、もうすぐそばにまで来ているのだ。


 覚えている。俺は覚えている。いつも泣いてばっかりなある女の子のことを。

 でもその女の子はとっても笑顔が愛らしくて……とっても綺麗だったことを。


 「じゃあ、これだったら分かるかも」と言いながら、彼女は自分の髪を手でまとめ、セミロング程度の髪型へと変貌する。


 そこには俺が子供の頃にとある約束をした女の子の姿があった。


 「も、もしかして……ヒメノ……なのか?」


 「はぁー」と深く溜息を吐くと、彼女はゆっくりと口を開いた。


 「もうぉー気づくの遅すぎだよ!!」

 彼女の表情を読み取るにとっても嬉しそうだ。仄かに染まる頰が愛らしい。


 「おとぎ話の中で王子様は遅れて登場するのが当たり前だけど、これは大遅刻だよ! わたしだけの|王子様(ユウ)」

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