√東條姫乃編 (本編)

√東條姫乃 その1

俺と東條さんが同棲生活を始めてから一ヶ月という月日があっという間に過ぎてしまった。正直、自分の中では途中で彼女は帰るだろうと予期していただけに意外な感じだ。


 本気で彼女はこのままこの家からずっと離れないつもりなのだろうか。

 本人に聞けばすぐに終わる話かもしれないが、早く帰れと催促しているようでなかなか聞き出せない。それに何故彼女が俺の元へやってきたのかなどの詳しい話をしないまま、うやむやにしてしまっていた。


 季節は既に六月を過ぎ、七月へとなっていた。外から聞こえるけたたましい蝉の音が頭の中で響く。そんな音を聞こえてくると調子が少しだけ狂ってしまう。


 「はぁー」と溜息を吐いてしまった。すると、台所から東條さんがコップに水を注いで持ってきくれた。ちなみに氷も入っている。


 「どうしたんですか? そんなに深い溜息を吐いて」


 「このぐらいの季節になるとちょっとね。色々とあるんだよ」


 「そ、そうですか。あ、月が変わってるので、カレンダーをめくりますね」と言って、東條さんが機敏に動いた。


 「あぁー悪いな」


 東條さんがカレンダーをペラりと捲った。


 「え? この赤マルは……」と小さく呟いた。


 「あぁーそれか。それは母さんの命日だよ」


彼女は「えっ」と気まずそうな表情を見せた。

 それはそうだ。母親の命日などと重たいことを言われると困るに決まっている。


 「そ、そのごめんなさい。私、そんなつもりで言ったわけじゃないですから」

 東條さんは深々と頭を下げた。


 「それぐらいは分かってるよ。だから気にしないでいいから」と優しく声をかける。


 「ここに『墓参り』と書かれていますが、ユウヤくんはお母さんのお墓に行くんですか?」


 「あぁーそのつもりだ。毎年恒例なんだよ。本当は家族全員で行く予定だけど、妹は寮生活を強いられているし、父さんは仕事が忙しいと言っていた。それに冴子(サエコ)さんも色々とあるみたいで、俺が一人で母さんのところに行こうと思っているわけだ」


 「あのーすいません。冴子さんって?」


 「あぁー冴子さんは俺の今の義母さんのことだよ。親が再婚したという話はしてなかったっけ?」


 「少しは聞いたような聞いてないような……」


 隠しているつもりは一切ないので説明しておくか。


 「母さんが亡くなったのが、俺が丁度小学生になる前だったから、今から10年前ぐらいなのかな。母さんが亡くなってから三年後、父さんは現在の妻となる冴子さんと再婚したわけだ。そして、俺に義妹ができた。それが楓だ」


 「へぇーそうだったんですか。知らなかったです。楓ちゃんは実妹だと思っていたので」と意外だったという表情で彼女は口を動かした。


 「でも、ユウヤくん。この日って、平日ですよ。それでも行くんですか?」


 「当たり前だろ。授業よりも母さんの方がよっぽど大事だからな」


 少しマザコンっぽいセリフだと言った後に思ってしまった。

東條さんはどんな反応をしているのか、怖くて前を向けなかった。


 「ユウヤくんのそんなところが好きです。家族思いのところ。多分、ユウヤくんのお母さんも喜んでくれると思いますよ」


 「そ、そうかな?」と口元に笑みを作ってしまった。

 俺はまだ小さかったから、母さんがどんな人物だったのかあまり覚えていない。

 でもしっかりと覚えているのはとても美人で優しかったことだけは今でも忘れていない。

 母さんの手はいつも温かくて、触れているだけで癒された。

 嫌なことがあれば、母さんが入院してた病院に出向いた。そこで話を聞いてもらい、俺は頭を撫でてもらっていた。本当に幸せな日々だった。


 「ユウヤくん。今、とっても幸せそうな表情でした」と東條さんがニヤリと口元を歪めた。


 「あ、そうだ。東條さん、母さんの写真でも見るか?」


 「ええっ!? いいんですかぁ!!」と東條さんは驚きと嬉しさを織り交ぜた声をあげる。

 俺はタンスの中に入れていた母さんの写真を取り出して、東條さんに渡した。


 「やっぱり、綺麗な人ですねぇー」と東條さんは目をキラキラ輝かせて、声を上げていた。


 「ん? やっぱり?」

 東條さんは目線を逸らして、何か重要なことから避けるようだった。


 「あ、あ。やっぱり、ユウヤくんのお母さんだから美人だなぁーと思って」


***

 七月初旬。母さんの命日。俺は学校を休んで、母さんが眠る墓へと電車で向かっていた。


 「ユウヤくんー。とっても海が綺麗ですよー」と東條さんが座席に膝をついて、外を眺めている。窓を開けていることもあり、潮の香りが鼻腔を擽ってくる。

 現在の東條さんの格好は白のワンピースに麦わら帽子だ。正直、俺のどストライクの服装である。


 「あぁ、綺麗だな」と俺も外を眺める。視界を埋め尽くすのは蒼く光り輝く海。

 頭上には鳥達が空高くを自由気ままに飛び回っていた。

 視線を外から中へと動かす。そして、東條さんに喋りかける。


 「でも良かったのか? 俺と一緒に学校を休んで」


 「いいんですー。私はもっとユウヤくんの近くに居たいんですー」


 「そっか。それならいいんだけど。無理して来なくて良かったんだぞ」


 「むぅー」と腹を立ててしまった。でもその姿が可愛い。


 「ユウヤくんに確認しておきますが、私は無理なんてしてないですよ。それに一度は訪れないと行けないと思っていたんです」

 彼女がどこか思い詰めたように口を開いた。


 母さんの墓があるのは俺の住んでいる街から、三時間ほど離れた場所にある。

 ローカル線の電車に乗り、三時間ほど揺られた後はまたそこから歩いてと結構遠い。

 何故、そんな場所に墓を建てたのかというと、母さんが海を好きだったかららしい。

 それに母さんが海に行きたいと何度も呟いていたことも当てはまるだろう。

 だから父さんが母さんのために、辺境の地に墓を建てたのだ。

 実際、母さんが眠る墓はとても景色が良い。多分、母さんも喜んでいると思う。まぁ、本当に喜んでくれているかは分からないけどさ。


 「ユウヤくん。それよりもまだ着かないんですか?」と眼を擦りながら、東條さんが言った。眠たそうである。そういえば、彼女は朝早くから起きて、弁当を作ってくれたんだよね。


 「まだまだ先だから、東條さんは寝ていてもいいよ。着く前にはしっかりと起こすからさ」


 「わ、分かりました。では寝かせて下さい」


 東條さんが俺の肩に自分の身体を寄せてきた。そのまま頭が俺の肩にちょこんと乗っかかる。


 「そ、その東條さん?」と聞き返すが、彼女は寝ているのか返事はない。


 彼女の髪から漂う女性特有の香りに意識してしまう。本当に東條さんって良い匂いがするなぁー。俺と同じシャンプーを使っているはずなのに。どうしてここまで差があるのだろうか。やはり、女の子って可愛いなぁー。


 そんなことを思いながらも俺は外を眺め、暇を潰した。それと時々、東條さんのほっぺたを突いてみた。すると、東條さんの表情がコロコロと変わるので楽しかった。

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