第29話 弥生夏希先生

 「失礼します」と小さな声で言って、職員室へと入る。弥生先生はコーヒーを片手にプリントのチェックをしていた。見た目はかなりの美人だし、年齢もまだ25歳ぐらいと若いはずなのに何故か男運がトコトン悪い人である。


 ちなみに黒髮ロングの一つ結びである。


 「今、何か変なことを言ったか?」と鬼の形相でこちらを睨んできた。


 「いえ、別に何もありません。それで俺は何のためにここに呼ばれたのかなって思いまして」


 「あぁーそのことか」と遠い目をしながら彼女はカップに入ったコーヒーを啜る。


 「そうだな、ここで話すのは他の先生たちに悪い。場所を移動しようか」


 弥生先生に促され、俺は職員室を後にした。


 そして弥生先生に半ば引っ張られるように連れていかれる。彼女が俺を連れてきた部屋は生徒相談室である。弥生先生は生活指導担当の先生だ。

 部屋には大きな長机が何個もあり、それと椅子が無造作に幾つか並べられていた。

 一応、エアコンまで完備されているので年中快適に過ごすことができる。


 先生はパイプ椅子に脚を組んで、座る。それに合わせて、俺も近くの椅子に腰を下ろした。


 「何故、先生って生活指導担当なんですか?」


 「それが新米教師の役目だ。仕方ないさ。それに上の連中はこんな面倒事は避けたいからな。それにもう少しで退職だ。こんなところで生徒が問題を起こして、自分達も責任を取って学校を辞めたくはないだろ」


 「生徒が問題を起こしたのならば、別に先生にまで被害は受けないと思うのですが」


 「ちっちっち」と本当にこいつは何も分かってないと舌を鳴らされる。


 「いいか。真中、お前に良いことを教えてやろう。世の中はそんな簡単に回っていないのだよ。生徒の保護者から色々と言われるのだ。それに上の連中からもグチグチと言われるからな」


 学校ではあまり聞きたくない裏話まで聞かされそうなので、詮索するのはやめておこう。

 俺の顔色を伺い、話を変えた方が良いと判断したのか先生は「コホン」とわざとらしく、咳払いをした。

 そして一呼吸を置いてから、彼女は喋り始める。


 「今まで本当にキミには感謝している」


 「褒めても何も出ませんよ」


 「本当にただの感謝だよ。キミには今まで私の雑用などを押し付けていたこともあった。それに生徒会の手伝いを無理矢理させたことも」


 「ありましたね。大変でした」


 「それは仕方ないだろう。キミは遅刻が多すぎるからな。これはペナルティだ」


 「それを言われると返す言葉がありません」


 「何より、持病の影響で休み続けていた東條姫乃を学校に馴染ませたのはキミのおかげだ。一応、私の方でも一定のサポートはしていたが、やはり生徒間にも色々と問題があるからな」


 「あぁーそんなこともありましたね」

 東條さんは一年生の一学期はずっと休んでいたのだ。その後、二学期から普通に学校に通い始めたが、当時から美人で頭も良いからという理由で浮いてしまっていた。


 「東條本人からもキミにはとても感謝していると聞いている。だから何か恩返しがしたいともな」


 「そうですか。東條さんが……」


 「話に聞くところによると、問題児である水無月レイナを手懐けいるそうじゃないか」


 「手懐けって……でもレナとはよく喋りますよ。アイツとは中学の頃からの仲ですから」


 「ふーん。そうか、何か訳ありのようだな。そういえば、生徒会長である、如月真梨(キサラギマリ)もキミのことを一役買っているそうだ」


 「あー真梨先輩ですか。本人から生徒会に入る気はないかといつも言われて、困ってるんですが……」


 「無理矢理、生徒会の仕事をさせたことは悪かったと思う。でもこうなってしまった以上は私にはどうしようも無い。簡単に真梨は諦めるような人間ではないからな。手に入れる為なら、何でもする」


 「逆に言えば、それだけキミは優秀であり、頼りにされているということだ。真梨は本当に気に入った人間しか生徒会に呼び込もうとしないからな」


 その後も先生との会話は続いた。基本的には身の上話である。先生は喋りが上手いのでとても会話をしてて楽しい。それに役に立つようなことを教えてくれる。


 先生は腕時計を確認してから


 「あー悪い。真中。私はそろそろ仕事に戻らなくてはならない。気を付けて帰るんだぞ」と言って、そのまま部屋を飛び出していこうとする。


 だが、先生が振り向いて


 「なぁ、真中。お前も本当は気づいているんだろ? あの子達の……」


 とここで、何かを思い詰めたようで言葉を止めてしまう。


 「まぁーいいさ、真中。たった三年間しかない高校生活を全力で謳歌しろ。それがお前にとってかけがいのないものになる日がくるから」


 「せ、せんせっ」と俺が声を掛けようとした際にはもうすでに弥生先生の姿はなかった。

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