玲編 遊び

家族を大切にしない。労わらない。敬わない。そういうのは結局、家庭の中で自分がつまはじきにされて、大切にしてもらえない、労わってもらえない、敬ってもらえない。


ってことになると思うんだけどな。で、親がそういう振る舞いをしてると子供もそれを当たり前だと考えるようになる気しかしない。なんでそれが理解できないのか俺には分からない。


とにかく『自分に責任はない』『自分は悪くない』『悪いのは自分以外だ』って考えて常に誰かの所為にしてるってのは、楽しいか?


そんなことしてても誰も認めてくれないのが現実じゃないのか? それで、


『現実なんてクソだ!』


とか言ってて、なんでそんなんが通用すると思える? これも俺には理解できない。


などと考えるのは、龍準りゅうじゅんがパパニアンを襲って食ってる凄惨な光景を自分の中に落とし込むために俺にとっては必要な手順なんだよな。


慣れないからって見て見ぬふりしてもこの現実がなくなるわけじゃないわけで。現実と折り合うためのものなんだよ。


で、マンティアンの習性として完全に動かなくなったパパニアンには興味を失った龍準りゅうじゅんはその場で、森殺しフォレストバスターの蔓を噛み切って水を流させ、それを飲みながら体を洗った。この密林に住む<獣人>にごく普通に見られる行動だ。体が汚れたままになっていることを厭う傾向にある、な。


こうして食事を終えた龍準りゅうじゅんは、また密林の中に消えた。彼を監視していたドローンには信号は捉えられているものの、遠ざかっていくから敢えて追わない。


距離を保ってこちらに危険が及ばないなら敵対はしない。そう自分に言い聞かせ、それを態度として示し、子供達に真似してもらう。


なお、襲われたパパニアンの遺体についても、敢えてそのままにする。こうしておけばボクサー竜ボクサーなどの他の獣や鳥や虫の餌になるし、そうやって自然に還っていくのがここでの在り方だ。基本的には。


一方、めいは今日もひかりに絵本を読んでもらっているし、れいえいもやっぱり一緒にそれを聞いている。れいの様子も問題なさそうだ。なのでおそらく、胎児は順調に育っているんだろう。


さらにビクキアテグ村では、ケインとイザベラとキャサリンも順調に育ってくれていた。キャサリンは今日も脱走を図り、あかりに連れ戻される。いずれは本人の好きにさせるとしても、今はまだ早い。野生の獣なら手出しはしなくてもキャサリンはあかりにとっては<家族>だ。家族をみすみす危険に曝すことはできない。


それにキャサリンも、捕まるとおとなしく連れ戻されてくれる。これ自体が、


<家族に構ってもらいたいための遊び>


なんだろうな。実に人間の子供らしいじゃないか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る