玲編 いい子

新暦〇〇三五年八月十二日




俺の主観で語るなら、れいは、普通に<いい子>だと思う。確かに俺達の手伝いをしたり労ったりはしてくれないが、そんなことは別にどうでもいいんだ。<仲間>に対して強い敵対行動を取らないでいてくれるだけでも十分に<いい子>なんだよ。


人間社会でもよくいるじゃないか。


『気に入らない』


なんて本当にくだらない個人的で身勝手な理由で他者に対して攻撃的に振る舞う奴が。それは目に見える暴力とかだけじゃなく、ネットで匿名の陰に隠れて誰かを罵る奴も含めての話だ。


そんな奴は、身勝手な理由で諍いの火種を作り、平穏を乱す。しかも性質の悪いことに、自分がそれをするのは<正当な権利>だと思ってるんだ。だから反省もしないし、自分が責められると途端に被害者面をする。


『気に入らない』なんて程度のことは他者を攻撃していい理由にはならん。


ましてや『自分の好みに合わない』なんてことで他者を攻撃しようなんてのは、普通に害悪なんだよ。


感覚の違いがあるのは当然だ。<好み>があるのもむしろ自然なことだ。しかしそれを他者を攻撃する理由にするのは、お門違いも甚だしい。


確かに、自分の好みに合わないものを目にすればストレスを感じるだろう。けどな、それを<他者を攻撃していい理由>にするなら、


『ハゲ、デブ、ブサイクは人前に出るな! 出てくるなら攻撃する!』


とか言う奴も『正しい』ってことになるぞ?


他者の容姿、思想信条、趣味嗜好。そういうものを『自分の好みに合わない』とかいう理由で攻撃していいなら、同じ理由で自分も攻撃されてることを容認しなきゃならなくなるな。


『自分は他人に妬まれて陰口叩かれるくらい平気だから!』


とか言う奴もいるだろうが、


『自分は平気だからやっていい』


だとかいう理屈を認めるなら、


『自分はこのくらい殴られても平気だから殴っていいよな?』


ってのも認めなきゃおかしくなるぞ? 人間ってのは不思議なもので、かなりのことに『慣れて』しまえるんだ。日常的に暴力に曝されてきた人間はそれこそちょっとくらい殴られたところで大して痛みを感じなくなり、


『自分はこの程度なら殴られても平気だから他の奴らも平気だろ?』


となるそうだ。これにより、暴力で何でも解決しようとする人間になることが多い。


『自分は平気だから他人も平気なはずだ』


なんてのは、幻想なんだよ。


れいは、マンティアンである彼女の感覚からすればもっと暴力的であってもおかしくないのに、いや、実際、ようの娘のしょうは、アクシーズとしての自分の感覚そのままに兄弟達と関わろうとして流血の事態を引き起こしたりもした。


でも、れいはそんなことさえしないんだ。まあそれは、俺達の側も、彼女の目の前に突然現れたりってのを避けるようにしてたからってのもあるんだが。


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