蛮編 血気盛んな少年

なお、雄から雌に受け渡された<精莢せいきょう>は、長ければ数年にわたって雌の体内で機能し続け、何度も受精が行われる。雌に発情の兆しが生じるたびに精莢せいきょうは精子を提供することで発情を鎮静化させる効果もあることが分かってる。これによって他の雄から精莢せいきょうの提供を受けないようにできるんだ。


つまり、自動的に交尾を行っているのと同じ効果を発揮し、そして雌は卵を宿し続け、雄は自分の遺伝子を残す機会を増やすと。


もっとも、それでもなお一頭の雌が生む子で生き延びるのは、二頭から三頭くらいなので、他の雌にも同様の形で子を生んでもらい、可能性を上げる形にはなるけどな。


これでばんの子が生まれ、成長し、やがてまた子を残すことになるかどうかは分からない。分からないが、少なくとも可能性が生じたのは事実だろう。


これがなければ、確実にゼロだったわけで。


もっとも、ドーベルマンMPM四十二号機が記録を取り始める以前にも、ばんがすでに雌と交尾をしていた可能性もあるか。


そう考えれば、ばんの縄張り内をうろついていた幼体は、ばんの……?


ただし、その憶測については、DNA検査でもしない限り本当に単なる憶測にすぎない。もちろん遺伝子を解析すれば分かるが、それも何かの機会があればでいいか。しかし、ばんが<道具>を使ったようにあの幼体が道具を使っていたのは、本当にばんの真似をしただけなのだろうか……? という疑問も確かにあるけどな。




雌との交尾から数日が過ぎ、ばんはいつものように密林に佇んでいた。その姿は、どこか、家の縁側で日向ぼっこをしている老人のような空気感もあったかもしれない。


なのに、次の瞬間、


ばんの体に緊張が走り、表情が険しくなった。ドーベルマンMPM四十二号機が見守る前で、身構える。


視線の先には、強い気配を発する影。すでに気付かれていることで、隠れるつもりも、不意をつくつもりもないようだ。


そこにいたのは、十代半ばくらいの印象がある血気盛んな少年。にも見える形を有したあの幼体だった。これまでは逃げ回って距離を置いて戦いを避けていたというのに、今は間違いなく、ばんに対して強い敵意を向けている。


もし、万が一、この幼体がばんの<息子>であったとしても、彼らには何の関係もない話か。


『敵は殺す』


それだけがヒト蜘蛛アラクネの<常識>だからな。自分自身以外はすべて、<敵>か<敵以外>かでしかないんだ。先日の雌のことさえ、発情しているタイミングで出会ったから<敵以外>かつ、本能に従って交尾に至っただけでしかない。何の思い入れもない。次に出会えば容赦なく食い殺すだろう。


それだけだ。


ゆえに、目の前に現れたものが自身の血縁であるかどうかすら、ヒト蜘蛛アラクネには関係ない。


戦って、勝って、食う。


勝てそうにないなら、その時は逃げる。


実にシンプルと言えるな。


人間のように、


『生んでやった恩を返せ』


など言わない。


『老後の面倒を見ろ』


などと口が裂けても言わない。


子供に自身の老後の面倒を見させようとするような動物は、地球人以外ならごく限られた例外的な存在だけだ。地球人の感性が動物としてはむしろ<例外>なんだよ。


だから、この幼体とばんに血縁があってもなくても、そんなことはそれぞれの判断に何の影響も与えない。


成長したこの幼体は、


『今の自分なら眼前のヒト蜘蛛アラクネに勝てる』


と判断し、挑んできたに違いない。殺して、食って、縄張りを奪うために。それがヒト蜘蛛アラクネの生態であるがゆえに。


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