ビアンカ編 価値基準

そもそも、<人間の容姿>自体が、動物としては異様なんだ。他の動物達からは、さぞかし、<不気味な怪物>のように見えていることだろう。


<美醜>なんてもの自体、大部分が後天的に得た感性でしかないことも分かってる。多少は本能レベルですり込まれている部分もあるらしいが、それすら、後天的に与えられるものに影響を受けて変化するそうだし。


だから、<本人の好み>については口出ししないとしても、今のビアンカやルコアの姿についてどうこう言う感性は育てたくない。


もし、本能的な部分があったとしても、様々な形質を持った<獣人>が暮らすここじゃ、最初から多種多様な姿があるのは当たり前だから、人間(地球人)ほどは影響もしないんじゃないかな。


いずれにせよ、姿の違いは気にするほどのことじゃない。


と、俺は思うんだが、それでも、いずれは、<惑星朋群ほうむ特有の美的感覚>は生まれていくんだろうなあ。


だが、こんなことで相手を蔑んだり貶したりというのはしてほしくないな。


人間(地球人)の世界じゃ、よく、


『不細工は内面まで不細工』


的なことを言われるが、これは結局、『不細工だ!』として扱われることで人格にまでマイナスの影響を与えた結果だとも言われている。実際、人間(地球人)でも、異なる文化圏では美醜の基準も違ったりするし、時代と共に<美の基準>が変化することもある。となれば、当然、<不細工>も違ってくるわけで。


確かに、<数値的に整ったバランスだと言える容姿>というのは、結構、<普遍的な美>と感じるらしいが、美しいものを『美しい』と感じるのはいいとしても、


『<美しい>というものも価値基準の一つでしかない』


のも事実なわけで、別にそれだけに囚われて、


『美しいもの以外に価値はない!』


と言い張る必要はないんだよ。いや、個人的にそう思っててくれるだけなら別に構わないが、それを普遍的な価値観にする必要もない。


俺自身は、ビアンカもルコアも『美しい』と感じる。クモやヘビに似たそのシルエットに対しても、生理的嫌悪感はもうない。特にビアンカについては、最初は『生理的嫌悪感はゼロだった』とは言わないものの、それもすぐに慣れたしな。


ただ、<生理的嫌悪感>ってやつはなかなかに手強いものらしくて、俺の場合は元々そんなに強いものじゃなかったからすぐに慣れることができたんだろうが、どうしても拭えない者も中にはいるだろう。それを『慣れろ!』『気にしないようにしろ!』と強要するのも違うとは思う。


そういう点からも、<住み分け>は必要なんだろうな。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る