ビアンカ編 自己肯定感

グレイに挑みかかっている未来みらいを視界の端に捉えながら、ビアンカは、あかり久利生くりうと共に畑の手入れに精を出していた。


正直、ただの<家庭菜園>レベルの畑ではあるものの、これも、<農業のノウハウの継承>を目的としたものだから、それほど必死になる必要があるわけでもない。


<食料の確保>という意味では、コーネリアス号の<プラント>だけでも間に合ってるし、ドーベルマンMPMらが管理している畑でも十分な収穫はある。<農業のノウハウの継承>という意味でも、コーネリアス号や光莉ひかり号のAIが持つデータだけでも十分ではあるものの、


『人間自身が実感する』


ことも大事だからな。なんでもロボット任せにしておけばいいわけじゃない。人間(地球人)の社会でもそうだった。あらゆることをAIとロボットに丸投げしようとして、それに強い危機感を抱いた者達の激しい反発を招き、社会が不安定化した時期があったらしい。


そうやって人間(地球人)は、何度も失敗を繰り返しつつも、


『人間なんてのはいつまで経っても何も変わらない、愚かな生き物だ!』


ってついつい思わされたりしながらも、ひたすらに歩み続けてきたんだよな。


俺達も、そういう先人達を見倣って、努力を続けたいと思う。


幸い、ここには、徒労とも思える地道な努力を嘲笑うような人間も、今のところはいないしな。


コーネリアス号の乗員達は、皆、忍耐強く、地道な努力を続けることを厭わない者達だから、そういう点では心配も要らないだろうし。




そんなこんなで、グレイへの挑戦を終えた未来みらいはまた川に飛び込んだかと思うと、今度は自分で魚を捕らえてバリバリと貪った。まったく、逞しい奴だ。


実に頼もしい。


そんな攻撃性を仲間に向けさせないためにも、十分に発散する必要がある。<力比べ>には、そういう意味もある。


自分の中に湧き上がる衝動や力を発散し、同時に、<身の程>を知るんだ。そうすると、別に改めて屈服させなくても序列を理解するんだよ。


実際にこうして子供を育ててるとそれを実感する。


そこで親の側が手を抜くから不満が蓄積するし身の程もわきまえられない。


殴る必要はない。子供の挑戦を正面から受け止めてみせて、


『自分の全力をもってしてもまったく敵わない』


ことを実感させた上で子供の存在を全肯定するだけで、


『自分では手も足も出ない相手が自分の存在を認めてくれている』


という実感を得ることができ、それが<自己肯定感>にも繋がっていく。


エレクシア達<メイトギア>が数千年に亘って人間を見てきたことで蓄積したデータがこれを物語ってるそうだ。


そしてビアンカも、今、それを実感してくれている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る