メイガス編 オリジナルとコピー

まったく……本当にどうなっているんだ?


いや、単に並行して行われているシミュレーションにおいて微妙な差異が生じてるだけだと言われればまさにその通りなんだろうが、ディルア・ルバーンと結ばれて子を生したまでは同じでも、生まれた子の名前が、運命を紡ぐ女神にあやかった<クロト>という時点で、ルコアを生んだ<メイガス・ドルセント>とは本当に別人ということになるわけだ。


そう。あの不定形生物の中でさえ、同姓同名で記憶も人格も同じ由来ながらも別の存在として何人ものメイガス・ドルセントが存在しているということになる。


それはつまり、シモーヌもビアンカも久利生くりうも同じであり、ルコアもおそらく、<別のルコア>がいるんだろう。


こうなるともう、どれが<オリジナル>か?って話なわけで、不定形生物に同化される前のだけがオリジナルであって、それより後のは、不定形生物の中にいようとこうして肉体を得ようと、もう、<別の存在>と考えるべきなんだろうな。


同時に、あの中で生まれた、シモーヌと十枚とおまいの子の瑠衣るいや、メイガス・ドルセントとディルア・ルバーンの子のルコアないしクロトは、両親とは逆に、存在するすべてがそれぞれ<オリジナル>ってことになるのか。


まったく。実にややこしい話だよ。


ややこしいが、<起源>がどうあろうと、そこに生きているのなら、それはやっぱり<唯一無二の存在>だと俺は思う。たとえクローンのようにまったく同じ遺伝子を持っていようが、別の体を持って生きている時点で、それぞれが<唯一無二の存在>だとしか思わない。取り換えは利かないんだ。


まあ、もっとも、これはあくまで俺の考えであって、当人がどう思うかはまた別の話だが。


しかし、それぞれがそうやって自己を確立できればそこに<差分>や<差異>が生じて、その瞬間から<別人>になると俺は思うけどな。


例え、


『自分が自分を見ている』


状態だろうと、双方の脳が情報処理的に連結していなければ、


『見ている位置が違う』


以上は、


『まったく別の経験をしている』


と言えると思うんだ。


となると、こんな風に考えてる俺がもし、自分の<コピー>を前にしても、どちらがオリジナルでどちらがコピーかで悩むことはないだろうな。単に、


『どっちも俺だ』


って思うだけで。


実を言うとこれは、俺が勝手にそう解釈してるだけじゃないんだ。実際に複数のクローンが同時に保護された事例がかつてあって、同じ人物の記憶がインストールされた状態だったものの、別々の施設に保護することでわざと<差異>を作り、それぞれに自己を確立させることで、<同姓同名の別人>として生きることができるようになったという事例に基いた話なんだ。


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