來編 無能の烙印

きたるの子供について、久利生くりうが万が一、


『お手上げだ!』


と音を上げたとしても、俺はその子を見捨てない。


と言うか、今の人間社会はそうなんだ。たとえ親が音を上げたとしても、子供は保護されて、ちゃんと養育してもらえるようになっている。


ただし、その場合、親からは政府が養育費を課し、税金と同じようにして徴収。<逃げ得>は許さないという形にはなってる。


厳密には、そこまでやってもあの手この手で逃げようとする奴はいるそうだが、それでもそうそう簡単には逃げられないこともまた事実。


その一方で、無責任な他人が、親に対して面と向かって、


『お前が選んで子供を生んだんだろう!?』


みたいな形で責めるというのも筋違いだとは思うけどな。


特に、いろいろ精神的に追い詰められてつい泣き言を口しにしてしまう親を責めるというのは、不粋の極みだと思う。


親を責めることが許されるのは、親の勝手でこの世に送り出された子供だけじゃないかな。


周りの人間がするべきは、力を貸すか、それが嫌なら不干渉を貫くかのどちらかだろう。


その上で、親が法を犯せば司法によって裁かれる。行政に相談もせず子供の養育を放棄したり、虐待したり、殺したりすればな。


行政にはちゃんとそのための窓口があって、養育が無理だと申し出ればちゃんと対処してもらえる。


『生むだけ生んで後は金さえ払えば育てなくて済むのか!?』


と憤るのもいるらしいが、違う。そうじゃない。


『子供を育てる適正のない親の下で無理に養育を続けるのは、それ自体が虐待に等しい』


と考えられてるだけだ。


<非婚>も<子供は要らないと考える人間>も今は普通だが、その一方で、『たとえ血が繋がってなくても子供を育てたい』と考える人間もいるんだよ。同性婚夫婦にもそういうのはいるし、普通の夫婦にもいる。


だから無理して子供を育てる適性もない親の下に置いておく必要もない。


ただ、そうやって養育を諦めること自体が、


『<無能の烙印>を押されると感じる』


のもいるらしくて、素直に音を上げればいいものを無理して結局は子供に恨まれるということも、実は決して少なくない。


まあ、いまだに、『生むだけ生んで後は金さえ払えば育てなくて済むのか!?』みたいなことを言うのがいるからな。しかも、そういうことを言ってたのが後々子供を持って、実は自分に適正がなかったということに気付きながら、自分がかつて言ってたようなことを言われるのが嫌で粉飾しようとするのが結構いるそうだ。


しかもこの話は、ただの妄想とかじゃなく、その家で使われてたメイトギアが記録した、れっきとした事実だとさ。子供に対する虐待容疑の裁判で資料として提出された。


その手のあれこれも俺は参考にして、これからも子供達を見守っていこうと思う。


で、差し当ってはきたる久利生くりうの子ということだな。


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