來編 唆した責任

自分の子供が自分の思うように育たなかったからといって殺すようなのを、俺は、


『親として責任を取った』


などと言えないと思っている。そんなのはむしろ、面倒から逃れたいだけの、ただの<逃避>だろう。


自分の勝手で生み出してしまった子供の寿命をまっとうさせてやってこそ、せめて自分が生きてる間は守ってやってこそ、


『責任を取った』


と言えるとしか思わない。


子供が何か事件を起こしたのなら、生涯をかけて償わせる、償い続ける手助けをしてやることが親としての責任の取り方だと、俺は思ってる。


自分が死んで楽になるのも、子供を殺して責任を取ったつもりになるのも、逃避としか思わない。


だってそうだろう? 今でこそ重大な事件については政府が被害者に対する補償を立て替えた上で加害者に請求する形にはなってるものの、昔はそうじゃなかったと聞く。


と言うことは、事件の加害者を死なせればそこでもう被害者らに対する賠償が行われる可能性は途絶えてたってことだろう? 加害者が死んでその時は溜飲が下がっても、そこから先の補償はどうなる? 加害者本人がいなければ他の誰にも補償の義務は生じないんじゃないのか? 共犯者とか教唆犯とかがいれば話は別だとしても。


加害者の親だって、事件を起こした子供が死ねばそこで『終わったこと』だと考えるだろうしな。そう、その後の苦しみを少しでも楽にしたいがために、『それで責任は取ったから後は勘弁してくれ』と言いたいがために殺すんだとしか思わない。


と言うか、俺がもし、事件を起こした自分の子を殺すとしたら、間違いなくそのためにやるだろうからな。


さりとてこれも、人間社会での話か。


ここでの生き死にやら衝突は、基本的にはあくまで<生存競争>であって、そこに、『他人を貶めてやろう』とか『傷付けてやろう』とかいう悪意はない。単純に生きるための戦いだ。


そういう意味で、人間社会における<事件>とは違うから、そこはまあそんなに気にしなくてもいいだろう。


あくまで、


『生まれてくるんじゃなかった』


と子供に思われないようにするのが一番かな。


実際はそれが大変なんだが。なにしろこんなところだし。


でも、ひかりについてもあかりについてもその辺は上手くやれてると思う。なら、きたる久利生くりうの子供についても、


『生まれてきて良かった』


って思わせてやらなきゃな。


久利生くりうの子供なんだから第一義としては久利生くりうに親としての責任があるとしても、俺にもそれを唆した責任は間違いなくある。なら、せめて協力はしなきゃいけないだろうさ。


唆すだけ唆しておいて後は知らんぷりとか、どこの詐欺師だよ。


俺はそういうのは嫌だからな。


だからきたるの子がどんなだったとしても、万が一、久利生くりうが『お手上げだ!』と音を上げても、俺は見捨てないよ。


俺にとっても孫みたいなものだし。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る