來編 相反する心

ビアンカは、ずっと以前から久利生くりうを愛してきたそうだ。


一人の男性として。


だから、当然のように、


『彼と結ばれたい』


という欲求もある。


けれど、クモ人間アラニーズとなってしまった今の自分ではそれは叶わないとも思っているようだ。


が、下世話な話ではあるが、解剖学的にと言うか、学術的な観点から考えると、


『できないことはない』


んだよ。


これまでにも何度も触れてきたが、ヒト蜘蛛アラクネの<頭部>、つまり人間にも見える部分については、極めて正確に緻密にほぼ完全な<人体>を再現してる。


人間にも見える部分の脊柱の下部がそのままクモや昆虫に似た本体の脊柱に、加えて血管と消化器官が繋がってるだけで、人体を構成する臓器もすべて再現されてる。


その多くがある種の休眠状態にあるだけで、または補助的な機能を発揮しているだけで、まぎれもなく<人の体>なんだよ。


そしてこれは、ここまで調べた限りでは、クモ人間アラニーズも同じ。ヒト蜘蛛アラクネとアラニーズは、それぞれの脳の働きが違っているだけで、肉体的にはほぼ同じものである。


はっきり言おう。つまり、


『外性器だって完全に再現されてるんだから、あとは相手次第でヤろうと思えばヤれる』


ってことだ。


ヒト蜘蛛アラクネ相手にそんなことをしようと思えばただ単に<餌>になりに行ってるだけで完全に自殺行為だが、ビアンカが相手なら、後は久利生くりう次第ということだ。


が、<女心>というのはそんな単純なものでもないことは、俺も知ってる。


たとえ久利生くりうが受け入れてくれたとしても、当のビアンカ自身が、今の自分の体をそのまま彼の目に晒すことはできない。アラニーズとしての自分を見られたくないというのは、まぎれもない本音としてある。


この気持ちも、想像できる人には想像できるんじゃないかな。


『好きだからこそ今の自分の体を見られたくない』


という気持ち。


加えて、今の自分では、いくら望んでも愛する人の子を宿すことができないのが分かってしまうという辛さ。


あかりきたる久利生くりうをシェアするということについては受け入れられたものの、今度はその問題が出てくるということだ。


『別にセックスだけが愛の形じゃないだろう?』


という考え方があることは分かってる。それはビアンカも承知してる。


けど、それも所詮は個々人の考え方でしかない。


ビアンカは、久利生くりうと結ばれたいんだよ。だけど、今の自分を抱いてもらうことに対する申し訳なさもある。


その相反する感情の間で、彼女は揺れてるそうだ。


とは言え、こればっかりは俺にもどうにもできない。


はっきり言えば、俺ならビアンカだって抱ける。ぱっと見じゃむしろビアンカよりも人間離れしてたじんだって愛せたんだ。余裕だよ。


実はその辺り、久利生くりうにも確認済みだ。


「ぶっちゃけ、男として今のビアンカはイケるか?」


新たにハーレムを築くに当って、男二人だけでそこまで踏み込んだ話もしてる。


すると久利生くりうは、


「彼女以外だと無理だけど、ビアンカなら僕は大丈夫だよ」


って言ってた。


そうだビアンカ。後はビアンカ自身の問題だよ。


彼女が愛した男は、今の彼女自身にこそ相応しい<魂のイケメン>だ。


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