翔編 中と外

死ねば家族とはもう二度と会えないという意味では、自分が死んだ場合も『家族を喪う』のと同じなのかもしれない。


もっとも、それは、死んでからも自分の意識とかが残るという前提の話か。そういうのがまったくなければ『家族を喪った』と考えることさえできないわけで。


この辺りでも、シモーヌとビアンカの場合はややこしい。今のシモーヌとビアンカはまあ<別人>と割り切れればまだしも、あの不定形生物が作る仮想空間で『生きてる』方は、それこそ、


『死んだのに意識だけは生きてる』


状態だからな。


それについて、シモーヌがかつて語ったことを思い出す。


『あの不定形生物についての詳細は、同化していた私達にもはっきりしたことは分かりません。私達もあの中でいろいろと調べようとはしたんですが、やはり、手持ちの知識と意識とだけでは、できることといえば考察することくらいでしたから。


そして私達が立てた仮説は、『この不定形生物は、ありとあらゆる生物のデータをただ無制限に取り込み保存することだけが目的である』という、普通なら荒唐無稽と笑われるようなものでした。でも、そう考えるしかなかったんです。何故ならそこには、取り込まれた生物のデータが溢れそれらすべてが完全に機能し、ある種の生態系を作り上げていたんですから。


いえ、生態系どころではありませんね。あの中は、それ自体が一つの<世界>なんです』


と。さらに。


『その<世界>の中で、私達は生きていました。食べなくても死なないことは確認されていましたが、ちゃんと生物的な生理現象もあり、空腹も感じたんです。


でも、あの中には様々な生き物が溢れていて、食べるものには困りませんでした。文明の利器と言えるものはなかったので非常に原始的な生活様式ではありましたが、これといって不自由もなかったと思います。


そして私は、赤ちゃんを産んだんです。その子の名前は、瑠衣るいといいます。彼が名付けてくれました。


瑠衣もすくすくと育って元気です』


とも言ってたな。そうだ。『子供が成長してる』んだ。あの<中>で。


もっとも、ビアンカの方はそれについては、


「私は、あそこでいる分には、あんまりそういうの考えたことなかったですね。


なにしろ、環境が違うだけで、『自分が死んだ』っていう実感もなかったですし。いえ、記憶はあるんです。あそこが私達がいた世界とも別のものだっていう認識もありました。


でも、そんな中でも普通に暮らしてたからか、いつの間にかどっちがどっちかなんてどうでもよくなってたっていうのも本音です」


って言ってた。その上で、


「時間の感覚も普通でしたね。ただ、<外>では二千年以上経ってたってことですから、ある意味では、時間の流れる速度が違うって感じでしょうか」


とも。


あの<中>で暮らしていた人間でも、それぞれ認識が結構違ってたみたいだな。


ああ、その辺りが原因になってグループが別れた可能性もあるのか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る