走・凱編 熱意
新暦〇〇二九年六月二十日。
つくづく<開発>ってやつは地道な作業の積み重ねなんだなっていうのを実感させられる。延々とそういうのを繰り返すんだから。
こればっかりはAIがサポートしてくれるようになっても変わらないな。その『延々と繰り返す』という部分についてはAIに任せられるようになったことで、楽はできてるらしいが。
今回のテストと言うか練習と言うかにしたって、コーネリアス号のAIに任せきりなわけだし。地道な作業を淡々と続けるのは、AIやAIを搭載したロボットにとっては得意とするところである。人間のような感情がないから単調な繰り返しを苦痛と感じることがないからな。人間である俺はただそれを見守ってるだけだ。
人間がついつい手を抜きたくなるような部分を補ってくれてることで、人間の科学や技術は進歩してるというのもあるみたいだな。
正直、そういう部分を延々と繰り返せるほどの情熱を持った人間は今では随分と少なくなってしまったようだ。
恐ろしい速さで科学や技術が発達したという十八世紀頃から二十一世紀頃にかけての未知なるものに対する途方もない熱意のようなものは、今の人間達にはほとんどないらしい。だから基礎研究の類についても、何度も同じようなことを繰り返すだけの実験などについてはロボットに任せきりだとも聞く。
今の科学や技術の進歩の速度が十八世紀頃から二十一世紀頃にかけてのそれに比べてゆっくりになっているのは、新しい発見のようなものが頭打ちになっているということに加えて、人間自身の熱意そのものが頭打ちになっているからというのが一番の原因だとも言われているな。
何しろ、新しいものがなくても生活にはほとんど困らないんだ。普通に暮らしていく分にはほとんど今あるものだけでも十分間に合ってて、『こういうものが欲しい!』と強く思うことがない。
その点で言うと、ここでは、いろいろと足りないものもある。そのおかげで、ドーベルマンDK-aを作ることになったし、これからのことを思うとそれでは不十分だからアリスシリーズやドライツェンシリーズの開発に着手することになった。今の人間社会では滅多に見られないことなんだよな。
『新しいコンセプトを持ったものが作られる』
ってことが。
メーカーの謳い文句として『まったく新しい!』なんて言葉が踊ったりはするものの、実際にはガワだけが新しい、でも中身は従来品のマイナーチェンジ版というのが普通になってるんだ。性能こそは上がってたりしてても、『だからどうした?』と言われれば返す言葉もないというのが実態だな。
二千年以上前に作られたメイフェアやイレーネと、俺のエレクシアを比べても、性能そのものは段違いとは言え、そんなのは戦わせてみないと分からないくらいには、違いが実感できないんだよな。
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