走・凱編 化かし合い

俺は、AI排斥主義者、ロボット排斥主義者達の考え方は、論理的でも合理的でもないと感じてるし理解できないとも思ってるんだが、だからといってAI排斥主義者、ロボット排斥主義者達を排斥したいとは思ってない。


少なくとも思わないようにはしてる。他人を排斥しようと考える人間は、自分も他人から排斥されることを覚悟しなきゃとも思うんだ。


もっとも、<排斥主義者>ってのはそれが何を排斥したいと思ってるかに関わらず、


『自分こそが正しい』


と思い込んでる場合が多いだろうから、正直、理解し合うこと自体は難しいだろうなとしか思ってない。話し合えば必ず理解し合えるなんてのは、俺は空想だとしか思わない。


ただ、同時に、


『話し合いで解決できるなんて考えるのはお花畑』


みたいな考え方は、それ自体がお花畑だとも思う。


なにしろ、<話し合い>というのは、実は<化かし合い>でもあると思うからな。加えて、脅迫や恫喝みたいなやり方だって込だろう。話し合いってのはそれ自体が既に綺麗事じゃないんだよ。


俺自身、もちろん家族に対しては脅迫や恫喝みたいなことはしたくないものの、それ以外の相手となれば、家族を守るためにそういうことだってすると思う。とは言え、元々友好的な相手にわざわざそんなことはしないから、そうじゃない相手と折衝する場合にはってことだけどな。


今はそもそもそんな相手もいないからしないとはいえ、いずれ人間が増えてくれば、価値観の相違による対立も生まれてくるだろう。となれば、<駆け引き>だって必要になってくるだろうし。


その場合でも、


『価値観が違う』


ということ自体が必要だというのも分かっていないとな。


『<違う>ということ自体が生物としての生存戦略である』


ってのを理解してないと無駄に衝突が生まれるのは、人間の歴史が証明している。しかも、どんなに相手の価値観を否定して抹殺しようとしてもそんなことは成功しないってのもな。


宗教対立なんてまさにそれじゃないか。異端だ邪教だと言ってどれほど弾圧してもなくならない。形を変えて残り続ける。そういうものだ。


他人を害そうとしてるような教義は容認できなくても、そういう部分を見直してもらえるなら存続そのものは認める方向でって形に落ち着くのが現実的なんだろう。


実際、それで折り合いをつけてきているようだし。


人類が今も残れているのも、それなんだろうな。自分達にとって都合の悪いものを抹殺するんじゃなくて、折り合える点を徹底的に探ることで生き延びてきたんだ。


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