走・凱編 不老不死

命は、どんな風に生まれつくかを自分では選べない。


これは、事実だ。宗教はそれにあれやこれやと理由付けをしたりするらしいが、それが立証されたことはこれまで一度もない。


<神>の存在も、<神の計らい>も、確認はされていないんだ。


だから俺は、そんなものは信じない。どういう風に生まれつくかは、本当にたまたまだ。ましてや本人には何の責任もない。本人に責任のないことであれこれ責めるのは俺はおかしいと思う。


俺の子供達をこの世に送り出したことについては、俺に責任があるけどな。


でも、ビアンカにもあんにも、今の体に生まれたことは本人には何の責任もないんだ。


と、何度でも自分自身に言い聞かせる。守りたいから。


そんな俺が見てるタブレットの画面の中で、ほうらんとくっついて寝てる。ああ、可愛いなあ。


見た目にはまだ、<幼児>だな。しんりんも幼い頃にはこんな感じだった。そういうのを思い出すのは、俺が歳をとった証拠か。


もっとも、それでも俺はまだ、二十一世紀の頃の人間で言うと三十代半ばだ。老化抑制処置の効果はまだ五十年は余裕でもつ。それが切れると一気に老化が進むそうだ。なので、老化抑制処置の効果=健康寿命と考えることもできるかもしれない。


人間は不老不死を求めて挑戦を続けているが、その実現にはまだ至っていない。全身義体を使えば老化はしないものの、こうなると今度は人間性が曖昧になってくるそうだ。全身義体、いわゆる<サイボーグ>になった者達はかなりの確率で粗暴になるらしい。人間としての実感が乏しくなることで共感性が低下するという、有意なデータもあるんだとか。


なので現在は全身義体化には厳しい規制が敷かれてるんだと。もっとも、以前にも話したかもしれないが、規制がなくても全身義体化を望む人はそもそも少ないとも聞く。


基本的に全身義体がどういうものなのかというのは、メイトギアを見れば概ね実感できると思う。と言っても、メイトギアは敢えてロボットであることを隠さないようにするために、ロボットらしいギミックを残しているので、本格的な全身義体とは違うものの、それでも、一部の高級カスタム機なんかは、それこそ人間と変わらない外見を持たせてるものもあるそうだ。


しかし、どれほど人間に似せてみても、<機械>がベースの義体は拭いきれない違和感があり、そこが敬遠されるらしい。そもそも、保険が利かない全身義体をわざわざ選ばなくても、保険の適用が受けられる自身の細胞を用いた再生医療で失った機能は取り戻せるんだから、選択肢としては非常にハードルが高いよな。


しかもメンタルに対して無視できない影響があるとなれば、な。


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