誉編 さじ加減

新暦〇〇二七年五月二十日




俺とひそかの息子として生まれたほまれは、いわゆるパパニアンとしての子育てについては十分理解してないところがある。


パパニアンであるひそかには育ててもらったものの、完全にパパニアンとしての社会の中では育っておらず、しかも父親が俺だから、育児の大半はひそかに任せていたとはいえ俺が接する時にはやはり人間としてのそれに準じたものだったこともあって、どうしてもパパニアンの父親に比べるとかなり『優しかった』と思われる。


だからか、ほまれも子供達への接し方はかなり優しかっただろう。


子供達が少々悪ふざけをしても、蹴ったり叩いたりはしなかった。


しかしさすがに限度が過ぎたと思えば、ひそかがやったように首根っこを抑え付けたりもする。その上で、無言の圧力を掛けてビビらせるようだ。


俺は基本的にやらなかったことだ。絶対に負ける筈のない相手を力で威圧して服従させるなんてことはな。


俺の両親もやらなかった。


『それは卑怯者のすることだ』


って言ってな。


子供相手にそれをすると、子供自身が、


『自分が絶対に負ける筈のない相手を力で威圧して服従させるのを正しいことだと学習してしまう』


からということで、今ではやらないように、親になる時の講習でも指導される。


『時には力の差を見せ付けないと子供は大人を舐める』


と長く信じられて来たらしいが、実際には順序が逆だそうだ。


『力で威圧する方法を学習させることで、抵抗できない相手(力だけでなく立場的な意味でも)を見下し軽んじる』


ということらしい。


力で相手を威圧することを覚えた子供は、知恵がつくと、


『大人が子供を殴ったりするのは虐待に当たる可能性が高いから手は出せない』


ことを知り、


『大人は子供に手を出せない。手を出せばそれは犯罪になる』


ことに気付いて、


『自分の方が立場が上だ』


という逆転現象が起こり、それによって大人を、


『(立場的な意味での)力でもって威圧する(舐める)』


ようになるんだということが分かっているそうだ。


だから子供に対しては、


『自分より弱い相手(力でも立場でも)への接し方を学んでもらう』


ことで、力や立場を笠に着て他人を虐げるような人間になってしまうのを回避するのが望ましいんだと。


そうすると、例えば、


『自分は客だから偉い!』


的に店員などに対して横暴な態度に出る可能性も減るらしい。


まあ、当然だろうな。


『自分より弱い相手(力でも立場でも)であっても敬う』


のが当たり前として育てば、


『客という立場を笠に着て、立場の弱い店員に対して横暴に振る舞う』


という発想そのものを持たないわけで。


なるほど合理的な考え方だと思うよ。


ただこれは、


『力関係や立場といったものを論理的に理解できる人間という生き物』


であればこそ通じるものであって、そこまで論理的な思考ができない野生の動物ではどうしてもそれでは通用しない場合もあるそうだ。


だからほまれが子供達の首根っこを押さえ付けて威圧するのは、パパニアンが相手の場合はある意味では合理的な対処法でもあるらしい。


ほまれは、人間である俺の下で育った上でパパニアンの社会に馴染むことによって、その辺りのさじ加減も学んでいったようなのだった。


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