來の想い(あるのかどうかは不明だが)

じんようのことばかり触れてるからちからはるかのことは忘れてるんじゃないかと思われるかもしれないが、もちろん忘れてるわけじゃない。ただ、じんようは俺の<嫁>だったからより強く思い出されるだけだ。


ちからはるかの子であるきたるあきらはそれぞれ元気にしているし、きたるの息子であるあたるも既に立派に大きくなった。


ちなみに、あたるの父親は所在が確認できていない。きたるあたるを妊娠していた時点でもうそれらしきワニ人間クロコディアの雄の姿は確認できなかった。早々に他の雌のところに行ったのか、それとも死別したのかは分かっていない。気付いた時にはきたるは妊娠していたというだけだ。


父親が他の雌のところに行ってしまうこと自体は、ワニ人間クロコディアの習性として別に珍しいことじゃないからそれは構わない。ちからはるかのように生涯同じ相手と添い遂げる事例の方が少数派だということも分かってきている。


それについて『節操がない』とか言ってしまうのはおそらく人間の勝手な感覚だろう。ワニ人間クロコディア達にはきっと悪意なんて微塵もないし、良くないことだとも思っていないだろうから。


だからそれはいいんだ。


なんてことを、ひそかとイチャイチャしながら釣りをしつつ考えていたら、エレクシアが、


きたるが来ました」


と告げてきた。


「ん…? きたるが?」


ついそう訊き返してしまったが、きたるが来るのも割とよくあることだった。まさか里帰りという訳じゃないだろうが、かつての自分の<家>でもあった池に来て、そこに繁殖している魚を貪っていく。


だから単純に、彼女にとっては他のワニ人間クロコディアに邪魔されずにたらふく食える<いい餌場>ということなんだろうな。


ただ、ここの魚は河にいるのと比べるといささか小型で、腹いっぱい食べるには何匹も捕まえないといけないのが面倒臭いから、河で十分に餌が採れなかった時にそれを補う為にくる感じだろうか。


あたるが小さかった時には餌の獲り方を教えるのにも絶好の場所だったのかもしれない。


こういう時、人間はついつい、


『池の底で眠る両親を偲んで会いに来てるのかもしれない』


とか思ってしまいがちだが、ワニ人間クロコディアには、一部には死んだ仲間を悼むメンタリティを持つことを匂わせる行動も見られるものの(はるかの基になったワニ人間クロコディアの雌の死をちからが悲しんでいたと思われる様子がそれ)、<墓>といったものを理解していると裏付けられる証拠は何一つ見つかっていない。


それでも、俺個人としては、きたるは両親と一緒に暮らしたここを懐かしんで、両親に会いに来てるのもあるんじゃないかと思ってしまう部分も無きにしも非ずなんだよな。


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