矛盾がなければ(それは人間ではない)
新暦〇〇二三年九月七日。
『人間というのは、矛盾があるからこそ人間である』
というのが、哲学的な話だけじゃなく、心理学的、医科学的にも大前提とされてる考え方だそうだ。そしてそれは、人間とAIを区別する為にも利用される。
どれほど人間に似せて精巧に作られたロボットであっても、それに搭載されるAIの思考は、人間のような矛盾が基本的に存在しない。矛盾があるように見えることはあっても、それは人間のように振る舞う為に意図的に仕組まれた矛盾なんだ。
以前にも言ったかもしれないが、AIによって制御されるロボットは、基本的に人間しか守らない。人間以外を守るのは、あくまで法律に基づき、人間の生命財産を侵害しない場合に限られる。その辺りの優先順位を非常に綿密に精査してるから複雑かつ時には矛盾してるように見えても、よく調べればきちんとチャートに従った対応になってるのが分かるんだ。
そしてそこには矛盾はない。
エレクシアが、俺が命令しても、俺の安全を確保できない状態では子供達さえ守ろうとしないのも結局はそれだ。優先順位を違えることは決してない。
しかし人間は、時に、自分の命を犠牲にしてでも他者を守ろうとすることがある。これは人間が持つ矛盾の最たるものの一つだろうな。
ロボットも自分を犠牲にしてでも人間を守ろうとはするものの、これは『ロボットに命はない』『ロボットはあくまで道具である』からこそのもので、そもそも<犠牲>じゃないんだ。
だからそれは決して<矛盾>には当たらない。
AIに制御されたロボットの行動に矛盾はないんだ。そんな訳で、どんなに人間そっくりにロボットを作ったとしてもそういう部分で詳細に調べれば人間じゃないことが分かってしまう。
それもまた、ロボットに対する嫌悪感を覚えてしまう原因の一つなんだろうな。
と言うか、
『人間じゃないものが人間のフリをしている』
って感じてしまう要因の一つなのか。
人間は他人の矛盾した言動に反発したり不快に感じたり不信感を覚えたりするものの、それと同時に相手が人間であることも悟るのかもしれない。
それを思えば、
『母親として実感がない』はずの
シモーヌが、『自分は本当の秋嶋シモーヌではない』と承知しながらも、その事実を受け止めながらも、
『私は秋嶋シモーヌという一人の人間です』
と思えることもまた、人間だからこそなんだろうな。
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