自分のことを温かく迎えてくれる(存在がいれば)

新暦〇〇二二年七月三十日。




じゅんには、ひかりあかりに相応しい雄になってもらう』


なんて言ったところで、だからといって具体的にどうするかみたいな話はまったく思い浮かばない。


いや、どうなってくれればいいかというのはあるんだ。俺と同じように、ひかりのこともあかりのことも大切にしてもらえたらそれでいい。


が、じゃあそうなってもらうにはどうすればいいのか、っていうのはさすがに、な。


俺がどうやって今の俺になったのかって考えてみても、それがそのままじゅんに当てはまるとは思えないし。


だからまあ、俺がまずじゅんのことを大切にしてやろうとは思う。その真似を、ひかりあかりに対してやってもらえたらそれでいいんだ。


夕食の後、宇宙船の方で風呂に入ったひかりがいつもの定位置に座ると、じゅんが甘えるようにその隣に座る。するとひかりがおもむろに絵本を手にして、読み聞かせ始めた。


そこにさらに、あかりもやってきて、じゅんとは反対側に座ってひかりに体を寄せて、絵本を覗き込んでいた。


その姿がまた微笑ましくて、頬が緩んでしまう。


『そうだな。この感じでいいんだ。互いにいがみ合って罵り合うような関係でさえなければそれでいい。


俺がこの三人を受け止めてやれれば、こうやって穏やかでいられる。


人間がいがみ合うのは、精神的に余裕がないからだ。満たされていないからそれを埋め合わせようとしていろいろと得ようとする。


それはある意味、向上心のようなものを刺激するのかもしれないが、同時に、『自分以外の誰かを追い落としてでも自分が這い上がりたい。満たされたい』という我欲を呼び起こす危険性もある。


だがここでは、『誰かより上に』みたいなことを無理に追い求める必要がないんだ。命さえあれば、生きてさえいられれば、後はすべてオマケ。余禄でしかない。


焦る必要も、無理をする必要もない。自分が良い目を見る為に他人を追い落とす必要もない。ただ穏やかでいらればいい。


その為には、あの子達がここで生きていることを許されてる実感があればいいんだ。


俺が、それを感じているように』


そう。ここは、生と死が隣り合わせの危険な世界であることは間違いない。だが、それと同時に、


どちらが生き延びるか。


という点でぶつかり合わない限りは、


『お前みたいな奴は生きてちゃいけない』


とは言われない世界なんだ。ただ生きる為に戦って、勝った方が生き延びる。人間の世界のように、宗教や倫理、イデオロギーで<人間の価値>が決められることもない。


その上で、自分のことを温かく迎えてくれる存在がいれば、満たされることもできる世界なんだな。


だから俺が、ひかりと、あかりと、じゅんにとってのそういう存在でいればいいだけなんだろうな。


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