h 人並みの情は持ち合わせているつもり

 巽の言葉通り、決着は一週間以内についた。


 薬袋が屋敷を訪れてから三日後のことだ。

 前の晩に『明日の午後八時に出発するから暇なら集合』と師匠からメッセージをもらったので、綾人はのこのこと自宅アパートを出て、お化け屋敷を訪れた。


 師匠の自宅の合鍵は四本あるらしい。

 それぞれ師匠、姉御、巽の三人が持つ。残り一本の在り処を聞いたことはないが、恐らくメイドの玉緒が持っているだろう。綾人は巽と一緒にここを訪れることが多いので、特に不便を感じたことはない。

 今日は巽とは別々の集合になるので、門前で呼び鈴を押した。


「はい」


 応答したのは玉緒だ。


「こんにちは! 秋津です」

「こんにちは、秋津さま。どうぞお入りください」


 一分の隙もない恬淡とした声音にはもう慣れた。お邪魔します、と声をかけつつ、蝉の大合唱を浴びながら庭の迷路を攻略していく。

 たまに、前に通ったときと道が違うな、とか、昨日来たときにはなかったはずの木が、とか、不思議はあるが気にしない。気にしていたらやっていけない。我ながらしたたかになったものだ。


 入口外階段ペロンを三段上がって扉を開けると、玉緒が通路の奥から顔を出したところだった。


「坊ちゃまはお嬢さまと一緒に、御夕食のお買い物にお出掛けでいらっしゃいます。書斎でお待ちください」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 玉緒は今日も、丈の長い黒ワンピースに白いエプロンドレスを重ねた、機能性第一の古典的クラシックなメイド服を着ている。部屋には冷房が効いているし、この屋敷は通路もほんのり涼しいのだが、見ているだけで暑そうだ。

 靴を脱ぎながらふと気になったことを訊いてみる。


「玉緒さんは、お料理とかしないんですか?」


 メイドがいるわりに、この家の炊事の権利は第一に姉御にあるように思えたからだ。

 ちなみに第二が巽、家主は三番目、家事オンチの綾人は最下位である。

 すると玉緒は顔色を変えないままうなずいた。


「わたくしはお料理ができませんので」

「へー、俺と一緒ですね。俺この間カレー作ったんですけど、自分でも感心するほどまずいカレーができました」

「それまた珍重な腕前でございますね」

「巽に電話したら『料理できないやつほどカレーに隠し味を入れたがる』って怒られましたよ。ヨーグルト入れたらいいってどっかで見たから試しただけなのにな……」

「お料理は難しゅうございます」

「ほんとそれです」




 書斎の二人掛けソファを贅沢に独り占めしていると、ぱたぱたと廊下から軽やかな足音が聴こえてきた。

 玄関扉が開いた感じはしなかったので、厨房の勝手口から師匠と姉御が帰ってきたのだろう。心もち姿勢を正したとき、姉御が顔を覗かせた。


「秋津くんだ。今日のお夕飯はハンバーグだよ、一緒につくろ」

「わーい! やります!」


 弟子入りして以降、綾人の夕飯といえば姉御か巽の手料理か、心霊スポット巡礼ツアー途中の師匠の奢りか、あるいは友人との外食となった。もし弟子入りしていなければもう少し自分で料理をする努力ができていたかもと、実はちょっと思わないでもない。

 しかしいまのところは姉御や巽に教えてもらうのが楽しいのだった。


 師匠宅のキッチンは、姉御が「厨房」と呼ぶので綾人らもそれに倣っていたが、基本的には広めの台所だ。

 三口のガスコンロに広い洗い場、大きな食器棚など、ここだけ見れば大家族の台所である。師匠の祖父君が買い取るより以前は、この屋敷で客人を招いたパーティーをすることもあったというので、その名残らしい。


 師匠の今日のお召し物は、涼しげな浅葱色の麻でできた着流しだった。

 袖を紐で襷掛けにしてその上からエプロンを引っかけている。濃紺の博多帯を貝の口にした上のあたりで、器用に後ろ手でエプロンのひもを結んでいるところだ。


「師匠もハンバーグ作るんですか。大丈夫ですか?」


 家主の師匠は炊事権第三位である。

 なんでもそつなくこなしそうな、どこかハイスペックな雰囲気を漂わせているくせに、家事オンチの綾人とそう大差ない腕前らしい。塩と砂糖を間違えることはさすがにないが目玉焼きを炭にした経歴がお有りだとか。


「莫迦にすんじゃないよ。人並みにはできます」

「人に対して失礼だからやめてね、しぃちゃん」


 姉御の突っ込みの切れ味がよすぎて綾人も師匠も思わず沈黙した。


 料理オンチ二人が姉御の指示に従って工程を進めているうちに、炊事権第二位の巽がバイト終わりに顔を出す。

 金髪元ヤンのくせに色々と器用な巽は、手慣れた様子でエプロンをつけて姉御の横に並んだ。


「巽ってあの見た目で料理上手なんだからずるいですよね」


 合挽き肉をスプーンで捏ねながら綾人が零すと、師匠は「全くだ」と嘆息する。


「なんでも中学生の頃から入り浸っていた親戚の家で教えてもらったそうだよ。こっちに来てフルカと一緒に料理するようになったから上達したし」

「姉御も料理上手ですよねぇ。趣味なんですかね?」

「いや、大学に入るまでは調理実習くらいでしかやったことがなかったみたいだけど」


 なんだか意外だった。

 ちなみに姉御の料理上手が如何程のものかというと、秋津家では外食時にしかお目にかかれないカルボナーラを卵と牛乳で作ったり、秋津家ではルーを使用するカレーはスパイスから煮込んだり、冷蔵庫の中身で師匠のお酒のおつまみをぱぱっと作ったりと、そのレベル。

 三年でそこまでいけるかなぁ、と自分の未来を憂いつつ、玉ねぎや卵を混ぜたタネを成形していく。


「じゃあ大学に入ってから料理にはまったってことですか?」

「だろうねぇ」

「どこかの誰かさんが放っておいたら全然ごはん食べなかったからねぇ」


 口を挟んできた姉御の後姿から、師匠がそっと視線を逸らした。

 弟子二人に対してはひどい振舞いの多い師匠だが、姉御には砂糖菓子にシロップをかけたくらい甘い。成る程こうも見事に胃袋を掴まれては逆らえまい。


 こうしてほのぼのと夕食の支度をしていた綾人は、タネの成形が終わったところでふと気づいた。


「そういえば今日、全然あの手鏡の気配がないんですけど、どこに隠しているんですか?」

「ああ、あれ。最初は二階の物置に放り込んでたんだけど、なんかやかましくってね」


 ……何がどうやかましかったのかは、訊かないでおこう。


「他のものも一緒になって騒ぎはじめたものだから、知り合いに貰ったお札を適当に貼ってみたら落ち着いたよ」


 ……他のものとは、とか、騒ぐとは、とか、気になる単語はあったが訊かないでおこう。

 そのほうがいい気がする。


「お札って……師匠、そんなまともなアイテムも持ってたんですね」


 心霊スポットを浄化してやろうとか、世のため人のために見鬼を役立てようとか、そういう思想は一切ないのが師匠だ。

 かろうじてらしい装備といえば、マークXの助手席が定位置のあざらし様と、物騒すぎるので多くの場合はトランクに入れっぱなしになっている巽の武器(金属バット)、あとはいい加減LEDに買い替えてほしいとずっと思っている懐中電灯。その師匠の口からまさか「お札」なんて単語が出てくるとは。

 感心する綾人をよそに師匠は手を洗っている。


「どこぞの心霊スポットから剥がしてきたらしいけどね」

「最悪!!」

「さすがに粘着力が落ちていたからガムテープでぐるぐる巻きにしたよ」

「仮にも友だちの親戚の遺品に対して血も涙もない!!」

「血も涙もない? 心外な。人並みの情は持ち合わせているつもりだよ」

「それは人に対して失礼です!!」

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