曖昧模糊 針生-5


 針生は釆原が戦いに行ってしまった後、少し場所を移し、ヴァルハラの戦いがよく見える位置に移動していた。

 何やらさっきの話だとヴァルハラは釆原の父親でアルテアとは向こうの世界で知り合いでエルバートとはパーティーを組んでいたような話をしていた。

 その中で針生が一番重要と思ったのはやはり釆原の父親だと言う事だ。これまでタクシー代わりにしたり部屋の掃除をさせたりと散々な扱いをした事に今更ながら針生は後悔する。


「何よ! 紡の父親なら父親って早く言いなさいよ! それならあんな事させなかったのに……」


 独り言ちる針生を尻目にヴァルハラたちの戦いは続いている。


「やはり強いな。俺の攻撃をここまで受け切る人間は他には居ないぞ。普通ならとっくに墓の中だ」


 エルバートの賞賛にもヴァルハラは然も当然と言う感じで取り立てて喜んだりする事はない。


「何年パーティーを組んでいたと思っているんだ。お前の攻撃はすべて頭に入っている。避けられたとしても不思議な事ではないさ」


 どこか戦いを楽しんでいるような二人に異物が混入してきた。赤崎に命令されてきたメイドの玲緒菜だ。

 姉妹共にエルバートの事は良く思っていないのだが、姉の里緒菜よりも増して玲緒菜はエルバートの事をよく思っていないかった。


「何の用だ糞メイド。戦いの邪魔だから向こうで大人しく主人を守っていろよ」


 隣に来た玲緒菜に鋭い視線を向けながら追い払おうとするが、玲緒菜は動く気配はない。それどころか一歩前に出て今にもヴァルハラに突っかかって行きそうな体勢を取る。


「私は優唯様の命によってここに来ているのです。貴方に指図される覚えはありません」


 それだけ言うと玲緒菜はヴァルハラに向かって駆けて行く。使徒アパスル相手に武器もなしでは流石に厳しいと思ったのか玲緒菜の手には短刀が握られている。

 赤崎の護衛も兼ねる玲緒菜たちは普段から短刀をメイド服の下に忍ばせているのだ。その短刀は赤崎家の従者らしく名工と言われる人物の手による作で切れ味には定評があった。

 だが、その短刀も当たればの話で当たらなければ名工の名作であろうと無名の駄作であろうと関係はない。ヴァルハラは拳銃でガッチリと短刀を防いで見せた。

 これぐらいなら何とかなると考えたヴァルハラだが、すぐにその場を飛び退く事になる。なぜならエルバートがジャンプをして鉈を振りかぶり、ヴァルハラの所に振り下ろしてきたからだ。ヴァルハラの居た所と言うのは当然、玲緒菜も居たのだが玲緒菜も何とか避ける事に成功していた。


「あぁー、そこにメイドも居たのかあまりに小さくて分からなかったぜ。これに懲りたら後ろで大人しくしてな」


 明らかに玲緒菜がそこにいる事が分かって居ての攻撃に玲緒菜とエルバートの視線が火花を上げて交わる。ともすればこのまま味方同士戦いになってしまうかと思われたが、赤崎の一言で同士討ちだけは回避された。


「エルバート! 同士討ちは控えなさい! さもなくば強制命令権インペリウムを使ってでも言う事を聞かせるわよ。玲緒菜! 貴方はエルバートを補佐するように動きなさい! 命令よ」


 何処か納得のいかないようなエルバートだがこんな事で強制命令権インペリウムを使われてはヴァルハラに勝てないのが分かっているようで大人しく従うようだ。

 赤崎に命令された二人の動きは先ほどまでのようにギスギスした感じではなく、最低限連携を取ろうとしているように見えた。


「父さん!」


 その時釆原がこちらに駆けてきた。確かアルテアの方でメイドの一人と戦っていたはずだが、どうやらメイドを倒してしまったようだ。倒されたメイドに釆原が着ていたダウンジャケットが掛けてあるのが釆原らしいと針生は思った。

 今、見た感じでもメイドは鷹木の言ったようにかなり強いように思われたのだが、釆原はどうやってメイドを倒したのだろうか疑問に思った。ヴァルハラの戦いだけではなく釆原の戦いも見ておけば良かったと後悔する。


「紡!!」


 居ても経っても居られなくなった針生は釆原の所に駆け寄ろうとするが鋭い視線に止められてしまった。視線は鋭いのだが、釆原の体調はあまり良くないようで体中に傷を作っている。それだけメイドとの戦いが激しかったのだろう。

 どうやら釆原は玲緒菜と戦うようだ。連続で戦ってしまって大丈夫なのか心配になる針生だが、針生にできるのは見守る事しかない。こんな時、鷹木ならどうしただろうか。鷹木なら釆原に拒絶されても一緒に戦う事を選択するような気がする。

 そう言う行動ができる鷹木の事を針生は羨ましくも思っていた。自分の好きな男性がピンチの時に拒絶されようが嫌われようが好きな男性の元に駆け寄れる鷹木の行動力に嫉妬していた。針生の想いがギュッと胸を締め付ける。

 釆原が少し離れた所でヴァルハラたちは再び戦い始めた。暫く戦いを続けているとエルバートが赤崎の方を見る。



「顕現せよ、エルバート!」



 赤崎の声がグラウンドに響くとエルバートの体が徐々に変化していく。元々大きかった体は更に一回り大きくなり、容姿は完全に人の姿とは違った姿になっていた。

 針生の驚きとは対照的にヴァルハラは泰然自若と言った感じでエルバートの変身を見つめていた。完全に竜化するまで待ったのはヴァルハラも本気となったエルバートと戦ってみたかったのだ。


「待たせたな。やっと全力で戦える。全力でお前を潰せるぜ」


 ヴァルハラを睨みつけるエルバートの目は爬虫類が獲物を見つけた時と同じ目をしていた。


「何、礼などいらん。全力を出していないお前を倒して枕元に出てこられても困るからな」


 針生はエルバートの姿を見ただけでその容姿に圧倒され、体を動かすことができなくなってしまったのだが、どうしてヴァルハラが平気なのか不思議だった。

 ヴァルハラも元はこの世界で生きていた人間なのだ。それが異世界に転生することでエルバートのようなこの世界ではあり得ない姿に変身してもそれが普通だと思えるのだろうか。


 二人の戦闘が始まったことで針生はようやく戦いに集中し始めた。相手が強制命令権インペリウムを使ったのでこちらもすぐに使ったほうが良いかと思ったのだが、ヴァルハラからの合図はなかった。

 一対一ならほぼ互角だった戦いも今ではエルバートの方が押している。何も強化をしていないヴァルハラが今のままの状態でエルバートに勝つのが難しいのは針生が見ても明らかだった。

 それでもヴァルハラは針生に合図を送ってこない。ヴァルハラにも何か考えがあるのだろうが、その考えが分からない針生はとにかく待つしかなかった。

 それから暫く戦いが続いた後、針生にヴァルハラからやっと合図があった。状況はかなり悪いが、ここで強制命令権インペリウムを使用すれば逆転の目が出てくるかもしれない。そう思い、針生は精神を集中させる。



「支配せよ、ヴァルハラ!」



 ヴァルハラの体から魔力が満ち溢れてくるのが分かる。これで何とか戦えるようにはなると思うが勝てるか? と言われれば考えざるを得ない。それほどエルバートの変身した後の力は強力なのだ。


「ようやくお前も全力を出すのか。随分とゆっくりだったがボロボロになった体で俺に勝てると思うのか?」


 エルバートの猛攻を受けたヴァルハラは確かにボロボロになっている。それはわざわざ言われなくても一見すればわかることだ。


「フフフ。何故私がこのタイミングまで強制命令権インペリウムを使うのを待ったか分かっているか? 貴様たち亜人族は変身している間、ずっと魔力を消費しているのだ。そして私の見立てではお前が変身していられるのも後数分だ」


 後数分、ヴァルハラがエルバートからの攻撃を耐える事ができれば、その後はエルバートは元の姿に戻る。そうなればヴァルハラにも勝機が見えてくる。


「だったら元の姿に戻る前にお前を倒すまでだ!」


 エルバートは変身が解けてしまう前に倒そうとヴァルハラに襲い掛かる。鉈を振り回すたびにグラウンドに風を斬る低い音が響き、小さな竜巻を発生させる。

 ヴァルハラは絶妙な距離を取り、決してエルバートの間合いに入る事はせず遠目から魔弾を放って牽制を入れる。

 エルバートは多少のダメージは覚悟の上でヴァルハラに突っ込んでくる。魔弾が掠った場所からは血が噴き出るがエルバートが気にする素振りはない。

 鉈を振りかぶり走ってきた勢いのままに振り下ろす。鉈の刃が拳銃に防がれ、激しく火花を散らした。一瞬にして辺りを照らした光はその場を見られる事を拒絶し、針生が再びヴァルハラの方を見た時にはエルバートの姿は元に戻っていた。


「どうやら時間切れのようだな。すぐに楽にしてやる」


 ヴァルハラはエルバートを蹴り飛ばすと同時に後ろに飛び退く。拳銃を投げ捨て、光の中から新たに取り出したのは銃身が長く伸びたライフルのような銃だ。

 取り出した銃にヴァルハラはありったけの魔力をつぎ込む。銃がほんのりと発光してきたところで銃口をエルバートに向けた。

 逃げようと思えば逃げられたはずだがエルバートは逃げることをしなかった。逃げる事はエルバートにとって死ぬことと同じ事だったからだ。


「お前の攻撃受けてやるよ! 撃ってこいや!!」


 エルバートが両腕を交差して顔の前に掲げ、腰を低くする。



「全てを打ち砕く聖なる光。わが命に従い彼の者を消滅させよ。始まりの滴イニティウム・グッタ!!」



 詠唱が終わるのと同時に引き金を引くと銃口からエルバートに向かって一直線に光が放たれた。野球のボール程度の大きさの光は大きさだけ見ればそれほど威力があるのか疑問におもうが直視すれば目が潰れてしまうのではないかと思えるほどの輝きを放っている。

 恐ろしいほどの魔力の籠められた一撃はグラウンドの地面を真っ赤にしながら一筋の線を作りながらエルバートに向かって飛んでいく。

 その光がエルバートに届く前に一人の女性が光の前に立ち塞がった。赤崎だ。赤崎の『ギフト』が自己治癒能力と言えど光の弾に当たってしまっては治癒する間もなく消滅してしまうだろう。


「お前何やってるんだ! 早くそこから逃げろ!!」


 エルバートの声が響くが赤崎は動く様子はない。赤崎は後ろを振り返る事なくエルバートに答える。


「ここで貴方の負けは即ち赤崎家の負け。負けを背負って生きていくぐらいならここで朽ちても構わないわ。それが赤崎家の覚悟。赤崎家の生き方よ」


 不名誉なレッテルを貼られて生きていくぐらいなら死んだほうがましと言うのは赤崎家らしい考えだが、そんな考えに賛同できない者がいた。


「馬鹿なこと言ってないで早く逃げなさいよ!」


 針生が魔力障壁を展開し、赤崎と光の弾の前に入り込む。仲間であるヴァルハラの攻撃を防いでしまっては折角、強制命令権インペリウムを使ったのが無駄になってしまうのだが、針生は赤崎を助けずには居られなかった。

 釆原がストーカーを殺さなかった事で針生の考え方も変わって行ったのだ。それまでは憑代ハウンターであるなら死ぬ覚悟もできているだろうから殺してしまっても仕方がないと思っていたが、釆原の姿を見て殺さなくても良いのなら殺さない方が良い。助けられるのなら助けた方が良いと考えが変わったのだ。

 なかなか動こうとしない赤崎を何とか逃がそうとするが、針生が展開した魔力障壁のほうが先に限界を迎える。いくら針生の魔力障壁でもヴァルハラの全力の一撃は防ぎきることはできなかったのだ。「パリンッ!」とガラスの砕けるような音と共に光が迫ってくる。


「逃げろ! 綾那!」


 ヴァルハラの声もすでに手遅れだ。だが、すぐに二枚目の魔力障壁を展開し一秒、いやもっと短い時間かもしれない刹那の時間を稼いだことで、赤崎を押し倒すことで何とか赤崎を守ることができた。


「何故こんなことを。私と貴方は敵のはずでしょ?」


「そんなのは簡単よ。私の目の前で自殺しようとしていた人がいたから助けた。ただ、それだけよ」


「馬鹿な人ね。折角勝てた物を私を助けるためにふいにするなんて」


「いいえ、先輩。私は先輩を助けたけど勝負まで捨てた訳じゃないわ」


 針生に防がれた光の弾は多少、軌道を買えながらエルバートの所に向かっていく。万全の体勢で防御しようとしたエルバートだが赤崎が前に出てしまったことで防御姿勢を解いてしまっていた。

 迫り来る光の弾に対し何とか回避運動をするエルバートだが、完全に回避するのは間に合わず、左腕に光の弾が直撃してしまった。エルバートの表情が苦痛にゆがみ、光の弾の当たった箇所を見ると左腕が肩口からなくなっていた。


「チッ! 外したか。針生にも困った物だ」


 自分の攻撃が味方である針生に邪魔されてしまっても怒る事無くヴァルハラはエルバートに近づき、エルバートの体を抱きかかえるように拘束する。


「紡! その銃を拾って私に向かって撃て!」


 ヴァルハラが投げ捨てた拳銃の前に立っていたのはメイドを何とか倒した釆原だった。


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