第三章

仲違いの五日目-1


 目を覚ました僕はベッドから上半身を起こすが、まだ、頭にはフラフラとした感覚が残っているが昨日の夜に残っていた倦怠感はほとんど感じないほどまでなくなっていた。


「おはよう。ツムグ。気分はどうですか?」


 ベッドの横には病室で看病してくれた時のようにアルテアが椅子に座って僕の看病をしてくれていた。手には絞りたてのタオルが握られており、どうやら交換をする途中だったようだ。

 アルテアに看病されながら目を覚ますのに気分が悪い訳がない。頭のフラつきを我慢しながらベッドから立ち上がると、予想通りと言うか、案の定と言うか足が縺れてしまった。


「大丈夫ですか? まだ無理をしない方が……」


 僕が立ち上がろうとした所で、アルテアが椅子から立ち上がって僕を支えてくれようとしたが遅かった。

 足が縺れてしまった僕はアルテアの胸に顔を埋めてしまったのだ。不可抗力なので仕方がないのだが、顔に当たる柔らかな感覚は僕の体が快方に向かっている事を教えてくれた。


「朝からお盛んね。別に紡が何をしようと構わないけど、そう言う事は誰も居ない所でやってくれないかしら。私にまでさかりが移ったら困るわ」


 アルテアの胸から顔を離して、声の方を向くと、そこには針生が腕を組んで呆れたような顔でこちらを見ていた。誰がさかってるんだ。どう見ても偶然足が縺れただけだろ。


「ふ~ん。その割にはすぐに顔を胸から離さなかったように見えたんだけど……。まあ、良いわ。紡の欲求不満の捌け口が私に来た訳じゃないし。朝食の用意ができてるから二人とも下に来て」


 どうやら針生には僕が胸の感触を楽しんでいるのがバレていたようだ。僕を見る目が凄く冷たく完全に信用していないのが目を見ただけで分かる。

 そう言えばどうして針生がまだ僕の家にいるんだ? てっきり僕の治療が終わったら家に帰っている物だと思っていたので針生がまだ僕の家にいるのは驚きだ。


「針生とヴァルハラは昨日は泊って行ったんです。ツムグに何かあったらすぐに対処できるように」


 なるほど。それで僕の家にまだいたのか。ここまでしてくれると思ってなかったので、ちょっと嬉しい。後でちゃんとお礼を言っておこう。さっきの事の釈明も含めて。

 アルテアに「行こうか」と声を掛けるとふら付く足で食事をするために下に降りて行った。少し歩いた事でふら付きも治まり、しっかりとした足取りで階段を降りる。僕がそのまま台所に向かって朝食に何を作るか考えていると、居間の方から針生の声が掛かった。


「朝食は私が用意したわよ。台所を勝手に使わせてもらったけど大丈夫よね?」


 居間に行くと、こたつの上には朝食がすでに用意されていた。サラダと目玉焼き、パンがそれぞれの前に用意されていたが、僕の席の所にはお粥が用意されていた。


「紡は昨日、夕食を食べてないし、病み上がりだから朝はお粥にしておいたわ」


 なんて気の利く女性なんだ。他の人はパンなのに、僕のためにわざわざお粥を作ってくれるなんて、それなりに手間もかかっただろう。こういう事を出来る所を見ると針生は良いお嫁さんになるんだろうな。


「あ、朝から何をっているの!? い、良いお嫁さんだなんて……。早く席に着きなさいよ。食べるわよ」


 慌てる針生に促されてお粥が置いてある前に座った僕にお粥からいい香りが漂ってくる。お粥の中にはせり、蕪や大根の他に昨日使った残りだろうかビワの葉も細かくして入っていた。

 印象としては七草粥みたいだ。朝からガッツリと言う気分ではなかった僕には優しいお粥はちょうど良かった。


「どう? 美味しい? あまり材料を勝手に使っちゃ悪いと思ってなるべく余りものを使って作ってみたんだけど上手に出来てるかな?」


 聞かれるまでもく凄く美味しい。余り物でここまでのお粥が作れるなら、ちゃんとした材料があればお店で出せるぐらいの物を作ってくれそうだ。

 アルテアもパンに目玉焼きを乗せながら針生の作った料理を食べている。だが、中々目玉焼きが上手に噛み切れず付いて来てしまうため、悪戦苦闘しているみたいだ。


「ただいまー。お母さんが帰ってきましたよー」


 そう言えば、昨日は僕が倒れてしまっていたので母さんの朝食を作っていない。母さんは大丈夫だったんだろうかと思っていると、母さんが針生に抱き着いた。


「あぁー。まだ綾那ちゃんが居る。昨日のご飯は美味しかったから今日は楽しみで帰ってきちゃった」


 どうやら昨日の母さんの出かける前のご飯は針生が作ってくれたようだ。つくづく頭が下がる。

 これ以上抱き着かれても鬱陶しいと思ったのだろう針生が立ち上がって台所まで行くと、調理を始める。手早くフライパンを動かして持ってきた料理はウインナーと卵のオイスターソース炒めだった。

 ウィンナーと卵、ねぎを使っただけの簡単な料理だが、オイスターソースで味付けをしているため、ただ炒めるだけよりは数段旨味が増しているようだ。

 母さんが針生の作った料理を頬張りながら僕に問いかけてくる。


「紡ちゃんは二人と結婚するの? お母さんは何人お嫁さんが居ても平気よ。孫も沢山できるしね。家族は沢山いた方が楽しいし」


 母さんに料理を作った事で一息ついてお茶を啜っていた針生が思わず吐き出した。学校でも人気のある針生のこんな姿を見た事あるのは僕ぐらいだろう。

 どういった考え方をすれば二人と結婚するなんて考えが浮かぶか不思議だが、法律では重婚は禁止されているため二人と結婚する事はできない。


「そ、そ、そうですよ。かなちゃんが良くても色々準備と言うか……何と言うか……」


 慌てる針生は少し可愛いが、ここはちゃんと否定してほしい。針生だっていきなり結婚とか言われても迷惑だろう。


「大丈夫よ綾那ちゃん。お母さんは何時でもウエルカムよ。何なら今からでも『お義母さん』と呼んでも良いわよ」


 言い訳あるか! 針生もモジモジしていないで嫌なら嫌ではっきりと言った方が良い。これ以上母さんの勘違いが進むと針生にまで迷惑が掛かってくるぞ。

 針生は良いとしてヴァルハラの姿が見えない。昨日のお礼を言っておこうと思ったのだが。針生曰く、「一人で食べる方が好きだ」と言う事でヴァルハラは針生が作った朝食を持ってどこかに行ってしまったそうだ。


「まあ、仮面の人間が食事の場所にいても薄気味悪いだけだしね」


 何とか自分を取り戻した針生はあまり気にしていないようだ。ちなみにヴァルハラが針生の家にいる時も一緒に食事はしておらず食べている姿は見た事がないらしい。そうなると仮面の下がどうなっているのか気になるが、力ずくでは間違いなく負けるので確認できない。


「じゃあ、そろそろ私は家に戻るわ。何かあったら連絡してちょうだい」


 昨日の夜からずっと家に帰ってないので、針生は一度家に帰るようだ。服も着替えてないし、人の家というのは落ち着かないのだろう。

 僕は針生を見送りに玄関まで行くと、いつの間にかヴァルハラが針生の後ろに控えていた。「昨日はありがとう。おかげで助かったよ」と、お礼を言うと「まだ休んでおけ」と釘を刺されてしまった。

 針生を見送った後、居間に戻ると母さんの姿がなかった。お風呂場の方から音が聞こえるので、お風呂に入っているのだろう。


「ツムグ、ヴァルハラの言う通りです。今日は大人しく休んでいてください」


 今日も外に出て他の憑代ハウンターを探そうと思っていたのだが、アルテアに止められてしまった。できれば一人でも多くの憑代ハウンターを見つけておきたいがこれ以上、心配を掛けるのも申し訳ないので言う事を聞いておく事にする。

 その時ふと僕の頭にアルテアは僕が寝ている時に何をしているのだろうという疑問が浮かび上がった。


「特に何もしていません。敵が来た時にすぐに動けるように精神を集中させています」


 何と言うか想像していた通りの答えだった。母さんみたいに、こたつに突っ伏してひたすらミカンを口に運び、胃の中に収めて行くミカンシュレッダーだと困るのだが、もう少し楽にしてほしい。

 テレビだって自由に見ても良いし、お腹が減ったのなら自分で作っても良い。とにかく自分の家にいるような感じで過ごしてもらった方が僕の方も嬉しい。


「食事はツムグが作ってくれるのを美味しくいただくので間食はしません。テレビも悪くありませんが静かにしている事が好きなのです」


 まあ、アルテアがそう言うなら無理強いはしない。無理を言ってしまって逆に居心地が悪くなってしまったら意味がないし。

 自分の部屋に戻って行こうとするとアルテアも一緒に付いてきた。どうやら僕が大人しく寝るのを確認するためのようだ。もう少し信用してほしいが、アルテアの心遣いなのだろう。

 僕がベッドに入るとアルテアが布団を掛けてくれた。さっき起きたばかりだというのにもう眠くなってくるのは、よほど体が休養を欲しているのだろう。


「じゃあ、僕はまた寝るよ。おやすみアルテア」


 この時間に「おやすみ」と言うのは少しおかしな気がするが、今から寝るのだからあっているだろう。僕がゆっくりと目を閉じると、


「ゆっくり休んでください。おやすみ、ツムグ」


 アルテアは僕の部屋から足音を立てないように出て行った。僕が眠りにつくために少しでも音をたてないようにと言う気遣いがアルテアらしい。




 僕が次に目を覚ますと、窓の外はすでに暗くなっており、どうやら夕方を過ぎた時間まで寝ていたようだ。体調はだいぶ良くなっている気がする。体が重いと言った事や頭がふら付くと言う事もない。

 ベッドから起きて居間に行くと、ちょうど母さんも起きてきた所だった。それを考えると今は七時ぐらいなのだろう。


「あっ紡ちゃんだ。お母さんはご飯を要求するよ」


 起きてきてすぐにご飯を要求する母さんだが、もうすぐ出かける時間なので仕方がない。僕が台所に行く途中で居間に目を向けると、アルテアが居間の隅で正座をして瞑想していた。

 僕は頭を掻きながら冷蔵庫に向かう。まあ、アルテアがあれでリラックスできているなら良いけどね。冷蔵庫の中を確認すると豚肉と豆腐が目についたので、僕は肉豆腐を作る事にする。

 木綿豆腐は切ってキッチンペーパーの上に置いて水分を切っておき、その間に長ネギとえのき茸を切っておく。醤油、酒、みりん、砂糖に水を入れて煮汁を作り、煮汁が沸いた所で長ネギと牛肉を投入する。

 牛肉に火が通った所でいったん取り出しておき、豆腐とえのき茸を入れて十分ほどしたら最後に取り出しておいた牛肉を戻したら完成だ。


「わー。母さん肉豆腐好きよ。ご飯が進むもの」


 母さんはピーマンさえ出なければ基本的には全ての食べ物が好きなのだ。アルテアもご飯が進んでいみたいで何よりだ。今日は大皿ではないのでなくなってしまう心配はないく、僕もゆっくりとご飯を食べる。


 ご飯を食べ終わってお茶を啜っていると母さんが着替えを終えて僕の所にやって来た。


「じゃあ、お母さんは仕事に行ってくるから」


 そう言うと母さんは僕に紙袋を渡してきた。ん? 母さんが僕にプレゼント? 誕生日と言う訳でもないし何が入っているんだろうと中を確かめると――妊娠検査薬だった。

 どうやらお店のお客さんから貰ったものらしいが、こんなのを渡してきて僕にどうしろと言うのだ。


「だって、アルテアちゃんや綾那ちゃんに子供ができていたらすぐに知りたいじゃない?」


 安心してくれ。貴方の息子はアルテアや針生にそんな事をしていないし、する予定もない。

 「意気地なし」と言って家を出て行く母さんを見送った僕は居間に戻る。別に僕が意気地なしだから手を出せないのではなく、合意がないのにそう言う事をしてはいけないという僕の理性だ。

 居間に戻った僕だが、アルテアと特に話す事もなく静かな空気が流れる。その静けさに耐えられず、僕がテレビをつけると、どうやら事件があったみたいでその事件の特集をやっていた。


「えぇー。本日、夕方ごろに起きましたサッカー場での大量同時昏睡事件ですが、未だにその原因は判明しておらず、人命の救助を行った後、明日から原因調査を行うと警察から発表がありました」


 サッカー場と言えば、昨日鷹木と別れた後に通った所だ。昨日は閑散としていたし、この時期にはサッカーの試合はしていないのだが、どうやら何かのイベントで使用していたらしい。

 イベントには多くの人が訪れており、予想以上に被害が大きくなっているようだ。自分の力で立って歩ける人は警察から支給された毛布を肩から掛けており、動けない人は救急車で運ばれて行っている。

 被害の大きさからサッカー場の周りは騒然としており、リポーターもスタジオからの声が聞こえておらず、非常に混乱している様子が見て取れる。

 その様子を見たアルテアは何かを感じたようだった。そう言えば昨日もサッカー場の前でアルテアは何かを気にしていたような気がする。


「ツムグ、行きましょう。この事件、使徒アパスルの一人が関わっている可能性があります」


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