曖昧模糊 赤崎-3


 優唯は久しぶりに学校に登校していた。生徒の中に憑代ハウンターが居るのではという考えからだ。

 学校に着くと優唯は教室には向かわず、理事長室に迷いもなく入って行く。理事長室は理事長が入ってくるのは当然だが、他には先生すら入ってこないのだ。理事長である祖父は仕事で海外に行っており、今日、ここに来る事はない。

 優唯が理事長室に入ったのに続き、体の至る所に湿布を張ったメイド姉妹とエルバートが理事長室に入ってくる。優唯が理事長の椅子に座っていると、メイド姉妹が何やら機械の操作を始める。優唯の座っている椅子の前には机があり、その上のモニターで学校内の様子が確認できるのだ。


「優唯様、どこをお映ししましょうか?」


 姉妹からの問に優唯は少し考えると、


「適当に切り替えて行ってちょうだい。私が合図したら止めなさい」


 姉妹は頷くと、五秒毎に画面を切り替えていく。エルバートは何が行われているのか分からず、ただ茫然と画面を見つめるだけだった。

 何度か画面が切り替わった後、優唯からストップの合図が掛かる。モニターには屋上で何かを話している三人の姿が映っていた。

 一人は女性で、優唯はその女性の事を知っていた。二年の中では有名で、確か名前は針生と言ったはずだ。何度か話した事があったはずだ。なぜ制服を着ていないのか不思議だが、あの女性は針生で間違いないだろうと思う。

 二人いる男の内、一人は制服を着ているため月星高校の学生だろう。男子生徒だが、優唯は見た事もなかった。


「あの男子学生は釆原と言う名前の二年生です」


 里緒菜が釆原の名前を答えてきた。里緒菜は何かあった場合にすぐに対応できるよう、学生すべての顔と名前を憶えており、画面を見れば名前を出す事など造作もない事だ。

 そしてもう一人、他の二人より明らかに体格の良い人物は顔に仮面を着けていた。どう見ても学生には見えない姿に優唯はこの人物は使徒アパスルだと直感的に思う。


「音声を出してちょうだい」


 優唯は自分の予想を確実なものにするため、何かを話している様子の画面に音声を出すように姉妹に命じる。


「待て! 針生。良く分かった。分かったから落ち着いてくれ」


「は~。分かった? そういう事よ。紡は今、戦いをしているの。アルテアを連れずに出歩けばこういう事だってあり得るのよ」


 モニターの中から聞こえてきた音声で、男子学生……釆原が憑代ハウンターである事が分かる。


「そろそろ俺の出番か。あの仮面の男が使徒アパスルだな。どこの種族か分からんがぶっ倒してやれば関係ねぇ」


 エルバートがポキポキと指を鳴らしながら部屋を出て行こうとする所を優唯は引き留めた。なぜならエルバートが倒そうとしていた仮面の人物はすでに学校から離れてしまったからだ。


「チッ! 運の良い野郎だ。仕方がねぇから残った男の方にするか。物足りないが憑代ハウンターなら倒してしまっておいた方が良いだろう」


 再びエルバートが指を鳴らしながら部屋を出て行こうとするが、やはり優唯はエルバートを引き留めた。


「このまま戦ったら他の生徒に被害が出るかもしれないわ。別に生徒が死のうが構わないけど、後始末が大変だから学校に居る者は全員は帰らせましょう」


 生徒に被害が出て大変なのは優唯の使用人たちなのだが、優唯も関係者ではあるので大変と言う事にしておいた。


「校長に連絡を入れなさい。今日の午後は休校よ。それと釆原という人物を生徒指導室に呼び出すように伝えなさい」


 玲緒菜は機械を操作し、校長に直接連絡を取る。校長はいきなりの事に最初は渋っていたが、優唯の直々の命令だと伝えると、人が変わったように素直に応じた。

 校内に放送が流れると生徒たちは帰り始めた。カメラで確認するが、今、学校に残っているのは生徒指導室に居る釆原だけになった。


「それじゃあ行きましょ。まずは私が話をするからエルバートは私が呼んでから入って来なさい」


 優唯が理事長の椅子から立ち上がるとメイド姉妹が後に続いて理事長室を出て行く。エルバートはなんでこんな面倒臭い事をと思いつつも、ここは大人しく従っておく。

 生徒指導室に優唯が一人で入って行くと、そこには釆原が座っていた。


「ここが生徒指導室なのね。初めて来たわ。あっ、貴方が釆原君ね」


 優唯の挨拶に釆原は驚いたような顔をしていた。どうやら優唯が釆原の名前を知っていたのが不思議だったようだ。優唯から見た釆原は何処にでもいる普通の学生で、会話をする価値もない男性のように見えた。彼が憑代ハウンターであると言う事を除いて。

 何回か会話のやり取りを行ってみたが、釆原の会話は優唯に響く事はなかった。これ以上は時間の無駄だと判断した優唯はエルバートを部屋の中に呼び入れる。


「こいつがさっき言ってた奴か?」


「えぇ、そうよ。間違いないわ」


 エルバートと簡単な確認を終えるとエルバートは釆原に向かって襲い掛かった。姉妹との戦いの時は武器を持っていなかったが、今回は鉈のような物を武器として使っている。

 エルバートの一撃によって生徒指導室の床に穴が開いてしまった。普通なら建物が壊された事で落ち込んだり怒ったりするのだろうが、優唯はお腹の底から湧き上がる興奮を抑えきれなかった。

 この非現実感こそが優唯の望んだものだった。興奮を襲えきれない優唯が笑みを浮かべると、釆原はエルバートの空けた穴から落ちて行ってしまった。

 外で控えていた姉妹を中に入れると、ノートパソコンが優唯の前に置かれる。その画面には学校の中を逃げ回る釆原の姿が映っていた。これぐらいの行動は姉妹は何も言わずとも対応してくれる。

 一生懸命廊下を逃げる釆原だが、相手はエルバートだ。逃げ切れる訳もなくすぐに追いつかれてしまう。追いついたエルバートが釆原の背中を思いっきり蹴とばすと釆原は廊下の端まで吹き飛んでいった。


「アハハッ。人間ってあんな距離を飛ぶ事ができるのね。二人でオリンピックに出たら金メダルは間違いないわね」


 画面を見ながら上機嫌の優唯は姉妹に冗談を言うのだが、「その通りでございます。優唯様」と真面目な返事を返されてしまった。

 相手が砕けている時は同じように砕けてくれた方が面白いのだが、姉妹はまだそういう柔軟な対応が弱かった。その点、執事長の男は完璧な対応を取るのだが、それはそれで気に食わなかった。


 エルバートは釆原を吹き飛ばした後、すぐに廊下を蹴って距離を詰める。釆原は壁にぶつかった事でどうやら気を失ってしまっているらしい。

 釆原の頭上に向かってエルバートは鉈を振り下ろすが、釆原は急に座り込んでしまい、狙いの失った鉈は壁を破壊する事しかできなかった。瓦礫が外に落ちるのと一緒に釆原も下に落ちてしまった。

 ちょこまかと逃げ回る釆原に多少辟易するエルバートだが、普通の人間では仕方がないと思い、気合を入れ直して自分が開けた穴から下に飛び降りる。

 下に降りたエルバートは瓦礫を蹴散らしながら釆原に向かって行く。横に薙いだ鉈は釆原の腹を確実に切り裂いたと思われたが、釆原はバックステップをする事で鉈を避けた。

 今の一撃はとても人間では躱せるものではないはずだ。それを避けたと言う事はもしかしたら『ギフト』を使用したのかもしれないと考えるエルバートだが、釆原が何かを使用した感じは一切しなかった。


「チッ! また外したか。お前何か力を使っているだろ!」


 鎌をかけてみたが、釆原からの返答はない。『ギフト』を使っていようが使っていまいが関係ない。殺してしまえばそれまでだ。そう思ったエルバートは開いてしまった距離を詰める。袈裟斬りに振り下ろした鉈を釆原が避けようとした所で、釆原が瓦礫に躓く。

 その様子を見て、エルバートは振り下ろしていた鉈を止めると、もう一度振りかぶり、体勢を崩している釆原を確実に殺せるように鉈を振り下ろす。



「ガキッ!!」



 確実に釆原を殺せると思ったエルバートの鉈は、目の前にいる女性によって防がれてしまった。これ以上押し込むのは無理だと判断したエルバートは後ろに飛び退き、距離を取る。


「テメー何者だ! 人の邪魔しやがってタダで済むと思うなよ!」


 せっかく憑代ハウンターの一人倒す事ができると思った所を邪魔をされたエルバートは苛立ちを含んだ声を上げる。


「彼を殺すのは自由だけどその間に私は貴方を倒します」


 そう言って女性はエルバートに向かって剣になっている右腕を振るって行く。先ほどの一撃を防いだ事で只者ではないと分かっていたが、この女性は間違いなく使徒アパスルだろう。

 腕が剣になっている所を見ると、エルバートは女性がアンドロイド族であると予想する。だとすればエルバートにとってそれほど難しい相手ではない。エルバートの予想通り、最初は互角だった戦いも徐々にエルバートが押していくようになる。


 その様子を生徒指導室のモニターで見ていた優唯は「行け! 行け!」と興奮を隠せない様子で声を上げた。その声は赤崎家の女性であれば品を欠いてしまっている声だが、今ここに居るのは優唯とメイド姉妹だけなので問題ない。

 優唯が机を叩いて立ち上がったので、机の上に置いてあった紅茶が零れてしまい、里緒菜が紅茶を片付ける。モニターだけで見ているのに満足できなかった優唯が部屋を出て行こうとするが、玲緒菜によって止められてしまう。


「優唯様、お待ちください。今ここを出て行っては危険です。何卒ご自重ください」


 目の前で頭を下げる玲緒菜を優唯は押しのける。こんな興奮する場面をモニター越しで見るなんて我慢できない。この目でしっかりと見ておかなければ、必ず後悔してしまう。

 その思いで生徒指導室を飛び出した優唯をメイド姉妹が追いかける。こうなってしまえば優唯を止める手立ては姉妹にはないのだ。

 昇降口を出た優唯がエルバートの姿を見つけると、そちらに向かって近寄ろうとするが、再び姉妹に止められてしまった。キッ! っと姉妹を睨みつけるが、今度は姉妹の方も引く事はしないようだ。


「これ以上は危険です。まだ近づこうとするなら優唯様と言えど力ずくで止めさせていただきます」


 これ以上近づかれては姉妹も優唯を守り抜く自信がないのだろう。それはエルバートと手合わせをした事で得た経験から来ている。優唯もこれ以上は戦闘の邪魔になるし、確かに自分の身も危険と感じたため、今回は姉妹に従う事にする。

 姉妹は優唯の視線を遮らないように優唯の前に立ち、何かあればすぐに動けるような態勢を取って戦闘を見つめる。


 優唯たちの目の前ではエルバートと女性の戦いが続いており、徐々に激しさを増していった。女性の剣の動きを完全に見切ったエルバートが腕を膨らませ、鉈を横に薙いだ。完璧と思える一撃に優唯はこれで戦いが終わったと思った。

 だが、優唯の予想は裏切られる。戦いはまだ終わらなかったのだ。それは女性がエルバートの攻撃を避けたのでもなく、エルバートが目測を誤り攻撃を外したのでもない。下に倒れていた釆原が女性を押したをしたのだ。それまで倒れて動かなかった釆原はエルバートが横に薙いだ瞬間、息を吹き返したように女性に向かってタックルをしたことでエルバートの鉈は虚しく空を切ったのだ。


「貴様! 俺の戦いに手を出すとはいい度胸じゃねぇか! 覚悟はできてるんだろうな!」


 エルバートは最大のチャンスを潰された事に怒りの声を上げる。こんな事なら釆原をさっさと片付けておけば良かったと後悔するが、今となってはもう遅い。


「戦いの邪魔です。貴方は早くどこかに逃げて行ってください」


 女性が釆原を逃がそうとするが、そんな事を許すエルバートではない。釆原もエルバートの獲物なのだ。


「俺が逃がすと思うか? お前は殺すって決めてるんだ! そこで大人しく待っていやがれ!」


 エルバートが一歩踏み出した所で女性が剣をエルバートの方に向けて牽制する。だが、エルバートはそんな牽制など無意味と言わんばかりに女性に向かって突っ込んでくる。最初は互角の戦いを行っていたが、段々と鉈の攻撃を女性は捌ききれなくなっている。

 ふと、釆原が居た場所を女性が見るとそこには釆原の姿はなく、どうやら戦っている間に逃げてしまったのだろうと思い、女性は少し安堵する。最初に会った時は殺そうとしたはずなのに、今は逃げてくれてよかったなんて思うのは女性からしてみても不思議な感情だった。

 女性がそう思ったのは一瞬にも満たない僅かな時間だったが、エルバートにとっては十分だった。鉈を袈裟に斬りつけると反応の遅れた女性の左腕を切裂いた。肘の辺りから切断された左腕はその場に落ち、斬られた箇所からは何本かのコードが見えていた。普通の人間なら悲鳴の一つも上げる所だろうが、アンドロイドである女性は表情一つ変えずに後ろに飛び退くと斬り落とされた左腕をじっと見つめる。

 切断された左腕に見切りをつけた女性は肩のあたりから腕を外すと、光の中から取り出した新しい左腕を取り付ける。その左腕は剣になっており、これで女性は二刀流になったと言う事だ。


「剣が一本だろうが、二本だろうが関係ないがな」


 そう言って犬歯を見せるエルバートが女性に向かって鉈を振り始めた。エルバートの言った通り、女性が二刀流になった所で戦況にそれほどの変化はなく押しているのはエルバートの方だ。

 暴風のように押し寄せてくるエルバートの攻撃に女性は防戦一方になってしまう。これ以上、エルバートの攻撃を捌くのは無理だと判断した女性は、近くにあった植え込みに一瞬だが視線を向ける。



「穿て、ルスラン!」



 その声が合図となり、女性――ルスランの動きが一変する。今まで押されていたルスランが今度はエルバートを押していく。


 その声は優唯にも聞こえていた。どこから聞こえた声か探していたが、声の主の姿が見つけられず、再び戦いの方に目を向けると、エルバートとルスランの攻守が逆転している。

 少し視線を外しただけだが、一瞬にして変わった戦況に目を離した事を後悔する優唯だが、ルスランの先ほどまでとは明らかに違う動きに優唯はやっと相手が強制命令権インペリウムを使用したのだと分かった。


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