曖昧模糊 赤崎-2


 浴室から出た優唯は着替えを済ませると、自室に戻って行った。エルバートは着替えの邪魔なので、手の空いているメイドに命令し、先に部屋に行くように指示をしておいた。

 着替え終わった優唯は、肩口から胸元までぱっくりと空いた白を基調としたワンピースドレスを着ており、所々刺繍が施されているドレスは、一目見ただけで高そうなのが分かる。

 肘のあたりまである白の手袋をした優唯が自室に入ると、エルバートが興味深そうに部屋の中を見回している。


「これが一個人の部屋かよ。こんな部屋、王都でもこんな豪華な部屋は見た事ないぞ」


 優唯は今まで何人もの大人を相手にしてきた事によって、相手が本気で言っているのか、おべんちゃらを言っているのか見抜く事ができるようになっていた。


「エルバート。はしたないわよ。貴方は赤崎家の一員になったのだから変な行動は慎みなさい」


 どうやら優唯はエルバートが本気で言っていると捉えたようだ。これがもし、おべんちゃらを言っていると判断されたら、エルバートはこの部屋にはおらず、二度と赤崎家の敷居を跨ぐ事は無かっただろう。

 優唯が椅子に座ると、里緒菜がティーカップを用意し、玲緒菜がこのタイミングを見計らったように淹れていた紅茶をティーカップに注ぐ。

 どこかの高級ホテルのような香りがする部屋の中に、フォートナム・アンド・メイソンと言うブランドの紅茶の上品な甘い香りがしてくる。香りを一通り楽しんだ後、紅茶を一口、口に含むと、癖のない上質な茶葉の味が楽しめる。


「貴方も飲みなさい。もう肉体があるんだから紅茶も飲めるのでしょ?」


 エルバートは椅子に腰かけると、優唯に言われた通り、紅茶を一口、口に含む。紅茶の良しあしなど分からないエルバートは微妙な顔をする。


「葉っぱを煎じた飲み物なんてどれを飲んでも同じだな。美味いのか不味いのかすら分からねぇ」


 正直なエルバートの感想に、優唯は笑みを浮かべるが、常に最高の品質の最高の状態の物を提供するように心がけている姉妹はイラっとした表情を浮かべる。


「この紅茶の味も分からないなんて素晴らしい舌をお持ちで。心中お察しいたします」


 煽りを入れた玲緒菜がペコリと頭を下げる。流石にエルバートも馬鹿にされた事は分かったようで、机を叩いて立ち上がる。


「この糞メイド! 俺の事を馬鹿にしやがったな? 覚悟はできているんだろうな?」


 エルバートが玲緒菜の元に寄って行くと里緒菜も玲緒菜の横に付き、何時でも戦える態勢を取る。


「止めなさい。時間がもったいないわ」


 優唯が双方を一度だけ睨みつける。姉妹は「申し訳ありません。優唯様」と言って優唯の後ろに下がり、エルバートは舌打ちをして元の席に戻って行った。


「それで、王を決める戦いってどうやって王を決めるの?」


 スポーツのトーナメントみたいに、正々堂々、一対一で戦うとは思えない。それなら、わざわざこちらの世界に来る必要もないと優唯は思う。


「簡単な事だ。レガリアを各種族の代表が一つずつ持っている。それを全部集めて元の世界に戻った者が勝ちだ」


 エルバートの手が淡く光り輝くと、その手の中から赤い色の宝石が姿を現した。その宝石は遠目で見てもかなり価値があるように見えた。


「レッドベリルみたいな宝石ね。私が触っても大丈夫かしら?」


 優唯がエルバートの了承を得てから、宝石を手にする。光に当ててみると透明度が高い上、不純物が入っておらず、深みのあるレッドカラーの宝石なのが分かる。

 その美しさには後ろで控えていた姉妹たちも思わず見入ってしまうほどだった。


「これを集めて元の世界に持ち帰れば勝ちって事ね。でも、相手を倒さずに宝石だけを奪う事はできないんでしょ?」


 レガリアをエルバートに返した優唯が、可能性の話として盗んだりする事ができるか聞いてみた。


「ほぼ不可能だろうな。普段は魔法で隠しているし、よほどの事がない限りレガリアを外に出す事は無いしな」


 やはり無理なようだ。だが、ここで優唯は一つの疑問が頭に浮かぶ。


「それじゃあ、殺してしまう前にレガリアを出させて奪うしかないって事?」


 単純な疑問だった。レガリアをほとんど外に出さない者に対し、レガリアを差し出させてから殺すと言うのは手間がかかり過ぎる。


「いや、それについては大丈夫だ。どういう理屈か俺にも分らんが、相手を殺せば自動的にレガリアは俺の手に移ってくる」


 それを聞いて優唯は安堵の表情を浮かべる。それならば、ただ敵を殺せばいい。決死の覚悟できているだろう相手に説得など無意味なのだから。


「それと一つ気を付けてかなければならない事がある。それは強制命令権インペリウムは三度しか使えない事だ」


 これは重要な情報だった。八人いる相手に三度しか強制命令権インペリウムが使えないとなると、全員をエルバートが殺すのは難しいだろう。


「確認するけど、強制命令権インペリウムを使わない状態の貴方が他の敵を全員倒す事は可能なの?」


 その質問にエルバートが真剣な顔をして考え込んでしまった。それだけで答えが分かってしまったが、それでもエルバートからの返事を待つ。


「正直言うと厳しいだろうな。能力の上がった状態の相手では普通の状態の俺だと負ける可能性が出てくる」


 予想通りの回答が返ってきた。普通の状態で全員倒せてしまえば強制命令権インペリウムを使う必要がないので、当然と言えば当然の答えだろう。


「種族には相性があってな。大まかに人族、精霊族、亜人族と別れ、人族は精霊族に対し優位に戦え、精霊族は亜人族に対し優位に戦える。そして、亜人族は人族に対し優位に戦えるという感じだ」


 エルバートの話によれば、人族とは人間族、ホムンクルス族、アンドロイド族で、精霊族はエルフ族、ドワーフ族、ヴァンパイア族、亜人族はドラゴニュート族、ライカンスロープ族、ハーピー族となっているようだ。

 エルバートはドラゴニュート族なので、人族相手には優位に戦えるが、逆に精霊族は苦戦をするようだ。ただ、これも個人差があり、必ずそうなる訳ではないらしい。

 そうなると、人族相手には強制命令権インペリウムを使わずに倒してしまって、他の五人に対してどこかのタイミングで強制命令権インペリウムを使った方が勝てる可能性は高くなるのだろう。

 だが、それでも強制命令権インペリウムの数が足りない。そうなると協力者がいてくれた方が戦いは楽になるだろう。相手がただの人間なら、赤崎家の財力、影響力、支配力の全てを使ってでも協力させるのだが、使徒アパスル相手ではどこまで通用するかは分からない。

 そう言う赤崎家の力の及ばない戦いこそが優唯の望んだものだった。赤崎家の力を使って勝ててしまうような戦いでは興奮できないのだ。


「ふん、口では最強と言っておきながらその程度か」


 後ろで控えていた玲緒菜から、そんな呟きが聞こえてきた。この呟きにエルバートは怒りを露にし、ものすごい勢いで椅子から立ち上がる。


「聞き捨てならねぇな、糞メイド! 何ならここでテメーを倒して力を見せてやろうか!?」


 またかと優唯は溜息を吐くが、確かにエルバートの実力は未だに未知数だ。使徒アパスル自体どれぐらい強いのか分からないし、エルバートが言う最強と言うのも目で見て確認したわけではない。それならば姉妹を相手に一度手合わせをさせても良いかもしれないと優唯は考える。


「分かったわ。貴方たちに戦う機会を与えましょう。二人とも準備しなさい」


 その言葉に姉妹は優唯にお辞儀をして部屋を出て行く。残されたエルバートは戦う相手が居なくなってしまった事で戸惑っているようだ。


「どういう事だ? ここで殺らせてくれるんじゃないのか?」


「こんな所で暴れられたら私の部屋が汚れてしまうでしょ。だから戦える場所を用意してあげるわ。それと殺すのは禁止よ。仲間同士で数を減らしても意味がないでしょ」


 暫く待つと姉妹が部屋に戻ってきた。どうやら準備ができたようだ。優唯の別邸には武道場が備えられているので、そこでエルバートと姉妹を戦わせるつもりだ。

 武道場は普通の学校の体育館ほどの大きさがあり、下には畳が一面に敷き詰められている。三人が戦うには十分な広さがあった。


「本当に殺すのは禁止なのか? 相手を殺しちゃいけない戦いはした事がないんだが」


「もう言い訳ですか。私たちに勝てなかった時の保身に忙しいようですね」


「何だと? 糞メイド! 徹底的に痛めつけてやるから覚悟しとけよ」


 広々とした武道場の中央で対峙するエルバートと姉妹は互いに視線を外す事は無い。畳の上にメイドの姉妹と、靴のまま上がり込んでいるエルバートだが、優唯は特に気にする事は無い。

 優唯も畳の上に机と椅子を持ち込んで、優雅に紅茶を嗜んでいるからだ。どうせ一度使った畳は入れ替えるので汚れてしまってはとか考えた事は無い。


「もう一度だけ言うけど殺すのは禁止よ。勝敗は私が勝手に決めるわ。声が掛かるまで戦いなさい。それじゃあ、始めてちょうだい」


 武術の試合のように気合の入った掛け声を掛ける訳ではなく、自然な流れで優唯は試合の開始の合図を伝える。

 その声を聴いて最初に動いたのは姉妹の方だ。里緒菜が右から玲緒菜は左からエルバートに迫る。全員、武器を持たず、素手での戦いだが、実力を見るにはちょうど良いと優唯は思う。

 姉妹の動きは一般人に比べればとても速かった。普通の人間ならこのスピードに付いて行けず、左右から迫る姉妹に瞬時に倒されてしまうのだろうが、エルバートは余裕を持ってこの攻撃を躱す。


「さっきも見たが中々早いようだが、そこまでだな。所詮は一般人の速さだ」


 エルバートの姿が一瞬ブレる。優唯にはその姿を追う事ができず、次にエルバートの姿を捕えた時には、エルバートの足元には姉妹が倒れていた。

 姉妹は腹部に拳を叩き込まれ、二人ともお腹を押さえて倒れ込んでいる。視線だけはエルバートから離さないが、体は言う事を聞いてくれないようだ。


「さて、ここから死なない程度に痛めつける訳だがどちらからが良い? 先に気持ちよくなりたい方が手を上げろ」


 そんな事を言われて大人しく手を上げる姉妹ではない。一瞬だけ視線を姉妹で合わせると倒れた状態から起き上がり、再びエルバートに襲い掛かる。

 姉妹が抵抗してきた事に気分を良くしたエルバートは笑顔だ。ただ弱い相手を痛めつけたのでは面白くない。こうやって反抗してきた敵を更に力で押さえつけるのが快感なのだ。

 飛び込んできた姉妹の顔面に拳を入れる。男性だろうと女性だろうとエルバートには関係ないのだ。向かって来る者は叩き潰す。ただそれだけで拳を振るう。

 物の数分も経たずに姉妹はボロボロの姿になって畳に倒れている。エルバートに殴れらたカ所は赤く腫れ、涙を流しているのは悔しいからだろうか。

 その様子を見た優唯はすぐ止めるべきだったが、止めようとはしなかった。戦いに魅せられた優唯は興奮してしまい、こんな良い場面を止める事ができなかった。

 姉妹が殴られるたびに激しく息を漏らす感覚は優唯が今までに味わった事のないものだった。


 ――殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺ってしまえ!


 自分で殺す事を禁止しておきながら優唯はエルバートが姉妹を殺すのを今か今かと興奮を覚えながら待っていた。

 エルバートが止めを刺そうとジャンプをして姉妹の顔面に向け、拳を振り下ろす。


 ――行け! 行け! 行け! 私に今まで見た事のない景色を見せて!


 畳に大きく穴が開き、舞い上がった埃が治まるとエルバートは拳を引き抜き立ち上がった。どうやらエルバートは優唯の命令を聞いて姉妹に止めを刺す事なく、姉妹の間に拳を落としたのだ。


「おい! いい加減止めないのか? これ以上やると本当に死んでしまいぞ」


 その声に興奮で我を忘れていた優唯は急に現実に戻されたような感じがした。


「そこまでよ。もう十分だわ」


 何とか殺す事なく終えられた事にエルバートは疲れたような表情をする。どうやらあれでもかなり手を抜いていたようだ。

 倒れていた姉妹が立ち上がり、互いに互いを支えながら優唯の元にやって来る。その顔は殴られた事で所々腫れており、悔しさが滲み出ていた。こんな失態を優唯に見られたのが我慢できないのだ。


「申し訳ありません……優唯様。不甲斐ない戦いをお見せしてしまって……。この次は必ず……」


「今日はゆっくり休みなさい。明日の仕事に影響が出たら承知しないわ」


 優唯としては非常に良い物を見せてもらった褒美に今日は休んで良いと告げる。姉妹の様子を見れば数日は休ませても良いのだが、姉妹は必ず優唯の世話をしてくるだろうから今日とだけにしておいた。

 重い足取りで武道場を出て行く姉妹は最後にエルバートを睨みつけてから出て行った。


「よくやった方だがな。相手が俺と言う事で最初から勝ち目はなかったが。それにしても合図が遅かったんじゃねぇか?」


 姉妹が出て行ったのを確認してエルバートが優唯の元にやって来た。その様子はまだまだ余裕があり、姉妹とは対照的な印象を受ける。


「貴方の実力が本物かどうか確認するためにギリギリまで止めるのを止めていただけよ。他意はないわ」


 優唯は冷めてしまう寸前の紅茶を飲みながら興奮してカラカラになったのどを潤す。戦いをしてお腹が空いたのかエルバートは食事を要求してきた。


「動いたら腹が減った。何か食わせてくれ」


 優唯が二度、手を叩くと武道場の外に控えていたメイドが入ってきた。メイドにエルバートの食事と寝る所の指示を与えると、メイドはエルバートを連れて武道場を出て行った。


「あの姉妹が何もできず倒されるのは初めて見たわ。これは面白くなりそうね。それに……」


 今も自分の中に残る興奮がくすぶり続けている。これだけでは足りないと優唯は思ってしまった。

 ゆっくりと椅子から優唯が立ち上がり、三人が戦っていた所に目を移す。そこには今でも倒れている姉妹を見下ろすエルバートの姿が目に焼き付いている。

 ぶるりと優唯の体を震えが襲った後、優唯は口角を上げて静かな笑みを浮かべる。


 優唯はもう一度お風呂に入り、ネグリジェに着替えた後、無駄に大きいベッドに横になる。今日起きた事を思い出すと、優唯は興奮で眠る事ができなかった。今まで生きて来てこんな興奮しているのは初めてだった。

 仕方がないので優唯は明日からの行動を考える。エルバートの話から推測するに、学校に優唯と同じように憑代ハウンターとして契約している者が居てもおかしくないと考える。

 最近登校していなかったが、明日は久しぶりに登校してみようと思う。中々寝付けない優唯が眠りについたのは、夜が明け始めた頃だった。


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