開戦の三日目-4


 次に目を覚ましたのはベッドの上だった。真っ白い部屋はどう考えても僕の部屋ではなく、どこか落ち着かない感じがした。


「目を覚ましましたか? ツムグ」


 ベッドに寝たままで声のした方に顔を向けると、アルテアがベッドの横に座っていた。その服は最後に見たニットにジャカードスカート姿で今改めて見ても似合っていた。


「ここは病院と言う所らしいです。ツムグが気を失ってから綾那が来てここに連れて来てくれました」


 そうかあの後、針生が家に来たのか。早く帰れと言われたのにこんな事になってしまって針生が怒っている姿が目に浮かぶ。もしかすると僕は使徒アパスルに襲われるより惨い目に遭うんじゃないだろうか。

 そんな事を考えていると、僕の寝ているベッドを仕切ってくれているカーテンが開き、そこから針生の姿が見えた。


「綾那、ツムグが目を覚ましました」


 針生の顔はここから見る限りは怒っているようには見えない。もしかしてお昼の事は忘れているのかと思ったが、そんな事はなかった。


「えぇ、残念ね。私の言う事を聞かない人間なんてみんな死んでしまえば良いのに。紡なんて野垂れ死んでしまえば良いのに」


 針生さん。病人にはもう少し優しくしてくれませんか? 体の傷以上に心の傷が開いてしまいます。


「フン! 弱ったふりをしても無駄よ。そんな物に私は騙されないわ。ちょっとお腹を斬ったからって大げさなのよ。それぐらいの傷なら干物の方がよっぽど可哀そうに思えるわ」


 僕の傷は干物以下ですか……。間違ってはいないのだが、いつもにも増して辛辣な針生さんだ。どうやら僕の行動がよほどお気に召さなかったようだ。


「綾那。その後ろに持っている物は?」


 アルテアの一言に針生は肩が跳ねて顔が赤くなり始める。僕からは見えないが何かを持っているようだ。


「こ、これはあれよ。そう、アルテアが看病してるのが大変そうだったから陣中見舞いと言うか食べてもらおうと思って持ってきたのよ。決して紡にあげようと持ってきた訳じゃないわ」


 そう言うと針生は後ろに持っていたフルーツをアルテアに手渡した。フルーツは籠に入っており、どう見てもお見舞い用のフルーツなのだが僕には渡してくれなかった。

 言う事を聞かなくて申し訳ないとは思うのだが、僕も帰ろうとした所で呼び止められてしまったので仕方がなくと言った感じだったので何とか機嫌を直してほしい。


「紡ちゃん! 良かった~。生きてたのねぇ~」


 母さんが仕切られた中に入ってくると針生を押しのけてそのままボディープレスをして僕に抱きついてきた。お腹は縫合した直後であり、傷口に響くから今はそういう行動は止めて欲しいが、母さんは僕の胸に顔をうずめて何時までも僕の傷を刺激してくる。

 離そうとしても離れない母さんの事は諦めて、僕は意識を失った後の事をアルテアに聞くが、針生が代わりに答えてきた。


「大変だったのよ。私が紡の家に行ったら、貴方は倒れているし、アルテアはどうして良いか分からずあたふたしてるし。結局私が救急車を呼んだもの」


 多少機嫌が良くなってきたのか針生が僕が倒れた後の事を教えてくれる。どうやら意識を失った僕をアルテアが介抱しようとしたのだが、どうやって良いか分からず慌てふためいていた所に針生が僕の家に来たようだ。

 僕の状態を見た針生が救急車を呼び、その間に寝ている母さんを起こしと色々やってくれたみたいというから頭が上がらない。


「それにしても紡ちゃんはどうしてこんな傷を負ったの?」


 母さんの質問にアルテアと針生は見るが二人とも首を振っている。どうやら憑代ハウンター使徒アパスルの事は言わない方が良いらしい。

 そうなると何と言って母さんを納得させるか頭を悩ます。その時、最近良くニュースでやっていた殺人事件の事を思い出した。どうせ殺人犯に会う事はないのだからこの際悪者になってもらおう。僕は帰る途中に殺人犯に会ってお腹を斬られたと話をでっち上げた。


「そうなの? 殺人犯に会ったんだ。どんな人だったの? 警察に連絡した?」


 予想以上に母さんが食いついてしまった。どんな人と言われても実際には会っていないのだから分からない。仕方がないので、頭に浮かんだ姿を母さんに伝えていくが、その伝えた姿はどう考えても蛯谷の姿だった。


「分かったわ。お母さんは紡ちゃんの代わりに警察に行って伝えて来るわ」


 そう言うと母さんは病室から出て行ってしまった。これで蛯谷が捕まってしまったらどうしよう。だが、今の僕には出来る事はない。無事に逃げてくれ、蛯谷。


「いくら私でもそこまでしろとは言ってないわよ。友人を平気で売るなんて真面な人間のやる事じゃないわよ」


 そうは言っても浮かんできたのが蛯谷だったのだから仕方がない。でも大丈夫だ。蛯谷は今、鷹木と付き合えた事で気分が良いはずだからこれくらいの事は許していくれるはずだ。

 母さんが去って静かになった病室に針生とアルテアが残っている所で僕は学校であった出来事を二人に伝える。


「そう。赤崎先輩が……。私も何度も話した事がある訳じゃないけど、赤崎先輩が憑代ハウンターになっていたのは驚きだわ。話からすると、お昼に私と紡が屋上で話していたのを見られていたのでしょうね」


 確かに赤崎先輩もそんなような事を言っていた気がする。監視カメラがどうとか言っていたはずだ。


「私はその赤崎先輩という人の使徒アパスルの方が気になります。もう一人の女性はツムグが言っていたようにアンドロイド族で間違いないでしょうが、赤崎先輩の使徒アパスルは容姿からはどの種族か分からないですね」


 鉈を武器として使っていた事で鉈を好んで使っている種族があるのではないかと思ったが、そう言う種族はないらしい。僕が命懸けで得た情報は全く無駄になってしまった。落ち込む僕だったが、アルテアが優しく声を掛けてくれる。


「ツムグが無事に帰ってきてくれたことが一番です。ツムグが死んでしまっていたら私は再契約できずに消えてしまっていたかもしれない」


「そ、そうよ。私の言いつけをちゃんと守っていればこんな事にはならなかったでしょうけど、それでも生きていただけでも十分よ」


 アルテアに続いて針生も慌てて慰めて(?)くれる。起きたばかりの僕だが、針生はあんまり長く話していると体に障るからと言う事で家に戻るようだ。針生はカーテンを開けて区切られた部屋から出て行く間際に「明日話をしましょ」と言って病室を出て行った。

 そう言えばヴァルハラの姿が見えなかったが、どこか離れた所から針生の事を見守っていたのだろう。

 外を見るとオレンジ色の空が目の中に入ってきた。夕方……五時ぐらいだろうか。確かお昼を過ぎてからエルバートに襲われたので寝ていたのは数時間と言った所か。


「ツムグにはこれからは一緒にいてもらいます」


 アルテアが凛とした表情で僕に告げた。言葉だけ考えると告白されているようだが、今までに無いほどの真剣な表情はそんな感じの事を言っているのではなく何かを決意したような感じだった。


「学校と言う物が大事なのは分かりますが、これ以上、ツムグを一人にしておいては何か有った時に私が助けることができません。なので、学校と言う物は休んでいただきたい」


 ぐうの音も出ない正論である。僕が守ろうとしたアルテアに守れないと言われるのは非常に悔しいが、今の僕には言い返す事ができない。僕はアルテアの要求を受け入れ、学校は休む事にする。母さんには後で休む事を伝えておけば大丈夫だろう。


「分かった。学校はこの戦いが終わるまで休むよ」


 少し意外そうな顔をしたアルテアだが、すぐに顔を綻ばせ、「はい」とだけ言うと、そのまま黙ってしまった。どうやら自分の言った要求を僕が受け入れた事が嬉しいようだ。

 体調がまだ戻っていない僕は再び襲ってきた眠気に耐えられず、アルテアに少しだけ寝る事を伝えると、アルテアは開いてしまっていたカーテンを閉めてくれた。

 オレンジ色の光が遮られた病室の中は冬とは思えないほど暖かかった。当然、病室には暖房が入っているが、それだけが原因ではない。カーテンでは遮り切れない光が優しく部屋を包み、その光が余計に部屋が暖かく感じる。



 寝てしまっていた僕が再び目を覚ますと部屋の中は真っ暗になっていた。辺りを見渡すと椅子に座っていたアルテアの姿もなくなっており、どうやら席を外しているようだ。机に置いてあったスマホを手に取り、時間を確認すると一時を過ぎた所だった。

 中途半端な時間に起きたものだと思い体を起こすと、体が水分を欲しているのを感じる。机の上には針生が持って来てくれたフルーツがあるが今はフルーツの気分ではない。

 ベッドから降りて立ち上がるとお腹から痛みが走ったが、決して動けないような痛みではない。ベッドの下にあったバッグを開けると僕の財布が入っており、僕は財布を持って自動販売機を探しに病室を出た。

 窓から外を見た感じだと、木の枝の先端が同じぐらいの高さに見えたので三階か四階ぐらいだろう。それなら下に行けば自動販売機があるだろうと、階段の所まで行くと、上から何やら鈍い音が聞こえてきた。


「こんな時間に何の音だ?」


 僕は音が気になり、階段を下るのではなく上っていくと、音は次第にはっきり聞こえるようになってきた。

 虫の知らせと言うか第六感と言うか、非常に落ち着かない、嫌な感じが僕の心に湧き上がる。それでも何から音がしているのかと言う好奇心は抑えられなかった。僕は音のする扉の前に立つと思い切ってその扉を開いた。


 僕が開いた扉は屋上に続く扉だった。暖かい場所にいた僕に冬の冷気が一斉に押し寄せると、色々な所が縮こまってしまった。思わず両腕で体を擦り、少しでも寒さに耐える。

 だが、本当に僕を縮こまらせたのは冬の冷気でも不気味な音でもなく、目の前で繰り広げられていた戦いだった。アルテアとあの鉈はエルバートか。両者が病院の屋上で戦闘を行っていたのだ。

 夜の闇の中で、金属がぶつかり合う音が響く。冬の澄んだ空気のせいでその音は僕の耳にとても大きく聞こえてきた。


「どうした? 人間族の力はこの程度の物か」


 アルテアが押しているように見えるが、エルバートは余裕のある表情で楽々とアルテアの攻撃を躱している。見た目と状況は少し違うようだ。


「貴方の方こそ、この程度ですか。これではこの戦い勝ち抜けませんよ」


 丁寧な物言いだが、アルテアはエルバートを煽っている。エルバートが口角を上げると、攻守は一気に逆転した。大きな鉈を器用に操り、アルテアを押し込んでいく。

 アルテアより体格の良いエルバートはその体格差を生かして鉈を振る間に蹴りを入れたりしてアルテアを懐に入れないようにする。一方アルテアは一瞬のスピードを生かし、瞬時に体を動かす事でエルバートに的を絞らせない。

 ちょこまかと動くアルテアに苛立ちを覚え始めたエルバートは大上段に鉈を構える。力を入れたエルバートの腕は大きく膨らみ、そのまま思いっきり振り下ろす。

 学校で生徒指導室の床を破壊された時の事を思い出した僕は、下にいる入院患者が瓦礫で圧し潰されてしまう所が想像できてしまい、思わず目を瞑った。



「ガチッ!!!」



 先ほどよりも一際大きな音に僕は目を開けると、そこには今にも潰されそうな体勢で鉈が屋上の床に振り下ろされるのを防いでいるアルテアの姿があった。

 どうやらアルテアもあのまま鉈が振り下ろされたらどうなってしまうかが想像できたようで、無理をしてでも鉈を防いだようだった。

 このままではアルテアが不利だ。下に居る人の事を考えながらの戦闘では本来の力を出す事などできない。

 僕がエルバートに気付かれないようにアルテアに合図を送ると、アルテアは僕に気付いてくれたようだ。そこで僕はアルテアに屋上から左側に降りるように指示をする。

 病院の左側には駐車場があり、今の時間なら止まっている自動車もないはずだ。アルテアは僕の合図に頷くと鉈を跳ね上げ、エルバートを誘き寄せるように屋上の左側から飛び降りた。

 一度、針生とヴァルハラが学校の屋上から飛び降りて平気な所を見ているので、アルテアもできるのではと思い指示を出したら、やはりできるようだった。エルバートもすぐに追って飛び降りたので、使徒アパスルは全員出来るのではないだろうか。


「馬鹿げてるよな」


 あまりの行動に一言呟いた後、僕も重い体を引きずって階段を下りて駐車場を目指す。傷口に響くのでまだ走る事はできないが今出せる最大限のスピードで降りて行く。

 とりあえず入院患者の事は気にしなくて良くなったのだが、エルバートとの戦いではアルテアの方が劣勢になっている。残り二回となってしまった強制命令権インペリウムを使う事も考えなければいけないかもしれない。


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