第二二二編 約束

 真太郎しんたろうの話を要約すると、彼は七海ななみに交際の申し出を断られた後、次のように口走ってしまったらしい。


 ――どうして、駄目なんだい?

 ――今の君には悠真ゆうまがいるからかい……?


 ……いかにもあのお嬢様が嫌いそうな言葉だ。実際、つい口をついて出てしまったこの言葉聞いて七海は真太郎に対して明確に怒っていたという。

 そしてくそ真面目なこのイケメン野郎は、告白の失敗に加えて七海に完全に嫌われてしまったと思い、ひどく落ち込んでいるわけだ。

 まあ嫌われるもなにも、そもそもあの毒舌お嬢様が好きな相手なんて妹くらいのものだろうけれど。


「(ついでに言や、その妹がフラれた翌日にじぶんに告白されても、そりゃ上手くいくわけないよなぁ……)」


 たとえ七海でなくとも、実の妹が玉砕した相手と次の日に結ばれたがる姉などおるまい。何度も言うようだが、真太郎の告白が上手くいかないということは分かりきっていたことなのだ。……それはきっと彼自身、分かっていたと思うのだが……。


「(……どんだけ不器用なんだよ、お前は……)」


 真太郎が七海のことを好きだと知らない桃華ももかが今日告白しようとしているのはまだしも、彼については七海のことをよく理解した上で、さらには自らの意思で七海妹を袖にした直後のこの告白だったのだ。ケジメのつもりなのかは知らないが……それでフラれて落ち込んでいるんじゃ世話もない。


 ……いや、こいつがそういう男なのは今に始まったことでもないか。

 現に、俺の目の前で彼がこうして頭を下げているのだってそうだ。俺がたとえ「そんなもん気にすんな」と答えたとしても、他でもない彼自身がそれを許さないのだろう。自分のことを「最低だ」とまで言うくらいだ、彼にとって〝失恋を悠真おれのせいにしたこと〟はそれだけ重い罪なのかもしれない。


「(面倒くさい奴……後から苦しいんなら、そんなこと言わなきゃ良かっただろうに。つーか、なんでそんなこと言っちまったんだよ……)」


 彼の目には俺と七海がそんなに親しく見えているのだろうか。そりゃ昔と違って今は普通に友だちではあるが、しかしそこに恋愛意識など介在する余地はない。七海の恋愛に対する興味のなさは言わずもがな、俺だって今でも桃華のことが好きなのだから。

 だが、それはあくまで俺の主観による見解だ。真太郎は俺の桃華に対する気持ちなんて知らないのだから。そして今の俺が最も親しい異性はおそらく七海であるのこともまた事実で――そういう意味では真太郎がそんな疑念を抱き続けていたのだって無理もない話だったのかもしれない。


 もしも真太郎の七海への気持ちをもっと早くに知っていたら、俺はどうしていただろうか。真太郎が傷付かぬようにと、意図的に七海との接点をっていただろうか。……。


「(……そんなわけ、ないか)」


 俺が無条件に応援出来るのは桃華の恋だけ。

 そして桃華の恋を応援すべく七海の協力を得たのに、真太郎の想い人だからとその七海との接触絶つなどあり得ない。むしろ真太郎に七海を諦めさせるように動いていたかもしれないくらいだ。


「(結局……そうなんだよな)」


 俺に真太郎の失恋を共に悲しむ資格などない。なぜなら俺はこれまでずっと――彼が桃華以外の誰を想っていたとしても、を願うべき立場にいたのだから。

 そのくせ、いざ真太郎が恋破れれば「胸が痛い」だのなんだのと……身勝手にもほどがある。

 そうだ、俺は彼に謝ることこそ無数にあれど、謝られることなどあってはならない。もし「最低」だとののしられるべき人間がいるとすればそれは――


 ――友のように振る舞っておきながら彼の恋を心から応援してやれない、この小野悠真おれの方なのだから。


「……顔を上げてくれ」


 俺は、静かに真太郎に言った。

 そんな些末なことで俺に謝らないでくれ、と。謝るべきなのは俺の方なのだから、と。

 そして――桃華の恋が終わるその時までは謝ることさえ許されないことを許してほしいと――言外に、無数の意味を込めて。


 すると真太郎はゆっくりと顔を上げ……俺の顔を不思議そうに見た。


「な、なんだよ?」

「い、いや、ごめん……僕としては〝一発殴られる〟くらいの気持ちでいたから……」

「なんでだよ」


 このイケメン野郎、俺のことをなんだと思ってやがるんだ。 仮に自分に負い目などなかったとしても、こんなことで人を殴るわけないだろうが。

 しかし、なおも真太郎は言ってくる。


「その……な、殴りたければ殴ってくれていいんだよ? 覚悟は出来てる」

「なんだその気持ち悪い覚悟。要らねえよ」

「ぐはっ……!? ちょ、ちょっと言葉に気を付けて貰えないかい、今〝要らない〟っていう単語にすごく敏感だから……」

「はあ?」


 なぜか胸を押さえる真太郎に首を傾げる俺。……よく分からんが、どうやら知らぬうちに彼の傷口をえぐってしまったらしい。


「……なあ、真太郎」

「な、なんだい……?」


 呻くような声とともに顔を向ける彼に、俺はなんとなく屋上へ続く階段を見上げつつ言った。


「もしこの先……お前に本気で腹立つことがあったら、その時はお前をグーで殴ってやるよ」

「なんの宣言!?」


 どうせ殴るなら今殴ってよ!? と端からはドMにしか聞こえない発言をする真太郎を無視し、「だからその代わりに」と続ける。


「俺が話す時が来たら――お前も一発、俺のことを殴れよ」

「え? な、なんだいそれは、どういうこと……?」

「……『ああ、分かったよ悠真。約束だ』」

「いやなにも分かってないけど!? というかなにそれ、僕の声真似!? 全然似てないよ!? あっ、ちょっと待ってよ悠真!? 話終わってないよ、ちょっとーっ!?」


 意味が分からずに喚く真太郎をおいて、俺は教室に戻ることにした。

 ……そうだ、まだなにも終わってないんだから。

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