第一二六編 ヒーロー



「……なぁ久世くせちゃん。最近、小野おのっちの様子がおかしい気がするんだが」

「え?」


 勉強会から一週間ほど経過したある日の終業後、〝甘色あまいろ〟店長の一色小春いっしきこはるが、なにやら真面目な顔をしてそんなことを言い出した。

 彼女から振る舞われたねぎらいコーヒーを飲んでいた真太郎しんたろうは、カップを事務所の机に置いて聞く姿勢を整える。


「おかしいって、どんな風にですか?」

「……やけに仕事の出来がいいんだ」

「それは良いことなのでは……?」


 これは真面目に聞いて損をしたパターンだろうか。

 真太郎がここ数ヵ月で会得し始めた〝面倒くさい店長のあしらい方心得〟の一つである〝華麗に無視スルー〟を発動させるべきかと悩んでいると、しかし彼女は「いや」と首を横に振る。


「小野っちはあんな性格キャラのくせに意外と真面目に仕事をするタイプだが、仕事の出来そのものはそれほど良くない奴だろう?」

「そ、そうですか? ……まあ確かに、たまにお皿を割ったところは見ますが」

「ところがどっこいこの一週間、ヤツが皿を割った枚数はゼロ枚だ。これは明らかにおかしい」

「いやそんな、本来の小野くんは週一ペースで確実にお皿を割る人だ、みたいに言われても」


 悠真ゆうまを手本として見てきた真太郎からしても、流石にそんな頻度で失敗ミスをする男ではない。たまに皿を割ったところを見る、といっても、真太郎が入ってから二、三度程度の話だ。


「それだけじゃないぞ。最近はオーダーをとって戻ってくるのも早いし、注文を届けて戻ってくるのも早い」

「良いことじゃないですか」

「ああ、おかげでキッチンで仕事をしているあたしに話し相手が出来て退屈しない」

「それを褒めるのは店長としてはどうかと思いますが……でもやるべき仕事を全部やった上で、ってことですよね? だったらやっぱり問題はないのでは?」

「……問題は、ないんだけどな……」


 いまいち一色の言いたいことが分からず、首をかしげる真太郎。

 見れば彼女は、どこか寂しそうな表情を浮かべている。


「……そうか、ただ小野っちが成長しただけなのかな……だったらいいんだけど……」

「……一色店長は、小野くんに何かあったと考えている、ということですか?」

「いや、確信があるわけではないんだが……小野っちとはそれなりに長い付き合いだからな。ちょっとした変化が気になっただけだ。老婆心ってやつだな。……。……って誰が老婆だっ!?」

「自分で言ったんですよね!?」


 ツッコミを入れつつ、真太郎は友人の少年のことを考える。

 彼とは勉強会の翌日のアルバイト以来話せていない。といっても元々学校ではあまり顔を会わせないし、たまたまバイトのシフトが被っていないというだけなのだが。

 最後に会った時も特に変な様子はなかったように思う。どちらかと言えばもう一人の同期アルバイトである桃華ももかの態度がどことなくよそよそしかった気がしたくらいだ。


「(……でも、小野くんは僕たちに弱みを見せないというか、妙な意地を張るところがあるかもしれないなぁ……)」


 悠真と真太郎、そして桃華の三人は同級生ではあるが、アルバイトにおいては悠真が半年ほど先輩だ。

 それゆえなのか、それとも彼生来の性格なのかは分からないが、真太郎は仕事中の悠真から助力を求められたりした記憶がほとんどない。さりげなくそのことに言及したときも、「俺に構う時間があるなら桃華に色々教えてやれよ」と言われてしまった。

 だからこの間の勉強会で彼に「勉強を教えて欲しい」と頼られたときは嬉しかったりしたのだが……。


「(もし小野くんが何かを抱えているなら僕は力になりたいし、なるべきだ。……でも……)」


 同時に頭に浮かんでしまうのは、真太郎から見て誰よりも悠真と親しいあの少女のことだ。

 仮に悠真に何かあったとしても、自分が下手に関わるよりは彼女に――未来みくに任せた方が良いのではないか、という考えが脳裏をよぎる。

 真太郎だってここ数ヵ月で随分悠真と親しくなれた自信はある。最初、ことあるごとに噛みついてきた彼と今の彼とでは全然態度が違うことからも、それは明らかだった。


 しかし――それでも未来には劣るだろう。

 なんというか、真太郎は彼らの間に言い知れぬ〝絆〟を感じているのだ。

 それこそが真太郎自身が現在、密かに抱えている問題だったりするのだが……そんなことは今はどうだっていいことである。


 久世真太郎という男にとって一番大切なのは、いつだって〝他の誰か〟なのだから。


「……分かりました」


 真太郎は湯気立つコーヒーカップから顔を上げる。


「僕の方でも少し、気にかけてみますね」

「おお、そうしてくれる? いやあ、流石は久世ちゃんだ! これでもう解決したようなもんだな!」

「いやそれは完全に気が早いですけど!? い、一色店長も協力してくれるんですよね!?」

「いやいや、大丈夫だって」


 一頻ひとしきりカラカラと笑った一色は、いつもは見せない穏やかな笑みを浮かべて言う。


「――大丈夫だよ。久世ちゃんたちなら」


 普段、悠真としょうもない口喧嘩ばかりしている人物とは思えないほど、その言葉は大人びたもののように思えた。

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