第89話 小糠雨(こぬかあめ)
霧のような雨が降ってきた。雷はどこか遠くへ行った。
あたしたちは小さな東屋の下に入った。
「暴れようとしたら、また掴むぞ」
真知子先生はそう言うと千歳の首根っこを離した。
その場に崩れ落ちそうになる千歳を先生はとっさに抱えて、抱き締めようとした。
「先生じゃダメです!それは私の役目です」
お嬢はそう言うと千歳をギュッと抱き締めた。千歳はお嬢の胸に顔を
千歳へのフォローもちゃんと考えていたとは本当にしっかりした連中だ。
真知子は少し感動を覚えた。しかしお嬢は先生のほうを振り返り、
「だって先生のお胸は固…あまり柔らかく無いんですもの」
前にも言ってた。固いって。今回は固いって言いかけてから表現を変えたけど、敢えて言い直すと強調されてるようで余計に酷いなあ。
先生は引きつった笑顔で言った。
「なっ、なんだと…」
「先生っ!」
香風が先生にしがみついた。
「お、香風。よく頑張ったな」
「そこそこ柔らかいですよ」
「なんだと?そこそことはどういう意味だ」
「嘘です。またコーヒー飲ませて下さいね」
「ああ、いつでも来い」
千歳が少し落ち着くとお嬢は千歳と並んで座り、昔語りを始めた。
「私のこと覚えていますか?中学最後の夏休み、激しい雨の日にここで会ったことが有るんですよ。私が雨宿りをしているとずぶ濡れの千歳さんが来て…あの時、千歳さんは私に「寂しいの?」って聞きました」
「あの時の…覚えてる…」
「今、その答を言わせてもらいますね」
「…うん」
「私は寂しくないです。過去に捕らわれずに先に進むことを選んだから」
「先に進む…」
「そうですよ千歳さん、あと34ヶ月しかない高校生活、恋愛しなきゃダメです!お勧めは野球部男子です」
「は?え?野球部男子?」
きょとんとする千歳に今度はまどろみさんが話し掛けた。
「私も会ったことが有るんだ」
「え…」
「私に傘を貸してくれたことを覚えてるか?」
まどろみさんは骨組みに少しサビの浮かんだコンビニ傘を千歳に見せた。柄に書かれた千歳という文字がはっきりと見える。
「…この傘…あの時の…初めて亮と相合い傘で帰った日の…あの時ここに座っていた子…そう、そうなんだ…」
千歳は初めて相合い傘をした時のことを鮮明に思い出し泣いた。お嬢は再び千歳を抱き締めた。
「いっぱい泣いて良いんですよ。私のお胸で癒やしてあげます」
お嬢は勝ち誇ったような顔でチラッと先生を見た。
「ふっ、私はまた周辺対応しに行くぞー。女子高生が女子高生に抱き締められてる動画とか撮られたらヤバいからなー。おいっ、そこの男、なに撮ってんだ」
先生イラッとしてるから、あの男の人は激しくメンタルを潰されるんだろうなあ。
千歳はすぐに落ち着いた。お嬢の胸って癒し効果抜群みたいだ。
そしてまどろみさんとお嬢があたしを見た。あれ、この流れは…いや、まさかこんな時に三段落ちは無いよね。
「あたしもここで千歳に会ったことが有るよ」
「うん…?」
「千歳が引っ越してきた夏休みに、帰り道がわからなくなって送ってあげたの…覚えてるよね?」
「あー、あの時の…うん、思い出した」
良かった。三段落ちじゃ無かった。
「あの時メッセージアプリのID教えたんだけどなあ」
「は?初対面の人からID教えてもらっても怖いだけじゃないですか。もしかしてずっと友だち申請待ってたとか…いやいや、まさかですよね」
そのまさかなんですけど。
「さすが美咲さんですね!」
「さすがだな美咲」
やっぱり三段落ちだあ。
「千歳…」
「香風、さっきはごめんなさい…酷いことした…」
「大丈夫よ。わたしはそんな
「香風は強いね、私も見習うよ…ねえ久しぶりに一緒に帰ろうよ」
「もちろんよ!」
そして千歳は亮を見た。
「時間がかかっても亮のこと忘れるよ。今までありがと…さあ香風、さっさと帰ろっ」
亮の返事は聞かずに、すぐに香風に話し掛けていた。目に涙が浮かんでいた。この場に居るのは辛そうだ。
今まで想い続けてきたことを忘れるのには時間が掛かるだろう、だけど千歳は前を向いたんだ。
香風と千歳は少しサビの浮いたコンビニ傘をさして帰って行った。あの2人の友情はきっと大丈夫だ。
「あ、能力者かどうか聞いてない」
あたしは2人を追いかけようとする宮子の首根っこを掴んだ。
「美咲~、離してよ~」
宮子は手をバタバタさせた。どうやったら先生みたいに人の動きを止めることが出来るの?もしかして先生が能力者?!なんてね。
「宮子、あの2人はそっとしといてあげようよ」
「わかったよ~」
先生が戻ってきた。
「無事終わったようだな」
「先生、今日は職員会議無かったんですか?」
「生徒に何か起きるかも知れないのに放っておけるか。会議じゃない!現場だ!」
なんかのドラマのような
「それに以前言ったろ、私を
『怪しい宗教みたいで怖いです~』
しとしとと降っていた雨は、やがて静かに止んだ。
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