第64話 小さな公園の小さな東屋

「じゃあ、わたしはダンスの練習が有るから急いで帰らなきゃ」

「私はピアノのレッスンです。恋バナが楽しかったから、時間がギリギリです」


 慌てて荷物を片付け始める香風このかとお嬢。


「お嬢、わたし事務所の車が迎えに来てくれてるから、途中まで乗ってく?」

「本当ですか!あ…でも知らない人の車に乗ってはいけませんと親から言われているのでやめておきます」

「知らない人ってなによ?わたしも一緒に乗るから大丈夫よ。運転してくれるのは女性マネージャーだし」

「え?!マネージャー…ますますダメです。あふれ出る私の才能に気付いてスカウトされたら困ります」

「私と帰るのそんなに嫌なの?!」

「冗談です。乗せてください!助かります、ではお先に失礼しますー」


 バタバタと2人は帰っていった。


 まどろみさんがボーッと立っている。馴れない恋バナで疲れたのかな。今日は亮が居ないし帰りが心配だ。鍵を返して一緒に帰ろう。


「美咲…」

「あたし今日はバスで帰るよ。一緒に帰ろうまどろみさん」

「私は千歳に会った事が有るかも知れない」

「えっ?」

「確かめたい場所がある。美咲、一緒にそこまで行ってくれないか…その、ひとりだと怖いから…」


 だんだんと声が小さくなり、うつむくまどろみさん。


「うん、分かった」


 バス停に向かって歩くと、強い風が吹いて雨の匂いがした。さっきまでは晴れていた空を暗い雲が覆い始めた。バスに乗るとすぐに雨が降ってきた。

 まどろみさんは中学生の時に小さな公園で起きた出来事を話してくれた。

 きっとそれは亮と千歳だとあたしは思った。


 バスを降りる。折り畳みの傘が壊れてしまいそうな風と雨。しばらく歩くと小さな公園に着いた。

 あたしたちは急いで小さな東屋あずまやの下に駆け込んだ。


「なんなのこの雨。濡れちゃった~。まどろみさん寒くない?大丈夫?」


 ハンカチで髪の毛を拭きながら聞いた。でも返事が無い。あたしはまどろみさんのほうを見た。呆然と立っていた。


「…まどろみさん?」

「あの時歩道に立って居たのは亮だ。やはり私は昔ここで、千歳と亮に会っている…」


 まどろみさんは小さく震えていた。雨に濡れて寒いからではなく、激しい動揺のせいで。あたしはしっかり手を握り締めてまどろみさんを落ち着かせようとした。でも…。


 小さな公園、小さな東屋あずまや、それから雨。この場所は、そう、あの時…。


 あたしは思い出した。

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