1999年7月22日

 品のない日本語ばかり知っているゲストハウスのオヤジに見送られ、早朝5時半、タイ・プーケット行きの乗り合いバスは出発する。喧噪もなく青白く沈んだペナン島を、7人のバックパッカーを乗せたバスがゆっくりと走り出す。


 隣席のフランス人・ガスパールは、予想を裏切っての「ハタチ」だという。悲壮感漂う痩せこけた頬。それを覆う伸びきった赤毛。まるでゴルゴダの丘に登るキリストに見えなくもない。

 ところがこのファンキーなフランス人は、バスに乗り込んだ誰よりも元気だった。昨晩のアルコールも消化しきれていない時間にたたき起こされたバックパッカーどもは、バスに乗り込む前からすでに吐きそうな顔をしており、ほとんどがうんざりした顔で目を閉じている。ハイティーンの女子のようにいつまでもペチャクチャうるさいのはガスパールだけである。


「アルルって知ってる?南フランスの小さな町だよ」


 彼は生まれ育った南仏のその小さな町に、並々ならぬ誇りを持っている。アルルといえば晩年のゴッホが暮らしたことでも有名だ。「ひまわり」や「跳ね橋」、「種をまく人」など誰もが知っている彼の代表作は、黄色い家と名付けた小さなアトリエで生まれた。

 特筆すべきは、ゴッホはこの南仏の小さな村の景色について「まるで憧れの日本のようだ」と形容していることだ。


「梅毒で脳ミソが焦げちまったオッサンには、その辺のヤシの木とオートバイを見ても日本に見えちゃうんじゃない?」


 隣席のアルル人は、天才ゴッホを「ただのイカれポンチ野郎」と切り捨て、こめかみに当てた人差し指でネジを締めなおすしぐさをした。

 ゴッホが警察に突き出されたのは、切り取った自分の左耳を娼婦に送りつけるという奇行に出たからだ。晩年は精神病院の隔離部屋を往復し、最期はピストル自殺(異説あり)という37年であった。

 ところが現代の熱狂的なゴッホ信者たちからは、「アレルジャンども(アルルの人々)はゴッホを精神病院送り付けた乾いたパンのような人々」と後ろ指をさされているという。


 「だったらキミならどうする?」とガスパールは暗い顔をして俺の顔を覗き込んだ。たしかにそんなデンジャラスなオッサンとご近所は勘弁願いたい。拾ってきた段ボールに叩き込んで、適当にオランダの住所を貼り付けて集荷をお願いするだろう。


「でしょ!アルルはローマ時代から続く歴史的な町だよ。”ゲイシャ”も”フジヤマ”もあるわけないじゃん!」


 この怪しい伝道師風の男は、夜も明けきらないうちから「ファッキン・ゴッホ」と繰り返す。ところが後ろの席で目を閉じていたノルウェー美人から「You guys, shut up!(アンタたちうるさいわよ!)」とまともなクレームが入った。

 ガスパールは恨めしそうに後ろの席を睨むと、「…ぜんぶファッキン・ゴッホのせいだ」と尚も口惜しそうにつぶやいた。



 クアラルンプールのゲストハウスにいたミラノ出身のアンジェリーナは嘆いていた。


「――イタリア人だというと、『ああ、ピッツァとマフィアね』って必ず言われるの。悪いけどイタリアはそれだけじゃないわ」


 わかるよ、アンジェリーナ。

 俺も宿屋のオヤジから海賊版のいやらしいDVDコレクションを自慢されてゲンナリしていたところだ。

 海岸では地元の少年たちから「ピカチュウを描いてくれ」とせがまれた。ところがこちらが頑張って砂浜に描いたのは、”耳を付けたドラえもん”だったらしい。

 「いいかい。あんなもんはいい大人が見るもんじゃないだ」とささやかな抗弁をしたが、その後少年たちからピカチュウについて、みっちり居残り授業を受けさせられた。


 たしかにバックパッカーごときに親善大使など務まるはずがない。

 だがパスポートを持って海外に出かける以上、母国についての無知ほど恥ずかしいものはない。すべてに対して明快に答えられなかったとしても、少なくとも母国に興味を持ってもらえるような回答は心掛けたい。

 シンガポールの宿にいた信州大学の3年生は、カバンの中から美しい千代紙を取り出した。現地の子供たちに囲まれた時は、一枚づつ配って鶴の折り方を教えているという。砂浜に描いた「耳付きドラえもん」で逆ギレしている場合ではない。



 タイ・プーケット島に着いた。

 リゾート気分を少しだけ盛り上げるため、中級クラスのホテルに荷物を降ろした。熱いシャワーを浴びて、フカフカのベッドの上で手足を延ばす。


「オンナはいらないか?」


 ドアの向こうからボーイがノックしている。わざわざ中級ホテルにチェックインしたのにこのザマである。すぐさま大声を出して追い払った。

 朝が早かったのでそのままウトウトし始めていると再びノックが聞こえた。ドアの向こうからの質問は同じで、こちらからのアンサーも同じである。

 すると「男の子のほうがよかったか?」と、ドアの向こうから心配そうな声が返って来た。立ち上がって枕を投げつけると「とっとと失せやがれぃ、この馬鹿チンが!」と江戸弁の大喝を叩きつけた。


 今しがた海外での品行方正について述べた割には、あまりにも品のいいやり取りではない。しかし咄嗟に「馬鹿チン」などと飛び出したことがおかしくて、再びベッドの上で大の字になると天井を見ながらゲラゲラ笑った。


 …ひと眠りしたらプーケットのビーチを散歩し、ラム酒をコーラで割ったものを飲もう。そんなことを考えながらやわらかい眠りに落ちた。

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