第37話




 カチカチとカップがこすれる音。

 紅茶の良い香りが、鼻腔をくすぐった。


「……これで、大団円ということかしら」


 紅茶を一口飲んで、息を小さく吐いたりんなお嬢様は、ポツリと言う。

 それに対して、僕も紅茶を一口飲んで答える。


「僕としては、予想以上の結果ですよ」


 うん、一仕事終えた後の、紅茶は体に染みわたって美味しい。

 先ほどまで色々と話していたから、喉も乾いていた。


 ここは大広間ではない。

 応接間なので、少しぐらいリラックスしても怒られないか。

 僕は体の力を抜いて、ソファに深く沈みこんだ。


 その両隣で、緋郷と今湊さんが、同じように紅茶を飲む。


「ふいい。それにしてもお、お兄ちゃんは随分とギャンブラーですねえ。あれで上手くいかなかったら、犯罪者になっていたところでしたよお」


 彼女の言葉に、否定は全く出来ない。

 それぐらい危険な賭けだということは承知で、僕はあそこで提案をした。

 上手くいった今だから言えるが、かなり危ない橋を渡ったものである。


「まあ、信じていましたからね。皆さんの良心の心というものを」


「この場合、良心なのか微妙だけどね。むしろ悪じゃないの?」


 緋郷の言葉は聞こえないふり。

 そこらへんは、あくまで有耶無耶にしておきたい。

 これが犯罪だというのは、完全に理解はしているからだ。


「本当に良かったのかしら? 犯人を見つけた報酬がそれで。まあ、今更変えられないけれど」


「いいんですよ。お願いを聞いていただき、ありがとうございます」


「犯人を見つけたのは俺だから、本来なら俺が頼めるはずだったんだけどね」


 もう一度、聞こえないふりをしておいた。

 緋郷のおかげでもらえた報酬を、僕が代わりに行使したのだ。

 しかし、言葉ほど彼は気にしていないようなので、受け流した。


「それじゃあ、緋郷は何を頼むつもりだったの?」


「ん? すべての権力をくれ、とか?」


 確実にふざけているし、たぶんお願いすることは無かったようで、僕の方が有意義に使えたのだと自信が持てる。


「いやあ、でも先ほどは驚きましたよお。まさかあ、来栖さん達の身柄をお、この島で確保しておくように頼み込むなんてえ。勝算はあったんですかあ?」


「あー、そうですね。ありましたよ。うん。勝算が」


「絶対に無かったですよねえ。よくそんな危険な賭けに出ましたよお。お兄ちゃんが犯罪者になったらあ、私悲しくて泣いちゃいますよお。えーん」


 完全な泣き真似をされて、僕はとりあえず頭を撫でておいた。

 そうすれば猫のように目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らす。


「でも、確かに良く思いつきましたわ。私、久々に驚いてしまいましたもの」


 カップを傾けながら、りんなお嬢様は僕を褒めてくれた。

 まさか彼女が褒めてくれるとは思わなかったので、嬉しくて仕方がない。

 後ろに控えている春海さんが、紅茶のお代わりを注いでくれながら、僕に笑いかけてくれる。


「とても格好良かったですよ。サンタ様が啖呵を切っている姿」


「本当ですか? いやあ、嬉しいなあ」


 彼女にも褒められて、僕は顔がだらしなく緩むのを感じた。

 美人に褒められると、やはり嬉しいものだ。





 つい三十分ほど前まで、僕は危険な賭けに出ていた。

 その賭けというのは、来栖さん達を助けるために、りんなお嬢様に頼みごとをしたのだ。

 頼みごとの中身は、この島に来栖さん二人を軟禁してもらうということ。

 軟禁という言葉は、少し言い過ぎか。

 死なないように見張ってもらう、その言い方がしっくりくるかもしれない。


 よくよく考えなくても、僕のこの提案は犯罪である。

 犯罪者をかくまってくれと、そうお願いしたのだから。

 しかし、勝算もいくらかはあった。


 来栖さん達は、島の外に出れば逮捕されてしまう。その前に死のうとしているから、そもそも島から出なければ死ななくて済む。

 そして、この島にいる限りは、二人に警察の手が伸びることは無いだろう。

 りんなお嬢様が、それを許さないからだ。


 この島で怒った殺人は、誰かが口外しない限り、公になることは無い。

 鳳さんと飛知和さんの家族は、二人が帰ってこないのを不審に思っても、それを騒ぐ余裕が無くなっている状況だ。

 もし騒ごうと思っても、相手は万里小路家である。

 下手に手出しすれば、潰されて終わりだ。

 そうでなくても、家は崩壊しようとしているのに。

 だから、裏切り者が出なければ、誰にも知られないまま事件は終わる。

 死んでしまった二人には、とても申し訳ないが。


 環境は整っているから、後はりんなお嬢様が受け入れてくれれば良かった。

 普通の感性を持っていれば、絶対に許可するわけが無い。

 しかし、普通の感性を持っているわけが無いのだ。


 一か八かの僕の提案に、りんなお嬢様は微笑みを浮かべてくれた。


「それはそれは、良い考えですわね」


 その言葉だけで、僕は賭けに勝ったのだと確信した。

 りんなお嬢様に許可をもらえれば、後は楽なものだ。

 来栖さん達の許可など、全く必要は無い。

 ここの島の人達に監視してもらえれば、きっと死ぬことは出来ないだろう。


 だから僕が心配するのは、裏切り者が出ないかということだった。

 特に、正義感の強い鷹辻さんが。

 僕の提案について、彼が出した答えはというと。



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