第40話
冬香さんが開けた扉の先に待っていたのは、目も当てられないような光景では無かった。
そこには先ほど見た光景が嘘かのように、ソファに座って待ち構えているりんなお嬢様と、その後ろに立ち控えている春海さん。
もしかして、僕の目の錯覚だったのだろうか。
そう思ってしまうぐらい、二人に焦った様子は無かった。
「あら、珍しい組み合わせね」
僕と冬香さん今湊さんの姿を見て、りんなお嬢様は目を細める。
その姿から、着衣などが乱れた様子はない。
ということは、やはり僕の目がおかしかったというわけか。
その方が精神的にダメージを受けないので、そうであって欲しかったのだが、有耶無耶にごまかすのを許さない人がいた。
「りんなお嬢様、春海、人に見られる可能性がありますから、そういったことは控えてくださいと、いつも言っていますでしょう?」
冬香さんは言い聞かせるように、二人に注意をした。
その口調から、僕が見た光景は間違いではなかったのだと分かってしまう。
「あら? ごめんなさいね。つい、待ちきれなくて」
そしてそれに対して、りんなお嬢様は特に焦った様子もなく、謝罪をしてきた。
春海さんに至っては、何も言わない。
二人がどういった関係なのか分からないけど、春海さんが押し倒していたという点において、少しだけ引っ掛かりを感じた。
雇用主と従業員という立場だが、そういうのはこだわらないのだろうか。
個人の自由だから、他人が口出しすることでは無いのかもしれない。
それでも拭えない違和感は、先ほど一瞬見えた時の彼女達のそれぞれの表情だろうか。
春海さんは自信ありげに、りんなお嬢様はどこか怯えたような、普段だったらありえない顔をしていたように見えてしまったのだ。
それこそおかしいことなので、僕の目は一部分機能していないと思うことにしよう。
「それで、わざわざ冬香に案内させてまで、あなたは何をしに来られたのかしら? 今湊さんまで一緒に」
ようやく本題に入ることが出来て、僕はようやく落ち着きを取り戻した。
今までのことは全て忘れよう。
気持ちを切り替えて、僕は当初の目的を遂行することにした。
「いやあ。厚かましいお願いだと言うのは、重々承知しているんですけど、今夜は話に付き合ってもらえませんか?」
「あらまあ。すごい口説き文句ですねえ」
僕の言葉を聞いた今湊さんは口を押えて、大げさなリアクションをする。
それを無視して、さらに畳みかけるように話す。
「面倒をかけるかもしれませんけど、ぜひとも色々な話をしたくて。今晩一緒に過ごす権利をいただけたら、とてもありがたいです。いや、変な意味で一緒に過ごしたいと言っているわけでは無いですよ」
そんな勘違いはされていないと思うが、今湊さんが茶々を入れてきたので言っておく。
「あら、そうでしたの。別に変な意味でも、それはそれで構わなかったわよ」
今湊さんに感化されたのか、りんなお嬢様もそんな冗談を言ってきた。
僕はそれに気の利いた答えを返せず、乾いた笑いを出す。
「は、はは。それは、無いですかね」
「あら、残念」
相手のとりようによっては、失礼な言葉を言ってしまったが、全く気にしなかったようだ。
僕みたいな道端の石ころのような存在が、何を言ったところで、怒りに直結することはない。
居心地の悪い笑みを向けられて、なおも笑い続けていると、りんなお嬢様が手を上げて春海さんに合図をした。
「かしこまりました」
何も言わなかったのに、春海さんは何をしてほしいのか分かったようで、頭を下げて動き始める。
数分後、用意されたのは湯気の立ったカップだった。
三つのカップと、一つのポット。
「どうぞ。春海が淹れたお茶は格別に美味しいから、飲むといいわ」
「……私なんて、まだまだです」
謙遜しているのではなく、本気で言っているように聞こえた。
それを感じたのは僕だけじゃなかったようで、意地の悪い顔をしている。
「そう。それなら精進する事ね」
そう言いながらも、カップに口をつけて穏やかな雰囲気を醸し出しているのだから、なかなか彼女も素直な性格ではないようだ。
カップを僕たちの分まで用意してもらえたということは、ここに滞在する許可を得られたというわけだ。
僕達は春海さんにお礼を言って、カップに口をつけた。
柑橘系の香りが口の中に広がり、僕はいつの間にか入っていた肩の力を抜く。
これでまだまだとは、春海さんの評価基準は厳しすぎる。
「……それでは、私は失礼致しますね」
紅茶を飲んでまったりとしていると、入口の辺りで立っていた冬香さんがそう声をかけてきて、頭を深々と下げると部屋から出て行った。
まだ仕事があるから、ここで一緒にいる時間は無いのだろう。
いなくなってしまったのは残念だが、これからここにいる時間を考えれば、彼女の負担になってしまうから、帰ってくれた方が良かった。
それに春海さんは部屋を出る気は無いようなので、彼女がいれば十分だろう。
きっと僕がりんなお嬢様に対し害をなそうとしたら、彼女一人でどうにかすることは可能なはずだ。
「それでは……どんなお話をしようかしら?」
そういうわけで部屋の中に四人、徹夜の会話がスタートされた。
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