Station:07 総合学習塾駅
◉
あたしの名前は工藤アスカ。
神奈山県横花市の学校に通う、期末試験の結果が散々だったことが母親にバレてしまい、かなり気まずい状態になっている普通の高校一年生だ。
「学年で200位以下とか……あんたわかってるの?」
学校帰りの電車の中。
あたしの隣の席に座るお母さんは容赦なく詰めてきた。
いわれなくてもわかっている。
今まで学年で5位圏内をキープしていたのに、それが一気に200位以下になるなんて、高低差が激しすぎて自分でもビビってる。
テストの結果が散々だった理由。
それはまぁ、あれです。
ただシンプルに。
勉強をしてなかった。
それだけだ。
「本当にあんたは……最近帰りが遅いから心配していたけど、まさかこんなことになるなるて……」
あたしの隣に座るお母さんは、あからさまに肩を落としてため息をついた。
いやー……。
ウケるわ。
ちょっとサボっただけで一気に200位以下とか。
予習復習をきちっとしていただけでテストの成績いつも5位圏内キープしていたものだから、少しぐらいサボっても大丈夫だろうと余裕ぶっかましていたら、まさかこんなことになるなんて、ねぇ。
当然といえば当然の結果なんだろうけど。
でも。
さすがに保護者の呼び出しくらうほどやばいことなんだって想像もしていなかったよ。はは。
「アスカ。出しなさい」
お母さんが手のひらを差し出した。
出すって何を?
「スマホ」
はぁ⁉︎
なんで⁉︎
「当たり前でしょ。今までは成績も良かったから許していたけど、しばらくは没収よ」
「いやいやいやいや! 連絡手段どうするの?」
「おじいちゃんのガラケーがあるじゃない」
まくし立てるあたしに、お母さんは冷たく突き放した。
「あんなパカパカのケータイでLIMEができるわけないじゃん!」
「知らないわよ。LIMEできなくても電話はできるじゃない。そもそも成績落としたあんたが悪いんだからキレる筋合いはないわよ。ほら、さっさと出しなさい」
お母さんはそういうと、右手ががあたしの膝の上あたりに伸ばしてきた。
無理。
死んでも無理。
スマホを渡した途端、あたしの人生が終わる。
あの中には、あたしが丹念に育てたポケクリ(略:ポケットクリーチャー)のレベル100のサンチュー(電撃タイプのネズミモンスター)のデータがあるし、それにスズくんの部活での勇姿を納めた写真(盗撮)もある。
お母さんは強引な性格だ。
あたしが何かやらかした時、戒めとしてスマホのデータを強制初期化することに何の躊躇いもない。昭和世代のお母さんのモットーは「スマホなくても生きていける」だ。今の時代、スマホがどれだけ大切なアイテムなのかまるでわかっていないし、わかってくれない。
絶対に渡せない。
渡してしまったら、明日からあたしの毎日は絶望一色に染まる。そしてスマホが戻ってくる頃には工場出荷時の初期化状態になっていることも間違いない。
「ほら、渡しなさい」
「無理」
「もう聞き分けがないわね」
お母さんが体勢を変えてきた。
やばい。本気で取りにくるぞ。
あたしはスカートのポケットにあるスマホを手で咄嗟に守った。
《この度は【横花市営地下鉄 異世界アクアライン】をご利用いただき誠にありがとうございます。次は『総合学習塾駅』に到着です。お出口は左側となります。Ladies and gentlemen.We will soon make a brief stop at SOUGOU GAKUSHUJUKU.The exit will be on the left side.Thank you.》
唐突にアナウンスが流れた。
アナウンスを聞いたお母さんが、顔を上げて「は?」といった。
「なに? 総合学習塾駅? なにそれ?」
窓から見える景色が、無機質のコンクリ壁だったのから高層ビル群が立ち並ぶ都会の景色に変わっていた。
「え……ここ……みなみみらい?」
窓の外を見て、お母さんはつぶやいた。
残念ながらここは横花市のみなみみらいではない。
「お母さん、ここ《異世界》だよ」
あたしがいうと、お母さんがあたしに振り返った。
「異世界? どういうこと? さっきまで私たち」
「まぁ、うん。ごめん。なんかさ、あたしが乗ってると、たまになるんだよね。異世界に迷い込むっていうかさ」
うまく説明ができないな。
毎度のことだからあたしは慣れたけど、初めて異世界に迷いんこんだお母さんが戸惑うのは当たり前だろうし。
どう説明すればいいんだろう。
「そう。とりあえず降りればいいのよね?」
電車がプラットフォームに着くと、お母さんは何のためらいもなく電車を降りた。
え、降りるの?
ここ異世界だって聞いたよね?
怖くないの?
「だって乗り間違えたんでしょ? 異世界だかなんだかよくわからないけど、乗り換えないとダメなら乗り換えるしかないじゃない」
「……」
なんだろう。
うちの母といい、リョウといい、どうしてこんな肝っ玉が据わっているんだろう。こんなわけのわからない場所に迷い込んで平気とか……心臓に毛でも生えてるのか?
《おや、人間さんですか》
プラットフォームに降りると、変な帽子を被った女の子が声をかけてきた。
年はなんとなくあたしと同年代のように見える。
白いワンピースを着ていて、あどけない顔つきをしている。
変な形の帽子を被っている以外、普通の女の子に見えるみたいだけど、なんどか妙な違和感を感じてしまう。どうしてだろう。
ん?
女の子が被っている帽子を、あたしはじっと観察した。
これ。
よく見たら、帽子じゃない。
カセットだ。
ちょうどファミコンのゲームカセットみたいな長方形の黒い物体が、女の子のおでこにぐっさりと深く突き刺さっている。
《はじめまして。人間さん。私は『総合学習塾駅』の世界に通っているナカタといいます》
ナカタと名乗った女の子が、ぺこりと頭を下げた。
あたしとお母さんは、お辞儀をするナカタに倣って頭を下げる。
《お二人は親子ですか?》
ナカタはあたしとお母さんをそれぞれ見てから訊ねた。
「え? ええ、そうね」お母さんは咄嗟に答えた。
お母さんの視線が、ナカタのおでこに刺さったカセットに向いている。
まぁ、そうだよね。そこ見ちゃうよね。うん。
《そうですか》
ふっとナカタの口元が笑った。
ナカタがあたしを見た。
《君に問題。y=4√3x2-2x+1の関数を10秒以内に微分せよ》
…………は?
今、何って?
《10、9、8、7、6……》
ナカタがカウントを始める。
ん? んんんん?
いきなりなに? 微分?
数学の問題? それをあたしに解けっていうこと?
なんで?
《3、2、1。ぶー! タイムアップ。答えは『y’=2√4(3x2-2x+1)3分の3x-1』よ。合成関数の微分で計算すればすぐに答えられる問題よ》
ふふんと、ナカタが鼻で笑った。
腹の奥底から、熱した鉄のような塊がせり上がってくる。
うん。
ごめん。
初対面だけど、ごめん。
こいつすごい嫌いだ。
勝手にクイズ出して勝手に答えるとか。なんなの一体。不愉快極まりない。超ムカつくんだけど。何様なのこいつ。
《あなた。私が問題を用意したから答えを知っていると思ったでしょ?》
ナカタがあたしの心を見透かしたようにいった。
当たり前でしょ。
じゃなきゃ微分積分をそんな10秒そこらで答えられるわけがない。
《疑っているなら、あなたから問題出してみてよ》
ナカタが挑発してきた。
むかっ腹が立ったあたしは、学生鞄から数学の問題集を取り出した。
「問題! A=x2+2ax+2,B=a2-3ax+1 の時、次の計算をせよ! A-{2B+3(A-2B)}はなに?」
《A-{2B+3(A-2B)}=A-(2B+3A-6B)=A-2B-3A+6B=-2A+4B =-2(x2+2ax+2)+4(a2-3ax+1)=-2x2-4ax-4+4a2-12ax+4=-2x2-16ax+4a2》
1秒も経たずにナカタは答えた。
あたしは問題集の答えのページを開いた。
《……どう?》
顎を突き上げてあたし見下ろすナカタの顔を見て、
問題集を破り捨てたくなった。
なんだこいつ。何者なの?
《他の教科を出しても無駄だよ。私の頭の中には全156カ国の中高と大学の過去問が1900年代から去年に至るまで全てインプットしているから。応用問題も対応できるから、何の問題出してきても答えることできるよ》
「全156ヶ国!? 本当に!?」
お母さんが目を向いて驚いた。
あー、そうですか。
そりゃすごいですねー。
《本当です。私の頭のこれには人間世界の学業のすべてが詰め込まれているので》
「じゃ、じゃ! あなた、ハーバード大学もいけるの?」
《首席で卒業する自信はあります。なんならMITとコロンビア大学も受かりますよ》
ナカタが歩を進め、改札を出た。
お母さんもナカタの後を追って改札を出た。
えーっと、あのさぁ。
なんで改札出るのお母さん……。
出なくても1時間待てば現実行きの電車が来るっていうのに。
《この『総合学習塾駅』の世界では、記憶と知性を爆上げさせることのできる『ハードディスク』が流通しています。ハードディスクの容量は600万ペタバイトあるので、銀河を飛び越えた宇宙人のお受験だって首席で合格することだってできます》
高層ビルが立ち並ぶ駅周辺には、ナカタ同様に頭にカセットを突き刺した異界人たちが道を歩いていた。
お母さんはナカタの説明を聞きながら、あたりを見渡して「へぇー!」となぜか感心している。
好奇心旺盛な母親に対して、あたしの興味は光の速度で消えていく。さっさと終わらないかな、こいつの自慢。死ねばいいのに。
《私もこの世界に来るまでめちゃくちゃ勉強が苦手でした。だけどこの『ハードディスク』を頭に刺して人生観が変わりました》
くるっとナカタが踵を返し、お母さんに振り向いた。
《お母さん。失礼ですが、娘さんの塾代、月いくらお支払っていますか?》
本当に失礼だな。
娘本人がいる前で聞くことじゃないでしょ。
「えっと、25000円かな?」
なんで答えるの。お母さん……。
《それは高いですねぇ。高い月謝だ。だけど》
つんつんとナカタが頭のカセットを人差し指でつっついた。
《これ、20万で施術できます》
「本当に⁈ 安い!」
《高校卒業をする3年間と計算すれざ塾代は90万かかります。ですがこのハードディスクを頭にさせば、塾に必要はまったくないです! どうでしょうお母さん?》
「あの、それって分割払いとかってできます?」
うぉおおおおおおおおい!
お母さん! うぉおおおおおい!
待て待て待て!
「お母さん……ちょっと」
咄嗟にお母さんの手を取り、ナカタに背中を向けた。
「あのさ、正気なの?」
ひそひそ声であたしはお母さんに訊いた。
「なにが?」
「なにがじゃないよ。お母さん、何しようとしているかわかっているの?」
「分割払いして、あなたの頭にハードディスクをぶっ刺すつもりよ」
……マジか。
マジでいっているのか、この人。
「嫌なの?」
お母さんがあたしの顔を覗き込んで訊いた。
「嫌だよ! 当たり前でしょ? だいたいなんなの? 分割払いって? 格安スマホ買うみたいにいわないでよ」
「今月、車検と家の修繕費もかぶっちゃって、生活費がかつかつなのよね。カードが効くならそっちの方がありがたいんだけどどうなのかしら?」
「そんなの知らないよ。っていうか! あんなわけわかんない電卓みたいなの頭に刺して生活するとか、あたし絶対無理だから!」
「帽子かぶればいいじゃない」
そういう問題じゃねぇ!
「とにかくあたしは嫌! 絶対頭にあんなの刺したくない!」
「嫌っていうけど、あなた。期末試験で赤点いくつとった?」
うっ。
そ、それは。
「7教科のうち7教科全部? 平均点いくつだった?」
「……15点です」
じぃーっとお母さんが諌めるようにあたしを見つめる。
「アスカ。お母さんはね、あなたがきちんと勉強していればこっちはとやかく文句はいわないの、でも、そのテストの点数とって、それでスマホも渡さないっていうワガママをいわれたなら、お母さんだって考えがあるわよ?」
だらだらと額から汗が流れる。
ど正論すぎてぐぅの音も出ない。
期末テストの結果は散々だったワケだし、あたしがスマホを渡さないってワガママいっていることも事実だから、お母さんが強硬手段に出るのは決して理不尽なことじゃない。
でも、でもさぁ……。
「あ、あのぉ、母上。次の中間で挽回するんで……今回は勘弁してくれませんか?」
あたしは両手を揉みながら下からお母さんの顔を覗き込んだ。
次回の中間テストで赤点を取らないようにする戒めというなら、痛いほど効果はあった。スマホも預けるから、どうか今回は容赦してくれるとすごく助かるんだけど、ダメかな?
「ダメよ」
「え」
うそでしょ?
そこは「仕方がないわね。次頑張りなさいよ」っていう都合のいい展開にならないの?
「アスカ。お母さんも無理なの。あなたが次も赤点とってくるんじゃないかって心配することが、もう辛すぎて無理」
《じゃ決まりですね!》
ナカタがぽんと手のひらに拳を叩いた。
がちっ!
がちんっ!
突然、あたしの両手首両足首がなにかに掴まった。
見ると、昔の漫画のデザインで見たことあるC字型のロボットの手が、あたしの両手首両足首それぞれをがっちり掴んでいた。
「は?」
《施術はおよそ1時間で終わりますよー! では、さっそく施術施設に行きましょう! あ、お母さん、すみません、この施術は保険適応外の料金になります!》
「あら、そうなのね。仕方ないわね」
「うわぁああああああああ!」
あたしの体が天高く持ち上げられる。
銀色の4本のロボット蛇腹腕に捕縛されたあたしは、ナカタがいう『施術施設』にあっという間に運ばれた。
「やだ! やだやだやだやだ! あたし絶対やだ!」
病院の手術室らしき部屋に連れまれたあたしは、寝台にロープでぐるぐるに体を巻き付けられ、身動きが取れなくなっていた。
周りには手術着に着替えたナカタや手術着姿の知らない大人たちがいて、ぼそぼそと何かを話ししている。
「アスカ! 我慢しなさい! ハードディスクを頭にぶっ刺すだけでハーバード大学に行けるのよ!」
寝台にロープで縛られたあたしの隣に、お母さんが謎のエールを送ってきた。
あたし、別にハーバード大学行きたくない!
「じゃMITならどう? マサチューセッツ工科大学! パワードスーツを作った社長と同じ大学だから絶対億万長者になるわよ!」
「それヒーローチーム作って最後に宇宙人と戦って地球救って死ぬやつじゃん! 絶対やだ!」
っていうか、さっきからなんでアメリカの大学にこだわっているんだこの母親は。
《じゃーさっそく始めまーす。お母さん。分割払いは最大24回できますがいかがいたしますか?》
「12回でお願いします」
ぎゅいいいいいいいん!
電動ノコギリのエンジン音が室内に響く。
う、うわぁあああああああああああ!
まさか麻酔なしなの!? うそでしょ!?
助けて! 誰か助けて!!!
《あ》
突然、電動ノコギリのエンジン音が止まった。
「どうかしました?」
お母さんが訊くと、ナカタが電動ノコギリを台の上に置き、《すっかり忘れてた》とぼやいた。
《バージョンアップしないといけない時間でした。すみません、ちょっとお待ちを……》
ナカタは頭に刺さっているハードディスクの角を指でつまむと、カチッと音が出るまで押し込んだ。
《ビーーーー! バージョンアップカイシ……》
どさっ。
謎の電子音を口から発したと思ったら、電源が切れたみたく、ナカタの体が地面に崩れ落ちた。
「……ナカタさん?」
《ガガガガガガ》
ナカタの口から絶えず謎の電子音が漏れ聞こえる。
それから10分が経った。
「立ち上がらないわね」
お母さんは、動かなくなっまナカタを軽く手で押した。
反応はない。口から聞こえる謎の電子音を除いて。
「あのぉ、みなさん。すみません。聞いていいですか?」
手術室にいた異世界人のスタッフにお母さんが声をかけた。
異世界人たちは(はぁ、なんでしょう?》とゆったりとした口調でお母さんに訊き返した。
「ナカタさんのバージョンアップはいつ終わるのでしょうか?」
《…………さぁ? 1回のバージョンアップは長いですからねぇ》
「長い? どれくらいでしょ?」
《うーん、だいたい100年くらいですかねぇ》
お母さんとあたしは絶句した。
「100年!?」
《短いと90年くらいで終わりますよ。なにせ宇宙の果てのデータを全て収集しますから、それぐらいはかかるでしょ。これでも短くなった方なんですよ? 昔は1000年かかっていたらしいですから》
異世界人のスタッフが、頭のカセットに指をかけた。
《我々もバージョンアップの時間だ。それでは100年後に》
どさっ。
どさっ。
どさっ。
異世界人のスタッフがあっという間に地面に崩れ落ちた。
お母さんはあたしを見た。
それから腕を組んで、うーんと唸った。
「100年も学費払えるほどうちには余裕ないわね」
ぼそっとお母さんはそう呟く。
あたしはそれを聞いてぞっと感じた。
明日から勉強しよう。
めちゃくちゃ頑張って勉強しよう。
そう心の中で固く誓った。
To be next station....
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