第197の扉  乾いた声と優しい声

「来いよ、バーサーカー」

「はははっ」


 ニヤリと不気味に笑った京也が、翼を招く。彼の笑顔に誘われて、翼が動いた。しかし……


「!?」


 あまりにも一瞬の出来事で、その場に居る誰も反応できない。耳に届いたのは、ドンという鈍い衝撃音だけ。音に誘われて目で追うと、随分離れた所に横たわる一人の身体が。


「う、そ……」


 ピクリとも動いてくれない彼の身体を見て、美羽はぺたんと地面にしゃがみこむ。あっという間の出来事だった。耳に衝撃音が届くまで、何が起きたのか分からないほどに。

 そして、美羽の視線は、彼を吹き飛ばしたであろう人物へと向いた。目で動きを追えない程、彼の力は膨大なのか。その強さには底知れぬ恐怖を覚える。








「え、待って、何事?」


 しかし、当の本人もキョトンと目を丸くして状況を理解できていない様子。先ほど『翼の身体が物凄い勢いで飛んでいった』訳だが、なぜ京也までもがそのようなリアクションなのだろうか。


「おい、京也が吹き飛ばしたんじゃないのか?」

「いや俺何もしてないけど……」


 一瞬にして吹き飛ばされた翼の身体。てっきり京也が仕留めたと思ったのに、違うのだろうか。一体何が起きているのだろう。


 ピクリ


 場に混乱が広がる中、動かなかった翼の身体がピクリと動いた。そして、ゆっくりと身体を起こす。


「痛い! めっちゃ飛んだね! びっくりした!」


 身体に炎を纏ったまま、いつも通りの相原翼が目を覚ます。先ほどまでの乾いた声とは違い、優しい彼の声に戻っていた。そんな彼の元へ優一たちが駆けつける。


「相原くん、大丈夫?」

「なんかね、僕もよく分からないんだけど、頭にぼぅっと白い物が纏わりついてる感じがして、すごく気持ち悪くて。取ろうとしたんだけど、うまくできなかったから、とりあえず叩いたら取れるかなって思って、叩いたら飛んだ! びっくりだよね!」

「頭の打ちどころが悪かったんか? 言葉がめっちゃバカなんだけど」

「あはは、結愛よりバカだね!」

「元気そうで何よりだよ……」


 通常よりバカっぽい翼だが、何とか無事なよう。安心して優一たちからふっと力が抜ける。

 目にも止まらぬ速さで飛んでいったのは、翼自身が頭を叩いたかららしい。そして、その衝撃で自我崩壊から戻ってきた。


「三段解除から自力で戻ってきたのか。強引な奴だな、お前」


 そんな四人の様子を眺めながら、ため息をついている京也。通常では、翼のようなことはできない。リミッター解除で自我崩壊をしてしまうと、自力で回復するのはほぼ不可能である。


「今は一段解除ってとこか?」

「一段……身体が、軽い」


 京也の言葉を聞き、翼は自分の手のひらを眺める。そこには真っ赤に燃える炎が。温かく、そして優しく手のひらを包み込んでくれていた。

 翼は以前、バトル大会で第三段階までリミッターを踏み切っている。その時は爆発的な力を手にしてたようだが、残念ながら彼の中にその記憶はない。

 今まで不安定だったリミッターの記憶が、今回の覚醒ではっきりと自覚できた。この力はかなり強い。守りたいものを全て守れるだけの力。


 これで君を守れるよ


 今まで後ろを歩くことしかできなかったが、やっと隣を歩けるようになっただろうか。その資格を得ることができただろうか。


「さて、どうする? 俺とやるか?」


 翼が自分の成長を噛みしめていると、京也が不気味にニヤリと笑った。

 バーサーカー翼で忘れていたが、今は戦闘の真っ最中。京也の射程範囲内には、気絶した風花が居る。


「横山さんたちは桜木さんのことお願い。京也くんは僕が何とかするから」

「え」

「でも一人で……」


 戸惑いの声を上げる美羽たちにニコリと微笑みかけると、翼は拳をギュっと握って京也と対峙する。


「相原くん、大丈夫かな」

「心配だよね」

「大丈夫、今のあいつなら」


 美羽と結愛が心配そうな目線を向ける中、優一は何かを確信したように力強く頷いた。

 今の翼は全く震えていないのだ。人一倍恐怖に敏感で、すぐに身体症状に出てきてしまう翼。以前は京也に対峙しただけでブルブルと震えていた。

 その彼が、全く震えていない。杖を握りしめて、視界に京也を捕らえて離さない。優一はそんな翼に力強い視線を送る。


「心のしずくは渡さない」

「っち」


 翼の瞳が京也を射抜くと、苛立たし気な舌打ちと共に、彼の顔が一瞬苦しそうに歪んだ。しかし、その表情の変化も一瞬のみ。すぐに不気味な笑い顔に戻り、剣を抜く。


darkダーク swordソード

fireファイヤー swordソード


 表情の意味が気になるも、翼も炎の剣を出して構える。人気のない公園、辺りには静寂が訪れた。聞こえてくるのは二人の息遣いのみ。


 キン!


「「っ……」」


 一瞬の静寂ののち、心地よい金属の音と、吹き荒れる突風が。翼と京也。一歩も譲らない剣の打ち合いが始まった。


「結構やるじゃん」

「それはどうも……」


 ぴりぴりと剣を持つ手が震え、汗が滴り落ちる。少しでも気を抜けば、飲み込まれてしまいそうな圧を京也から感じた。

 翼はリミッター解除の影響で身体能力が爆発的に向上している。今の彼から繰り出される剣圧は普段の比ではない。

 対する京也の力も凄まじい。彼はリミッターを解除している訳ではない。それにも関わらず、今の翼と対等の打ち合いをしているのである。彼が普段どれほど力を抜いて自分たちの相手をしているのかが分かるほどに。


「ちょっと本気出そうかな」


 そんな中、京也が小さく呟いた。それと同時に、京也の身体から真っ黒な禍々しい魔力がブワッと溢れ出す。ギロリと鋭く目を光らせて、ニヤリと笑った。


「お前ら、平気か?」

「無理」

「……怖い、嫌だ、ここに居たくない」


 離れた場所から見守っていた美羽と結愛が、カタカタと震えだし、隣の優一の服をギュッと握る。直接威圧を受けている訳ではないのに、震えが止まらない。怖くて恐ろしくて仕方ない。

 離れていても怖いのに、すぐ近くで受けている翼には、どれほどの圧がかかっているのだろうか。


「……」


 しかし、翼は怯えた様子もなく、京也に剣を向けて対峙している。その目は変わらず京也を捕らえて離さない。


「……来いよ」


 京也は翼のその目を見て、また一瞬顔を歪ませた。しかし、すぐに元の不気味な笑顔に戻り、剣を構える。この一撃で全てを決める気なのだろう。彼の剣が黒く染まり、剣先に集中していく。


「絶対に守る」


 対する翼も肌が焼けるような熱気を放ちながら、剣に魔力を集中させた。

 呼吸を整えて、瞳は京也を捕らえて離さない。全てを灰に帰す炎を纏い、今までの努力をこの一撃に込めていく。


「「……」」


 辺りを再び静寂が包み込み、世界から音が消えた。二人の呼吸が一つに揃い、緊張が頂点に達したその瞬間、力強く大地を蹴り、渾身の一撃を放とうと動き出す。













 しかし……


「そこまでです。双方剣を収めていただけますか?」


 びゅんっと物凄い風を巻き起こしながら、打ち合いのど真ん中に白色の人物が現れた。そして、二人の剣をしっかり受け止めている。


「人目につくかもしれない場所でなんてことをしているんです? 我々の存在は極秘だと言うのに」

「あー、しまったー。そんなこと忘れていたー、てへっ」


 太陽の言葉に白々しく台詞を読み上げ、てへぺろする京也。「忘れていた」と言っているが、本当は何も忘れていなかっただろう。

 元々魔法が存在しないこの日本では、京也たち魔法使いの存在は極秘事項。翼たちの通う東中学校の人間は例外として、一般人に彼らの存在がバレることは避けなくてはいけない。


「……はぁ、悪かったな。もう帰るよ」

「あ、ちょっと京也さん!」


 京也は太陽の静止も聞かず穴の中に戻ってしまった。なぜだろう、消えて行く彼の背中がひどく寂しく見えるのは。


「まったく……翼さん、お身体平気ですか?」


 翼が京也のことを考えていると、太陽が顔を覗き込んできた。彼の顔を見た途端、緊張と疲労が一気に押し寄せて、身体から力が抜ける。


「あああ、ダメだ、力が入らないよ」

「リミッター解除の代償ですね、しばらくはそのままかと」

「抱っこして」

「はいはい」


 翼は余程無理をしていたようで、自分の力では立っていることもままならない。太陽が抱きかかえてくれる。


「ゴリラくんめちゃくちゃ怖い!」

「やっぱりゴリラなんだって実感したよね!」


 カタカタと震えていた美羽と結愛も何とか復活。いつも通りの雰囲気に戻り、賑やかな空気が漂うのだが……


(なんで、そんなに苦しそうなの)


 翼の頭の中から、先ほどの京也の姿が離れない。

 戦いの最中の表情と言い、今日の京也からは苦しい気配が漂っている。魔法も威圧も強いはずなのに、今にも彼自身がバラバラに砕け散ってしまいそうな危うさを感じた。


(京也くん……)


 彼は何を思い、何を考えて自分と戦っていたのだろう。京也の心境を推し量るも、答えは何も出ないまま。

 翼は京也が去った穴を見つめることしかできなかった。

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