第196の扉  届かなかった手のひら

「ハロウィン楽しいね!」


 風花が鼻息荒くはしゃいでいる。

 しばらく悶えていた風花だが、今はその感情がポンッと抜けていつも通り、桜木風花。そして、全く反省していなかった翼だが、落ち着きを取り戻し、自分のやったことを自覚。現在リビングの隅で反省中である。


「相原くんはどうしたの?」

「風ちゃんは気にしなくていいんだよ~」


 不思議そうに翼を眺める風花だが、強制的に美羽が視界を遮る。

 犯罪者予備軍翼と恋心もぎり風花。翼が犯罪者になるのが先か、風花の花が開くのが先か。この二人の結末は誰も知らない。


「そうだ、みんなでお菓子をつく……」

 ピロピロピロ♪


 風花が世界滅亡へと動き出すかと思った時、丁度いいタイミングで太陽から電子音が鳴り響く。


「……もしもし。あ、優風様……はい、はい、分かりました、すぐに戻ります」


 電話をかけてきたのは、風花の母親である優風。どうやら緊急で大臣の仕事が入ったようだ。太陽は風の国に帰らなくてはいけない。


「申し訳ございません。姫様のことをお願いできますでしょうか。そう長い時間はかからないと思うのですが」

「ん、分かった。行ってこい」

「行ってらっしゃい!」


 太陽が腕を一振りして、風の国へと消えていく。彼は風花の従者兼風の国の大臣。風の国には太陽と月以外の扉魔法の使い手がいない。そのため日本に居る時にも度々呼び出しがかかるのだ。


「太陽と月は、忙しい」


 彼が居なくなった後、ポツリと呟いている風花。笑顔でお見送りをしたものの、寂しい感情があるようだ。胸元で手をギュッと握っている。


「風ちゃん、しずく探しに行こう! 見つけたら太陽くんたちに褒めてもらえるよ!」

「おぉ! 行く!」


 悲しそうな風花を見て、美羽が明るい声で問いかける。そして、美羽の元気な声につられて、風花の表情も元に戻った。

 彼女の頭の中は「帰ってきた太陽たちに褒めてもらう」ことでいっぱいなのだろう。先ほどまで話していたお菓子のこともすっかり忘れてくれた。


「ほら、相原くんも行くよ!」

「ぐぇ……」


 美羽は隅っこで未だ悶えている翼の首根っこを掴み、強引に引き上げる。何かカエルのような声がした気もするが、気にしない、気にしない。















「♪~」

「およ! 風ちゃん、歌上手だね」

「ありがとう!」


 現在近くの公園で、心のしずく捜索中。そして、美羽と結愛と手を繋ぎながら、風花がご機嫌で鼻歌を歌っている。風花はとてもご機嫌。太陽たちに褒めてもらえるかもしれないことが、余程嬉しいのだろう。


「今日も可愛い。なんであんなに可愛いのかな」

「翼、また声に出てるぞ」

「!?」


 少し後ろで、お花を撒き散らしている翼。そして無自覚でポロリと本音が飛び出した。いつか風花に聞かれるのではないだろうか。

 翼は恋する犯罪者予備軍。彼が風花に気持ちを伝える日は来るのだろうか。


「あっ! あのね、あのね! 新しい歌を覚えたの!」


 そんなことを考えていると、風花が思い出したように、ぴょんぴょんと跳び跳ね出した。そんな彼女の様子を見て、翼からぶわっとお花が吹き出す。もちろん無自覚である。いつもなら優一がお花を吹き飛ばすのだが、今回は……


「♪漆黒の~」

「!?」


 風花の漆黒ソングが吹き飛ばした。作詞作曲はもちろん、あの方である。

 以前何回か風花に漆黒ソングを授けようとしていた彼。その度に全員で食い止めて来たのに、知らない間に授けられていたようだ。これは由々しき事態である。


「♪堕天使が~深淵を~飛んでいく~」


 翼たちがため息を零す中、風花はご機嫌で漆黒ソングを歌っている。太陽にお願いして、この記憶も封印してもらうべきだろうか。


「♪目の前に~現れるぅ~」


 風花が指揮者のように指を振り、歌に合わせてクルクル回る。そして、フラグのような歌詞を紡いだ途端、ドカーンと彼女の目の前で地面が割れた。


「風花、しずくをもらいにきた」


 土煙が消えると、そこには京也が。まるで漆黒ソングに誘われたかのようなタイミングである。


「ケホッ、びっくりしたー、京也くんこんにちは!」

「しずくを寄こせ」

「ん? 気配感じないよ」


 京也の台詞を受けて、風花が首を傾げる。現在風花はしずくの気配を感じていない。普段京也は風花がしずくの気配を感じてからしか現れないのに、今日は早い登場である。


「あぁ、新しいやつを奪わなくても、最初からそこにあるもんな?」


 風花が首を傾げる中、京也は風花の胸を指差す。風花の心のしずくは彼女の胸の中の心の器の中に収納されている。京也は心の器から取り出すつもりなのだろうか。


「あ、れ……」


 京也を見ていた翼からつい声が漏れる。今日の京也は何か違う気がした。普段通り禍々しい気配を漂わせながらも、どこか焦っているような雰囲気を感じる。気のせいだろうか。


「ねーねー、ゴリラくん」


 翼がそんなことを考えていると、美羽がおもむろに京也の方へ歩みを進めた。


「ゴリラではない。で、なんだ?」

「太陽くんの時も思ったんだけどさ、女の子の胸に手を当てるのよくないと思うんだよね」


 消助事件の時に、太陽が思いっきり風花の胸を触っているのを目撃した美羽。もちろん変なことはしてないし、太陽にその気もなかったのだが、絵面的にアダルティである。美羽の言葉を受けて、いろいろ想像した翼が赤く染まった。


「仕方ないだろ、ここにしずくがあるんだから。それに風花のぺちゃパイに興味ない」

「聞きましたか、横山の奥さん。あのゴリラ最低ですわ」

「そうですわ、そうですわ。最低の変態ゴリラですわ」


 京也の容赦ない台詞に美羽と結愛が顔を引きつらせて、蔑みの目を向ける。


「ぺちゃ……」


 風花が京也の言葉を聞いて、自分の胸に手を当てた。確かに風花の胸部は、小ぶりである。同い年の美羽や結愛と比べても雲泥の差があるのだ。

 風花の心の中に何だかモヤっとした、悲しい気持ちが広がった。この気持ちは何だろう。


「桜木! 桜木! 大丈夫だぞ、まだお前は発展途上だ!」

「うんうん! そうだよ、桜木さん! それに僕はそんなの気にしないから!」


 風花が悩み込んでいると、何故か必死に翼と優一が励ましてくれた。

 自分はそんなに悲しい表情をしていただろうか。そして、何故二人はそうも必死に励ましてくれるのだろうか。その必死さには何だか腹が立つ。


「んんー」


 風花は何だか腹が立ったので、とりあえず近くに居る京也をポカポカと叩く。男性陣は揃いも揃ってデリカシーが装備されていないようだ。非常に腹立たしい。


「痛い、痛い! おい、風花なんで俺を叩くんだ!」

「よく分からないけど、叩かないといけない気がする!」

「なんだそれ……」


 頬をパンパンに膨らませて、京也をポカスカしている風花。風花は胸部の大きさの意味について理解はしていない。しかし、京也を叩かなくてはいけないという感情に掻き立てられているようである。


「よっと」

「あぁ!?」


 しかし、京也もいつまでも叩かれているほどお人よしではない。風花の両手をパシッと掴むとそのまま動きを封じた。


「とりあえず、しずくを渡してもらおうか」

「桜木さん!」

「おおっと、動くなよお前ら」


 翼たちが風花を助けようとするも、その動きを京也が制した。風花の首元に短剣を突きつけたのだ。


「ちょっとでも変な真似したら、刺すぞ」


 彼の表情は真剣そのもの。翼たちが何かしたら、本当にその剣が風花に刺さるだろう。


「さてと……」


 翼たちの動きが停止したことを確認すると、持っていた短剣を口に咥えた。そして、風花の首元に短剣は突き付けたまま、京也の手が風花の体内に侵入。バチバチと不気味な音を響かせて、心の器を取り出そうと進んでいった。


「どうしよう」


 京也の行動を見ていることしかできない翼たちに、焦りが広がる。


 このままだと、桜木さんのしずくが全部奪われてしまう。今まで一生懸命集めてきた、彼女の大切な物なのに……思い出も、感情も全て奪われる。でも、すぐそこにいるのに、僕の手は届かない。


 ……そう言えば、桜木さんは心の器を取り出されると仮死状態になるんじゃなかったっけ? 前に太陽くんが言ってたような気がする。

 京也くんは器ごと持って帰るつもりなの? そんなことして、身体は生きていられるの?


「ちょ、おい、翼!?」

「相原、くん?」

「およ……」


 ダメだよ、死んじゃうよ、器を取り出すことも危険な行為のはずなのに、持って帰られたら死んじゃう。

 殺される、死ぬ、桜木さんが死ぬ、京也くんに殺される。死ぬ死ぬ死ぬ……


「つば、さ?」

「はははっ」


 心配した優一が声をかけるが、返ってきたのは乾いた笑い声。それと同時に、優一の背筋にゾワッと冷たい物が走った。

 前にも聞いたことがある、彼の冷たい笑い声。もう二度と聞きたくないと思っていた、ひどく悲しい笑い声。

 目をギンッと見開いて、にっかりと笑った彼の顔。肌が焼けるような炎をその身に纏っている。


「ははっ」

「へぇ、いいぜ、相手してやるよ。だけど、俺、手加減できるほど器用じゃないから」


 優一たちの混乱が続く中、京也が翼の様子に気がついた。風花の胸の中から手を引っこ抜き、気絶した彼女の身体を壁にもたれかける。


「来いよ、バーサーカー」


 ニヤリと不気味に笑った京也が、翼を招く。彼の笑顔に誘われて、翼が動いた。

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