第171の扉  プツン

「ヤバい、笑いが止まらない。ふふっ」


 風花との通信を終えた優一たちが、船をこいで島へと向かっていた。風花の必死さを思い出して、笑いが止まらない優一と彬人。その様子をジトっと太陽が見ていた。


「違う、違う。バカにしている訳じゃないんだって」


 太陽は自分の主人をバカにされていると感じたのだろう。その視線を優一がかわしていく。


「必死過ぎて可愛いなって思っただけ」

「そうだぞ、太陽。天使たちは可愛いではないか」


 そう言いながらクスクスと笑っている優一と彬人。二人の笑いのツボに入ってしまったようだ。しばらく笑い転げることだろう。


「……」


 そんな二人のことをジト目で見ながら、太陽は自分の主人に想いを馳せる。

 夏旅行の時に見え隠れしていた感情。風花の胸の奥にある恋の蕾は、あと一押しあればその花が開くだろう。彼女が自分の気持ちに気がつく日はそう遠くない。しかし……


 彼女の恋が実ることはない。


 この事実はどうしても変えられない。翼と風花がどれだけお互いのことを想い合っていても、結末だけは変わらない。

 風花は自分の気持ちに気がついた時、何を思うのだろう。


「どうしたらいいんでしょうね」


 ため息混じりに呟かれた太陽の言葉は、いまだ笑い転げている優一と彬人には届かなかった。 





 __________________






「雛菊さん、ありがとうございます」

「いーえー」


 落ち着きを取り戻した風花は、雛菊の存在に気がついた。雛菊は高度医療の使い手で、丹後の国で風花と契約をしている。彼女の指に指輪として引っ付いていたのだ。


「少年頑張るんだぞ!」

「?」


 雛菊は呼び出しに応じたものの、ほとんど治療せず、風花の指に戻った。そして、彼女が最後に漏らした言葉はどういう意味だろうか。風花には分からない。


「相原くん、相原くん」


 しかし、雛菊の行為で風花は少し安心したようだ。表情が緩くなっている。そして、翼の頭を撫でながら彼の名前を呼び続けた。


 翼はどうして倒れたのだろうか。やはり体調が悪かったのかもしれない。彼は身体が弱いのだろう。今までもよく倒れているような気がする。


 風花は自分の中の翼との思い出を思い出していく。


 最初に彼に会ったのは、東中学校の桜の木の下。風の国と同じ花に惹かれて眺めていたら、声をかけてくれた。

 その日の下校中に京也に襲われて、助けてくれて、仲間が増えて。その後もダンジョン、月の国、魔神討伐、水の国などなど……

 最初に仲間になってくれた時から、ずっと隣には彼が居た。辛い時も悲しい時も楽しい時も……


「ん?」


 風花は自分の胸に手を当てる。翼との出来事を思い出していたら、胸が痛くなったのだ。そして、もう一つの異変が。


「ざわざわする」


 胸の奥が疼くような感覚を覚えた。今まで感じたことのない感情。この気持ちの名前は何だろう。どうして、こんな気持ちになっているのだろう。

 風花が自分の気持ちの正体を突き止めようと、頭をひねっていると……


「ん」

「あ、相原くん起きた。良かったぁ」


 翼の目がぱちりと開き、風花の顔が安心で緩む。彼は頭がぼやっとしているようで、見つめてくる風花の顔を眺めていた。


「相原くん、大丈夫? 分かる?」


 あれ? ここは天国かな? 起きたら桜木さんが目の前にいるぞ。しかもこの体勢と、頭の後ろの柔らかい感触って……


「相原くん?」


 膝枕だよね、これ。ヤバいな。そして、下から眺めても可愛いな、何なんだこの人。

 えーと、僕は何をしてたんだっけ? 思い出せない。でもいいか、桜木さんの天使がいるし、ここは天国なんだね。よし、このまま天に召されよう。


「え、どうしたの? まだ調子悪い?」


 あれ、まだ居てくれるの? 僕は天に旅立つことを決意したんだけど。でも嬉しいな。最後に桜木さんの天使に会えるなんて。

 それに僕のこと心配してる。僕は死んでいるから心配しなくてもいいのに、優しいんだなぁ。

 あ、目に涙が溜まってきてるぞ。泣くかな? 泣いちゃうのかな?


「ねぇ、あい、はらくん」


 あぁぁ、泣きそうだ。声が震えてるし、目がウルウルしてきた。何それ可愛い。泣いちゃいそうな時の顔って可愛いよね。僕、好きかも。


「うぅ……」


 あ、本格的に泣きそう。でも天国だしな、ここ。僕にどうにかできるのかな。


「桜木さん、泣かないで」

「あぃはらくん!!!」


 あれ、声が出たぞ。ん? おかしいな、ここは天国では? 僕は死んだのでは?


「良かった、相原くん! 死んじゃうかと思ったぁぁ」


 え、僕、死んでないの……

 ということは、ここは現実?

 んぇ? 待って、それはちょっと大変なのでは?


「身体起こせる? 大丈夫?」

「あ、うん。ありがとう」


 桜木さんが僕の身体を起こしてくれる。起きた僕の目に飛び込んでくるのは、木、木、木。

 あれ? どういう状況だ?


「セレナ島に落ちてその後倒れちゃったんだよ。覚えてない?」


 あーーー、思い出してきたかもしれないぞ。僕はいろいろやらかしてないか?

 近すぎる桜木さんにパニックを起こして、その後気絶したんだろうな……

 で、起きたら桜木さんの膝枕。ん? 目の前の桜木さんって天使じゃなくて、本物?


「プシュウ」

「!?」


 今までのことを思い出した翼から煙が噴出。ふらついた身体を風花が抱きしめた。


「なんで、なんで、なんで!? 相原くん、しっかりして!」

「ぐはっ」

「あぁぁ! 死なないで!」


 翼は風花に抱きしめられて、意識を手放す寸前。しかし、今気絶すると風花が本格的に泣き出しそうなので必死に耐えている。


 ダメダメダメ。桜木さんが不安になっちゃうだろ。気をしっかりと持つんだ、僕!


「相原くん、やだよ、お願い、死なないで」


 翼が堪えているのもお構いなしで、風花はムギュっと抱きしめる。彼女は翼が死んでしまうと思って必死なのだ。その行為が彼を仕留めていることに気がつかない。


 ヤバいヤバいヤバいヤバい。桜木さん、それはダメだって。

 あぁぁぁ、意識が遠退いてきた。耐えろ、僕。頑張るんだ、僕。

 でもこれはちょっといろんな意味でヤバいぞ。あぁぁ、ダメだよ、桜木さん。そんなに抱きつかれたらぁぁぁ!


「やだよ、相原くん。死んじゃいや」


 風花は翼のピンチに気がつかず、相変わらずムギュっとしていた。翼の首もとに手を回して、胸に顔を埋めている。彼女の体温が、柔らかいその感触が翼の全身を駆け巡った。


 あぁぁぁ!! めっちゃ柔らかい! いい匂いする! 可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い!!!


 ちょっと、待って! 一回落ち着こう、僕。はい、ゆっくり息吸って……


 すぅ……


 ダメだ、これは逆効果だった。桜木さんの匂いしか入ってこない。


 あーあーあーあー。これはヤバいよね。触りたくなってきた。触っていいかな?

 ……というかもう触られてるか、今僕抱きしめられてるんだった。そうだった、幸せ過ぎる状況なんだった。

 どうしよう、もっと触りたい抱きしめ返したい……そして押し倒して愛でたい。

 ダメ? ダメじゃないよね? ダメかな、ダメか。ダメなの? いや、ダメじゃないはず。


 翼の心の中で、欲望と理性が壮絶なバトルを繰り広げるのだが……


















 プツン、と何かが切れる音がした。














「桜木さん」

「?」


 翼は自分に抱きついている風花を引き剥がし、木の影に連れ込む。風花はいきなりの行動にキョトンと首を傾げていたのだが、今の翼から先ほどまでの空気を感じない。どうしたのだろう。

 風花が考え込んでいると……


「ごめんね」


 彼の小さな謝罪が耳に届いた。

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