第166の扉  いつか必ず

「そうだわ、京也くんを呼べるかしら?」


 太陽と話し込んでいた優風だが、思い出したように京也の名前を口にした。彼女の言葉を受け、太陽が腕を一振りすると、真っ黒な禍々しい扉が出現。そして、中からは


「あ、優風さん」


 キョトンとした顔の京也が。彼はいつもの真っ黒戦闘服でやってきた。しかし、優風の顔を見た瞬間、京也の顔からいつもの冷酷さが消える。少し頬が緩んでいるのは気のせいだろうか。本人に言うと殴られそうなので、太陽は口元が緩むのを堪える。


「こんにちは、京也くん。見ない間に大きくなったわね」

「ご無沙汰しています」


 ぺこりと頭を下げる京也に、優風は柔らかな微笑みを向けた。京也は小さい頃風花と遊んでおり、優風にとってはもう一人の子供という感じなのだろう。


「いつも風花を助けてくれてありがとう」

「い、や、俺は別に……」

「ふふ、相変わらずね」


 優風にお礼を言われて、京也の顔がほんの少し赤くなったような気がする。本人に言うと殴られそうなので、太陽は口が緩むのを必死に耐えた。


「三人でお茶にしたいのだけれど、時間あるかしら」

「はい」「大丈夫です」


 優風がふわりと微笑み、お茶の準備をするために消えていった。太陽が手伝おうと追うが、座っていてと強制的に座らされる。


「待っていてね」


 ニコリと微笑んで、優風は準備を開始してしまう。ふわふわとしている優風の背中を、京也が頬を緩ませて見ているのは気のせいだろうか。本人に言うと殴られそうなので、太陽は口元が緩むのを耐えたのだが……


「おい、太陽。殴るぞ?」

「バレましたか」


 太陽の表情の些細な変化を見抜いたようだ。鋭い視線が太陽を貫く。太陽がぺこりと頭を下げていると、京也がため息をつきながら口を開いた。


「お前も気持ちは同じだろう」

「そうですね。ただ、あなたが柔らかい表情をするシーンは貴重なので、目に焼き付けておりました」


 ゴツン


「痛いのです!」

「うるさい!」

「事実ではないですか! なぜ殴るのです!」


 太陽の頭の上に特大のたんこぶが。余程痛かったようで、涙目になりながら頭を擦っている。


「この前の梨都の時もそうだったけど、お前は俺を何だと思っているんだ?」

「生贄です」

「よし、外に出ろ。ぶっ潰してやる」

「上等です! 受けてたちますよ!」

「ふふっ、賑やかね」

「「あ……」」


 優風が紅茶を持って登場したため、喧嘩が中断。二人とも恥ずかしそうにうつむいた。そんな様子を見て、優風はますます笑顔になる。

 様々な肩書、重い運命を背負っている彼らだが、子供は子供らしくしていればいい。喧嘩をして、泣いて笑って怒って。それでいい。


「京也くん、太陽くん、こっちに」

「「はい?」」


 京也と太陽がうつむいていると、優風が手招きしている。疑問に感じながらも歩みを進めると、ふわりと抱きしめてくれた。二人の心の中に暖かな感情が広がる。


「あなたたちは私の子供のような存在よ。風花のお兄さんって感じかしらね。だから、本当のお母さんのように甘えてくれていいの」

「「……」」

「まどかもほしもそれを望んでいるわ」


 桜木優風、黒田まどか、坂本星。この三人は学生時代、魔法学校の同級生でお互い切磋琢磨し合った仲である。しかし、現在存命なのは一人だけ。


「男の子だから恥ずかしいかしら。でも、私はあなたたちが大好きで大切よ。いつでも頼ってね」

「「……ありがとう、ございます」」


 優風の想いを受け取った二人は恥ずかしそうな笑顔を浮かべながらも、優しく包んでくれる彼女を抱きしめ返した。




 _______________





「休憩にしようか! お茶とお菓子持ってくる」

「「「……」」」


 宿題が進んだ頃、風花が元気に宣言し、キッチンへ消えていく。その背中を翼、優一、彬人が遠い目をしながら見送った。

 現在彼らは夏休みの宿題と格闘中。先ほどまでうららと颯も居たのだが、彼らはこの後用事があるということで離脱。と、いうことで今回の犠牲者は3名。


「はい、どーぞ!」


 男性陣の遠い目に気がつかず、風花はニコニコ笑顔でやってくる。彼女の手には柔らかい香りのする紅茶と、見た目美味しそうなドーナツ。


「ゴクリ……」


 三人の顔が引きつり、汗が滴り落ちた。ご存知の通り、風花の料理は殺傷能力が高い。あの京也でさえも仕留める実力である。このドーナッツを食べて生きて帰ることはできるのだろうか。


「いや、諦めるのはまだ早い」


 翼が悟りを開こうとしていた時、隣で優一が呟いている。彼には何か考えがあるのだろうか。


「桜木が帰ってくる時間が早すぎる」


 優一は風花がキッチンに消えてから、出てくるまでの時間のことを言っている。彼女がキッチンに滞在していた時間はせいぜい5分程度。その間にドーナッツを作成して持ってくることは不可能だろう。つまり、このドーナッツは、あらかじめ作られていたということになる。太陽作の物かもしれないし、市販の物の可能性もあるのだ。

 翼たちに一縷の希望の光が見えた。


「昨日頑張って作ったんだー!」

「あ、終わったやん」

「ふはっ! 詰みである」


 光が見えた途端、無邪気に絶望を突き返されてしまった。風花はご機嫌に音符を撒き散らして、机の上を整えていく。どうやら自信作らしい。

 風花の・・・自信作。殺傷能力はいかほどなのだろう。





 _______________





「そろそろお開きかしら。またお茶しましょうね」

「「ありがとうございます」」


 三人でのお茶を楽しんで、太陽と京也の顔が心なしか緩い。ちなみにお茶と一緒にクッキーが出てきたが、味は絶品であった。


「太陽くんはもう風花の所に帰るのかしら」

「いえ、母に会いに行こうかと」


 太陽の答えに優風は悲しそうな笑顔を浮かべた。


「ごめんなさいね、二人一緒のお墓にできなくて」

「いえ、風馬様が約束してくださいましたから。『いつか必ず』と。私たちはその日を待っております」


 太陽は柔らかな微笑みを優風に注ぐ。彼のその言葉は本心からのものだろうか。優風が目を細める中、彼はぺこりと頭を下げて、母親が眠る地へと歩みを進める。


「ごめんなさい」

「あら、どうして京也くんが謝るのかしら?」


 太陽が消えた後、京也は苦しそうに顔を歪めて優風へ謝罪の言葉を口にする。


「俺たちの、せいだから……」


 今にも泣き出してしまいそうなその顔は、彼が抱えているものの大きさを物語っていた。彼のその表情に顔を歪ませながら、優風は京也の頭を優しく撫でる。


「誰も悪くないのよ。あなたも、董魔さんも」

「でも」

「まどかがそれを望んでいると思う?」

「……」


 優しい優風の問いかけに、京也は言葉が出てこない。


 悪くないはずないのに、憎くないはずないのに。この人は優しい眼差しを自分に向けてくれる。自分の娘を、国民を苦しめている存在なのに、どうしてそんなに優しい顔ができるんだろう。


 京也は胸の奥がギュっと痛くなるのを感じた。京也の母親、まどかが他界したのは彼が9歳の時。まだまだ甘え盛りの時である。


 少し、少しだけなら、甘えても許してくれるかな……


「あ、の」

「ん?」

「また、……会いに来てもいいですか」


 うつむきがちに呟かれた彼の言葉は、とても小さくてか細い物だった。まるで幼い子供のように。


「もちろんよ、いつでもいらっしゃい」


 優風はふわりと微笑んで、彼をもう一度抱きしめた。













「お久しぶりです、母様」


 優風と別れて、花を手にした太陽は自分の母親が眠る地へやってきていた。彼の目の前には冷たい墓標。そこには『坂本星』の文字が。


「あまり来れなくてごめんなさい」


 もちろん太陽の言葉に返事を返す者はいない。それでも彼は母親に言葉を届ける。


「私たちは元気です。安心してくださいね」


 太陽は母の元を訪れたのは何カ月かぶり。しかし、母の眠る墓標は綺麗に保たれており、新しい花も供えられている。優風が綺麗にしてくれるのだろう。


「優風様がごめんなさいと言っておられました。あの方は何も悪くないのに」


 太陽は自分が持ってきた花を、元々供えられていた花の隣に備える。線香に火をつけて、母の前に置いた。


「いつ、終わるのでしょうね」

「……」

「いつか、終わるでしょうか」

「……」


 太陽の両親はすでに他界している。それは彼が13歳の時の出来事。風花が心を砕かれたきっかけの戦争、聖魔対戦に参加して戦死したのだ。


「風馬様が『いつか』と約束してくださいました」

「……」

「信じていない訳ではないのですが」

「……」


 うつむきがちに呟かれた彼の言葉に、返事は返ってこない。しかし、久しぶりに会えた母の前。


 少し、少しだけなら弱音を言っても許してくれるかな……


 太陽の元に優しい線香の香りが届き、今まで押し込めていた言葉たちを誘う。


「本当に、『いつか』は、来ますか」

「……」

「どれだけ待てば、その未来に、たどり着けますか」

「……」

「おかあ、さん」


 太陽は答える人のいない問いかけを、ずっと繰り返した。

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