第113の扉 響き渡る悲しい音
「
「ぐっ……」
キン、キンと剣が交わる音が響く。たけるの重い剣が翼に届いていた。彼は強い。流石は京也の組織する魔界四天王の一角。翼の額に汗が滲んだ。
「だけど」
ずっと太陽が練習に付き合ってくれた。バトル大会でも自分は優勝できた。今までの努力が大きな自信となっていく。積み上げてきた修行の数々。仲間が背中を押してくれる暖かさ。すべての想いを剣へと込める。そして
「なっ!?」
カキンという心地よい音と共に、翼はたけるの剣を弾いた。そして、剣を振り上げる。
「相原くん、やめてっ」
「っ!?」
斬りかかろうとした翼の瞳に、懇願する結愛の姿が映る。
「佐々木、さん?」
彼女の様子にピタリと翼の動きが止まった。今目の前にいるのは結愛そのもの。たけるが結愛の体を捨てて、元に戻ったのだろうか。しかし……
「やっぱり便利だね、この身体。攻撃できないんだろう?」
「いっ!」
不敵に笑ったたけるが、隠し持っていたナイフで斬りつける。結愛のフリをして、隙を誘ったようだ。
「相原くん!」
彬人の治療をしていた風花が、翼に駆け寄ってくる。翼の怪我は腕をかすった程度。出血はしているが、傷は深くない。
「ごめん。油断した」
「ははは、ずっとこの身体に居てやろうかな。ははは!」
たけるが高笑いを続ける中、結愛を見ていた翼と風花が目を見開いた。
「どうしたの? 驚いた顔をして……ん?」
たけるが自分の頬に手を触れると、冷たいものが手についた。
「なんだ、これ。水? ……いや、涙か?」
「佐々木さん……」
翼は結愛の涙を見て、胸がギュっと苦しくなる。涙の理由が分かったのだ。
「相原くん」
風花は翼の名前を呼ぶと、彼の耳に口を近づけた。風花も翼と同様、苦しそうな顔をしている。その眉間にはしわが。
「え……」
風花の言葉を聞いた翼の口から、戸惑いが漏れた。驚いて風花に目を向けるも、彼女はニコリと微笑み、たけると向かい合ってしまう。
「そこで待ってて」
「でも……」
翼は風花の言葉に戸惑っていた。彼女の話してくれた作戦は恐らく成功するだろう。しかし、それは風花が大きなダメージを負ってしまうもの。彼女はいつも自分自身を犠牲にしようとする。翼はそれを想像し、ぐっと拳を握った。
「他に方法は」
翼は自身の無力さを感じる。他に結愛を救う道が見つからない。
たけるに向かっていく風花に、迷いの色は全く浮かんでいなかった。彼女はいつもそうだ。何かを守ろうとする時、その目に迷いは浮かばない。
「今度は風花ちゃんが相手してくれるの? 早く心のしずくを渡してほしいんだけど」
結愛の涙はもう止まっていた。たけるが無理やり彼女の心を押し込めたのだろう。ピリピリとする殺気を放ちながら、二人は向かい合った。
「え!?」
たけるの驚いた声が響く。風花が一瞬で彼との距離を詰め、目の前に現れたのだ。たけるは風花から距離を取ろうと、後ろに飛びのくが……
「
ドン! パリン!
彼が射程範囲外に飛ぶ前に、風花の拳が命中。鈍い音と共に、物凄い勢いで結愛の体が壁まで飛んでいった。
「っ……ゲホッ」
苦しそうな声と共に、たけるが嘔吐する。その様子を見るも、風花は止まらない。容赦なくその距離を詰めていき、再び拳を繰り出そうと魔法を貯め始めた。
「風ちゃん、やめて……」
たけるが上目遣いで苦しそうに懇願する。潤んだ瞳が風花を捕らえた。たけるが結愛の体を利用してしまうと、風花たちは攻撃することができない。先ほどの翼のように。しかし……
「っ……
ドカッ! パリンッ!
風花は容赦なく、結愛の体に拳を入れた。衝撃で壁が壊れ、辺りが土煙に包まれる。
「ゲホ、ゴホ……お前、なんで攻撃できるんだよ」
再び嘔吐しながら、たけるが風花を睨みつける。それでも風花は拳を振り上げた。何発も何発も。結愛の体に容赦なく拳が振り下ろされる。
ドガッ、パリン。ゴンッ、パリン。ボンッ、パリン。
「桜木さん……」
翼は風花の戦いを見て、涙が流れ落ちる。その悲しい光景に目をつむりたくなった。その悲しい音に耳を塞ぎたくなった。それでも彼は目を閉じない、耳を塞がない。自分が無力だから、彼女が戦っているのだ。先ほど風花は翼にこう言った。
『自分が結愛の体を壊す』と。
たけるは風花たちが結愛を攻撃できないと考えて、乗っ取っているようだ。しかし、風花が攻撃できると分かれば話は違ってくるだろう。
そして、結愛の涙。
先ほど結愛は涙を流した。
彼女の涙の理由は、彬人と翼に怪我を負わせてしまったこと。乗っ取られているといえど、彼女が二人に怪我を負わせてしまったということに変わりない。その事実に心を痛めて、涙を流したのだ。
「はぁ、はぁ……」
風花は肩で息をしている。その目には涙がにじんでいた。
「痛い……」
風花は苦しそうに胸元を掴む。風花が結愛の体を傷つける度に『パリン』と何かが割れる音が響いていた。風花は攻撃する度に心が割れてしまっているのだろう。
大切な結愛の体。それを傷つけるのは彼女にとって、相当辛いこと。それでも結愛に振り下ろす拳は弱めない。
「こんなに苦しい思いをするのは……私一人でいい」
体の傷はいつか治る。しかし、仲間を傷つけたという心の傷は消えることがない。風花はこれ以上結愛に誰かを傷つけさせないために、彼女の体に手をかける。自分の心に傷をつけ、一人で全て抱え込んでいこうとする。
「俺の負けだね……」
翼の後ろからたけるの声が聞こえる。たけるは風花の拳の嵐に耐えられず、魔法を解いたようだ。
「風花ちゃん、君のその戦い方、いつか身を亡ぼすよ」
風花はその言葉に何も返さない。そんな彼女の様子にため息をつくと、たけるはそのまま姿を消した。どうやら撤退してくれたらしい。彼の気配が消えていく。
「桜木さん!」
たけるが消えて、一気に力の抜けた風花が崩れ落ちる。それを翼が受け止めた。
「姫様、結愛さん!」
彬人の治療を終えた太陽が走ってくる。彬人は大きな血管を傷つけていたため、時間がかかってしまったが無事のようだ。今は意識を失って眠っている。
風花は身体的な傷は特に負っていない。重症なのは心だけ。対する結愛は体がボロボロ。しかし、深い傷は負っておらず、命に別状はないとのこと。
「ですから翼さん。泣かないでください、大丈夫ですよ」
「え……」
太陽がにこりと微笑んでくれる。風花の悲しい戦いを見てから、ずっと涙を流し続けていたようだ。翼はゴシゴシと目をこすり、流れ続ける涙を拭いた。
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